〜2007年

2007.7
「呼吸」を聞く

生まれて43年間、一度も休むことなく、ずっと呼吸していること。思ったこともなかったが、改めて胸に手を当てるととても不思議でありがたい。
人生はすべて「IN」と「OUT」の営みであると思っているがその源泉にあるのはこの「呼吸」である。
「自分の呼吸を聞く」この行為はとても大切なこと。
これは自己との対話。時には高揚を、時には抑制を。
どんな苦難が訪れたとしても呼吸が聞こえるうちは大丈夫、何でもできる、どこでもいける。「生きている」。
そんな勇気と希望が涌いてくる。
天才とは、人が意識しない当たり前のことに気づきそこに発見を見出すことができることだそう。年百年生きても、天才の域には達することはできないがそれでもできる限り 「当たり前」を大切にしていきたい。

「馬鹿である」の意味
とある方の講演を聞いた。交通事故で両足を切断されその苦痛から立ち直れないでいたときに、その方のお母様が「そんなにも痛い思いしているなら、痛いだけじゃ馬鹿だね。何か学ばなければね」といわれたそう。そのコトバに脱帽。なんと広く深い母の愛。
どんな境地になろうとも、常にそれを受け入れ、そこからいかに前に進むか・・ということの大切を教えられたのだそう。その方は今や、義足のランナーとして何とホノルルマラソンとかにも出ておられる、立って全国を講演しまくっておられる。それはそれは感動を超えた生き方である。
さて、「馬鹿である」とは馬や鹿に申し訳ないコトバだと思う。しかし、それは「人間じゃないよ!」という意味だと理解する。人間ならば「考えて、前に進め!」という意味だと受けとめたい。考えない人が増えている、馬鹿である人が増えている。これではいけない。もっとみんなが考えて行動すれば
社会もよくなる。自問する「今日、自分は馬鹿ではないか?」と。

うなるピアニスト 踊る警官
かの有名なジャズピアニストである、キースジャレットの演奏を聴いた。この名ピアニストがどんなパフォーマンスを見せてくれるか。期待しながら演奏が始まるのを待つ。むむ?何か唸りながら弾き始めたぞ。次は、立ち上がって腰をくねくねしながら、もぞもぞ動きながら鍵盤をたたく。
「へんなの〜〜」と一瞬思ったら、これがキース流なんだそうだ。唸るとピアノの音色が時々消されるので、あまり美しいハーモニーではないが、彼の魂がそうさせているのであろう。大変セクシーなおじ様ピアニストの名演奏は、気づいたら3時間のステージを終えていた。
ジャズとはアドリブ・・自由に。そう自分スタイルがよい。
そうそう、同じ日に街角のミュージシャンの演奏に合わせて踊り始めた警官が市民から喝采を浴びていた。黒人の大柄で素敵な女性だった。
音楽は人をより自由に解放する。素晴らしい。世界のどこにもない表現が、NYにはある。

有名人にならなくていいから、長生きして
大好きな哲学家である池田晶子さんが亡くなった。
同じく哲学を志しながらも、モノ?にできていない私にとっては心から尊敬できる教養人のひとりであり、心の中でいつも応援していた。哲学をわかりやすく、やさしく伝えることこそいかに大切かという命題について、実践された大先輩でもある。でも、若くして亡くなってしまった。でも不思議なことに作品を読むとなぜか死を予感させる何かを感じていた。
いずれにせよ、短い間にいっぱい仕事をされて、人の心を動かして、偉かったなあと思っている。お会いしたことはなかったけれど・・・。
パートナーに池田さんの話をした。相手は「あなたは、そんな有名人にならなくていいから、長生きをしてください。死んではどんなに才能があってもおしまいです」とこういった。それは結果だからわからないが池田さんを見習って周囲に感謝しながら、有名無名でなくすべきことをする人になりたいと思う。
心からご冥福をお祈りして・・。


Apr,2007

脱目覚まし時計生活
目覚まし時計に頼らず起きる習慣。いつしかそれが普通にできるようになった。
朝への意識が高くなればなるほど、寝起きは良くなる。明日はこれをしよう。と思えば寝坊などしてられない。「年をとると寝るにも体力がいるもんだよ。だから早起きしてしまうのだよ」と聞いたことがあったが、今の私は毎日が遠足前夜の気分。もちろん緊張のため飛び起きてしまう日も少なくないが、とにかく朝への心がけ次第で、1日が快適かつ充実の時になる。

笑みと涙がこぼれてしまう
最近、歩いていて思わず微笑んでしまうことがある。がんばった瞬間を思い出したとき、仕事がうまくいった後の気持ちを思い浮かべたとき。またちょっとした感動で涙がつい出てしまう。自分を理解してくれる人と話してるとき、ちょっとテレビで素敵な出会いを見たとき、「ありがとう」と心からいってもらえたとき、いい感じのおばあさんを見かけたとき、懐かしの曲を耳にしたとき。女は泣く分長生きをするといわれたこともあったっけ。気持ちを表現できることは幸せ。表現は自覚のしるし。何も感じないより感じた方がよい。

人生の「正道」を歩く
寛容とは、やさしさとは難しいと思う。できれば思いやりあふれる人間として
生きたいという思いは変らない。
生きていて守りたいこと。それは妥協なく「正道」を歩き続けたいということだ。人は人に支えられ人になる。誰も自分ひとりでは生きられない。感謝の気持ちを忘れて自分勝手になってはいけない。人の道を一度外すと、必ず道に迷ってしまい、行きたいところへは着けないと思うから。行きたいところとは、感謝で終わる人生の終着点。だから自分の思う「正道」を歩いていきたい。

みんなもってる「マイ・スタイル」
「マイ・スタイル」というテーマで講演をする機会を得た。それまでそんなことは考えたこともなかった。巷に「スタイル」を使った言葉があふれている。
改めて考えてみれば、「マイ・スタイル」とは自分自身のありよう。生き様。
他とは違う自分らしさではないか。これを意識して生き続けていくことで
自分という「ブランド」が生まれるのではないか。まずは、こう生きたい、
こうありたいという信念をもつというところから、すべて始まる・・・。

桜好きの日本人。
今も昔も、桜が咲くと日本中が盛り上がる。日本に四季がある以上、私たちは
この花のおかげで、春の到来を感じ、季節を愛でることができる。
満開の花もよいけれど、もう散るか今散るかと思い眺め、ついに散ってしまうあの瞬間がたまらない。花の下の宴会も楽しいが、散りゆく桜吹雪をみつめているのがよい。運がよければ長く持ち、風が吹けばあっけない。花の命とははかないもの。人を桜にたとえると、どんな木に育ち、どんな風は吹くかで寿命が決まるのかも。

ネクタイ選びにご用心
海外の町に出ると、必ず家族への土産にネクタイをチョイスしてくる。
その国や店ならではのデザイン・カラー・スタイルに出会えるのが楽しい。
先日会食の場で「ネクタイってよく贈られるけど、もらったネクタイって意外に着けないで、結局自分で買ったものばかりになるんだよね」とある社長。
それを聞き、一緒にいたご婦人「そりゃ、そうですよ。なんたってネクタイの上には顔があるんですから。」この発言にみんなで大爆笑。そう、ネクタイを人に選ぶときにはその上に来るお顔をしっかりイメージして選ぶこと。また顔の後ろには背景もあることをお忘れなく。できる男のシンボル「ネクタイ」選びは容易ではない。

 

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