東京に住み、時々上海や台北、香港その他…に出没している。
西の都、京都から東京へ転勤してきた20代後半、東京に建つビルディングのかっこよさ、24時間ON TIMEの活気、東京人の歩くテンポ…は皆、異質な世界であった。。そういえば、今は亡くなってしまったが会社員時代、積極的に私に多くの東京出張を体験させてくれた当時の上司は、まだ慣れぬ夜の東京の街に目を白黒させている私に、「ごらん。あのビルはまだ明かりが灯っているだろ。こんな時間でも仕事しているんだ。東京は眠らない街なんだ。すごいだろ」と、高層ビルを指差し、誇り気に話されたことがある。そのとき、確かに24時すぎても、オフィスの灯りがついていることにやたら感心していた私も、住人として10何年も経つとこの街での暮らしにもすっかり慣れて、今では東京も第2か第3のホームタウンになりつつある。とはいえ、今だに慣れないこと…がいくつかある。それは、まず朝と夜の通勤電車。会社員をやめたいと思った理由のひとつは、この地獄のような電車通勤から逃れたいということであった。とくに東京のそれは殺人的であり、チビ!の私にとって、あの超満員電車はわずかな時間であってもこの上ない苦痛であった。だから会社員時代の末期では毎日5時に起きて、6時半前後の電車に乗って通勤していた。朝の車内の印象は、「朝なのにみんな疲れている」といった感じ。なぜ、朝だ! 元気にがんばるぞーって顔してないのかなあと不思議に思っていたが、確かに毎日遅くまで働いて、遠い自宅に住んで…毎日行き来するビジネスマンにしてみれば、「朝から元気出るわけねーじゃん」てなことであろう。しかし、「朝ですよ。みなさん!」でも、まだ寝ている人もたくさんいて…。ああ、日本は疲れている…朝の通勤電車は、元気のない日本を象徴している光景。疲れているのが当たり前という感じすらしてしまう。さらに! さらに本当に困ってしまうのが、夜の帰り電車。とくに午後8時半から9時をすぎる車内は、CO2たっぷりのお酒の異臭?が漂い、とくに自分が素面であったりすると、一歩車内に足を踏み入れたとたん、「げー。なんじゃこれ」という嫌悪感にかられる。赤ら顔、中途半端に陽気な顔、朝は死んだように眠っていたおやじ?さんも、ほろ酔いでやけに声がでかく、部下らしき人に語っている。しかも会話の内容がおかしい? おらが天下という感じ。時々、飲みすぎて車内で倒れそうになり、脇を抱えてもらったり、介抱してもらっている人の姿なんかも見て、こういった酔っ払いをたくさん搬送する電車は、世界中で日本だけじゃないのかなあと、しみじみ思って複雑な気持ちになる。
さまざまなプレッシャー、ストレスから解放されるわずかな時間を過ごし、気分よく帰途に着くビジネスマン。今日もいろいろあったけれど、まあ、明日もやるしかないね。という自分への励ましでもあろう。人によっては、本当はお酒は飲みたくないけれど、おつきあいだから 仕方ない。これもお仕事、お仕事という人もいるだろう。その気持ちもわからないわけではない。いろんな酔っ払いを乗せて、今日も東京メトロは往く…という感じで、この時間も、私は時々異邦人になってしまう。
もちろん、自分自身もお酒を飲んで電車で帰る日もあるが、電車に乗るとその臭気で、目が覚める。いかん、やめよう。この空気に染まってはいけないと。そんな酒臭い電車に、時々塾帰りの子どもたちを見ることもある。彼らの目にはこの光景はどう映っているのか?「大人って不思議だな」でも、この酒臭いビジネスマンのひとりがもしかしたら、自分の父親ということもある。
お父さんはね、おうちのために、わが子のためにがんばっているんだ。お父さん、がんばれ。そういう気持ちと、でも…ちどり足で自宅へ向かう後姿を見ると、なんとも悲哀を感じてしまうのは私だけでないはず。
長くなってしまったが、こういう光景は世界中の国を探しても他にない。皆、通勤に電車を利用しているにもかかわらず…。「酔っ払い」というカテゴリーがないそうだ。これは経済大国日本の、エコノミックアニマルNIPPON、とくに東京・大阪特有の光景であろうか。もし世界的に著名なカメラマンが日本の地下鉄車内を被写体に考えたとき…それは、どんな絵なんだろう。きっと美しくないんだろうなあ。少なくともNYやパリのメトロとは様相が違いすぎる。最近では、これに「ケータイをもった猿化現象」も加わり、より一層妙な雰囲気を生み出している。昼間の活動的な時間帯は、本を読む人が減り、携帯メールのチェックに余念がない。私自身もついそうなりがちなので、要注意。そんなにケータイが大切なのか? あの細長い2つ折りBAR状の物体を大切に携帯し、凝視している日本人の光景は? どうなんでしょう?!
そんな大人を見ながら、子供たちが育っていく。日本人としての勤勉さや元来持っている「強い精神性」をきちんと引き継げずに、利便性や物質的な豊かさだけの中で、ぶくぶくっと、ぶよぶよっと、幼稚なまま大きくなっていく。
NEETということが最近叫ばれているが、自分の道が探せない若者が増え、また自分勝手な動機で犯罪を起こすケースも増えており、日本の将来をふと不安に思う。あまりに多忙で、あまりに真面目でただひたすらに黙々と働いてきた大人たちへのアンチテーゼとしての「無気力」なのかもしれない。
一見、おしゃれをした、化粧もした、形だけの大人風 子ども。でも、子どもならもっと目を輝かせてよ。きらきらした目をもって生きてよ。こら、電車の中で化粧するとか、モノを食べるとか下品な大きな声で話すとかそんなことしないでよね。「恥ずかしい」こと、人目を気にするということを忘れている。これは自らが社会的動物であることを自覚していない証拠…か。
子ども時代「少年よ大志を抱け!」という言葉をよく教えられた。私は少女なんですけどね。と思いながら、でも「志」ということはとても人生にとって大切なんだと思ってきた。しかし、今の日本にとってそんな言葉は空虚なのか。
今、台湾の若者は、日本の文化が大好きで、流行についても敏感だ。かつて日本の若者がアメリカの真似をした20世紀のように、同じ現象が見られる。一方、上海の若者はそういう面も一部見られるが、日本にべったりではない。自らの道を(多くはお金儲けが目的であったりするが)必死に模索し、日々戦っているから、日本の若者とは「目」が違う。明日に、未来に夢がある。その夢がどんなカタチの夢であれ、自分が豊かになる=幸せになると信じ、それに向けて邁進している上海の若者には、日本の若者には見られなくなってきた生への意志、強さを感じることが多い。
日本はまだまだ鎖国状態ではないか。本当の意味での国際化にはなっていないのでは。コミュニケーション手段はどんどん進化しているが、人間として進化しているのか? 世界に一歩足を踏み入れると日本が小さく見えたが、最近はアジアへ出ても、同じく日本が小さく見える。
どうすればみんなが、目を輝かせ生きられる「元気な日本」になれるのか?高齢化している日本。ひとりひとりが年老いているだけでなく、国自体がそうである。若者は若者らしく、やはり「大志」を抱いてほしい。そんなことに役立つ生き方を自分は探し続けたい。がんばれ、NIPPON。
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