今、成田空港にいる。台風で空港へ来るまでに、成田エキスプレスも止まってしまい、途中の駅から車に乗り継ぎ、ようやくたどりついたら、予想どおり飛行機も3時間遅れ。こんなときに突然できる時間は、幸運のひとときとでも
呼ぼうか。ちょうどいい、今、頭の中にあることを吐き出してしまおう。
今回の旅は、日本同様不況と叫ばれるアメリカへの旅である。医療マーケティングのツアーで訪問した以来のシカゴ、そしてニューヨークへのショートトリップ。今回の旅の目的は、ビジネスに必要なネタ、情報収集、取材であるが、もうひとつの目的は「初心」を取り戻すことである。原点を見つめなおしたいとき私は、長時間の移動を欲する。誰ともコミュニケートせず、ただ、白い紙や書物と向き合い、空白の時間を贅沢に使う。慣れぬ街をとことん歩く。疲れるまで歩く。1歩踏み出すごとに、自分との対話を楽しむ。
日々のくらしの中では、自分との対話がままならない。ただ忙しいという時間の中には、真理はないと常々思っている。
3年前、13年つとめた会社を辞めた。そして、あれよあれよという間にマーケティングコンサルタントという一見、一人前に見えそうな仕事をさせていただき、生意気にも大手企業と契約をさせていただき、商品開発や市場導入、或いは、販売促進のお手伝いをしているうちに、早3年の月日が経過した。
毎月海外出張へ出る生活にもいつしか慣れ、緊張の連続にも心身がついていけるようになった。3年の間には、出版の企画も経験し、また流通業の業態開発のプロジェクトにも関わり、通産省に提出する報告書作成にも取り組んだ。
そして、いつのまにか自分の社会的役割は、「コミュニケーションクリエイター」であるとし、幸せを呼ぶコミュニケーションづくりを実践しようと決めた。
そんなこんなでピアノ弾きにも挑戦、マーケティングの仕事の合間を縫って、演奏活動もした。自分がプロデュースした国際マーケティング会議のパーティーにも自ら演奏する…など、今から思うとヒンシュクな思い出も少なくない。
思い出は時には輝かしく、懐かしく、そして恥ずかしい。
いくつになっても、その繰り返しであり、人生はその思い出を重ねていくものだと思う。
学校を卒業して、会社員になったとき、回りの先輩たちは「石の上にも3年。 とにかく3年がんばるんだよ」と励ましてくれていた。
そして会社をやめて、ひとりでスタートしたときも、3年同じことを続けることは当初予想もできなかったが、経ってみるとひとつの区切りである。バブルが崩壊し、どん底と呼ばれていた時代に独立した。どん底からのスタートだから、もうこれ以上悪くはならない。だから、どんなことがあっても平気と思った。しかし、3年経った今、日本だけでなく、世界中が当時以上に元気がない。ITバブルがはじけて、かつて予想できなかったさらなるどん底に、失業者が増え、不安が募る毎日である。
「あると思うな昨日の仕事。」
会社員だってある日突然、バサっと首を切られる時代。ましてや外部スタッフであり、コンサルタントの首を切るのはもっと容易なことである。でも、今、自分は有難いことにそういう目にも遭遇せず、日々の課題に追われている。しかし、熱くあるだけではいけない。と最近とくに感じている。自分が働く意味、意義をきちんと考え行動しなければならない。また、とくに組織の外にいる人間は、個との戦いであり、多との戦いである。それに打ち勝つには、自らの行動が、相手にどのように成果をもたらすか。と日々よく考え、行動しなければ足元をすくわれるということである。ある一言が命とりになることもありえる。
おかげさまで、独立して3年が経った。ここまで支えてきたくださったすべての方々に、本当に感謝しなければならない。どの方の協力、ご支援がなくても、本日の自分はここにいなかったと思う。
忙しいと回りが見えなくなることはないか。熱くなりすぎて、冷静に物事を判断できなくなっていることはないか。無意識に自己中心になってはいないか。そして、夢中になる余りに自分の役割を忘れてしまうことはないか。3年という節目を迎え、さまざまな反省点が出てくる。
明日からまたスタートである。次は40歳に向かって次のステージ探しである。どんなステージを作りたいのか。
今回の小旅行で、自分づくりのシナリオを用意したい。そんな気持での出発だ。
なんのために仕事をするのか?それは自分自身の道をゆくため。
なんのために生きるのか?生きることを与えられているから。
本当に毎日を「おかげさまで」の気持を忘れることなく、謙虚にひたむきに生きていきたい。
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