会社勤めをやめて早5年半。一番良かったと思うのは、ぎゅうぎゅう詰めの通勤電車。その時間帯は混雑して不快だからもっと早い電車に乗ろうとは思わないのかと思うぐらい、あの混雑ぶりは異常である。あのラッシュに毎日巻き込まれて通勤する人々。会社にたどりつく頃には一仕事したような疲労感。さらに帰りの電車。21時をすぎると地下鉄やJRの車内はにわかに酒臭が漂い、気もち悪い。そして真っ赤な顔がいっぱいつり革にぶらさがってとても妙。ふらふらしているのにやけに陽気な人、昼間の発散かやたらでっかい声で話す人、椅子を陣取って寝てしまう人…。タイミングを逃し、この時間に電車に乗るといつも後悔してしまう。どこかの新聞に書いてあったが、「日本人は位牌をいつも持って歩いている」…これは、ケータイのことである。海外の方からすれば異様な風景らしい。確かにそうかも。(時には自分も同じ)車内を見渡すと、大切そうにケータイを握り締め、じっとそれをみつめ、静かに微笑んだり神妙な顔をしたり…。ケータイをこれほどにまで肌身離さず、愛している民族は日本以外にないというくらいに。さらに電車の話題は続く。通勤タイムよりも昼間に電車に乗る時間が多い。昼間の電車は「ゆりかご」である。働き盛りのビジネスマンが、うつらうつら…。勤務中の移動時間はOFFタイムなのかスーツ姿で漫画本のページを繰っているビジネスマンもいる。なんだか、しまらないなあ。という感じがしてならない。こういう奴には仕事は任せられないぞ。
最近、もっとも「壊れている」と思うのは、「女性専用車両」という発想だ。はっきりいってこの発想をする企業を、それを容認する国を、嘆かわしいと思う。もちろんどうしてそれが必要かということ自体こそがまずは大問題であるが、電車はトイレや銭湯ではない。どこの国にそんな男女区別? 差別? をしている国があろうか。この間違ったサービス? は今、東京だけでなく、大阪にも広がっている。驚いたのは大阪の女性車両。まず、ホームにはでかでかとそのサインが掲示されており、男性陣は立ち入り禁止状態。その電車がホームに入ってくると、「ただいま到着の電車、○号車と○号車は女性専用車両となっております。男性のお客様はご遠慮くださ〜い」という構内放送が、でっかい関西弁で流れる。さぞかしこのアナウンスを聞かれる心ある紳士たちは気分を害すだけでなく、「生きにくい町になったなあ」と肩を落としておられることと思う。(先日、ニュースで男性アナウンサーが「じゃあ、今度は男性専用車両を作ってほしいものですなあ。」と報じていた。)さらに、関西の電車は驚くことが多い。(単に慣れていないということかもしれないが)街角のファッション同様、東に比べて主張が強いせいか、(これ自体は決して悪いことではない)優先席までがとても目をひく、ハンディキャップのマークがいっぱい入ったカラフルなデザインなのだ。目立つように、皆にわかるように、お年寄りや障害のある方がこられたら優先的にそこを空けようという気遣いからのデザインという意図なのかもしれないが、そのデザインは電車全体のイメージを低下させ、品位のない、バランスに欠けているものと感じる。そんなに目立たせる必要はない。そのシートに座る人は、きっと嫌だと思う。おかしな過剰サービスだ。顧客満足とは何か。そして、さきほどの専用車両もこのハンディキャップシートも、携帯禁止放送も…すべて幼稚な次元の話である。大人なら何もいらない。書いてなくても、別にしていなくても、きちんとできる…はずであるが、現実はそうでない。
接客も壊れている。ファーストフードだけでなく、見た目高級なレストランにいたるまで…。最近の20〜30代の人の接客を見ていると、オーダーなどを確認する際、締めくくりに「大丈夫ですか?」というのが主流のようだ。それを聞くたびに、「何が大丈夫? おまえになんか心配されとうないわ。第一、ここはそんな言葉を使う場面と違うだろう。これでよろしいでしょうか。と自分の仕事をお客様に確認させていただく場面だろう。一体何様だと思っているんだ〜」と怒りがこみあげてくることもある。
BSE、鳥インフルエンザの問題…食をとりまく環境も、穏やかではない。解決の方法が、マスコミの報道が…自己中心でありつづけた人間の行為を反省することなく、ますます自己中心的で、自分で自分を不安のドン底に落とし込んでいる。そんな対策に対しては、なんの「安心感」も生まれてこない。ただ、気の毒なのは「処理」されていく大量の「いのち」。これは世界的な病であるが、その中でも日本はとくに情報に惑わされ、自分自身の「あり方」を見出すことができず、ただ、おろおろしている。そして自分のその場のリスクから逃れるために虚偽が生まれ、悪循環になっている…。
今回は、「ぼやき」のような内容になってしまったかもしれないが、私が最近痛切に感じることを挙げてみた。
今の日本には情けないことが多すぎる。忘れられていることが多すぎる。そして、「元気」が少なくなってきている。パワーがなくなってきている。これからアクティブシニアの時代ということで、いろんなビジネスが生まれているのは結構なことであるが、年寄りだけ元気でも仕方ない。そして、自分勝手なこと・人が多くなってきた。相手を思いやるということがどれほど大切なことか…。最近飲み屋で出会ったおじさんが「そのとき、どうする?」という言葉を好きだといってたが、まさにそうだ。「そのとき、どうする?」それは己のためではなく、相手のために。「相手がどう思うか」「その相手のために、今、どうする?」ということが本当に大切だということを最近つくづく思えてならない。

話が変わる。櫻が咲いた。毎年このとき、「日本に生まれてよかった」と心から思う。こんな美しい花を見事に咲かせる国は日本以外にない。地球のリズムが狂い始めているのに、今年も咲いてくれてありがとう…という気もちになる。心の兄がメールをくれた。「人の人生は絶対時間に差はあるけれど、誰にでも櫻のように美しく見える瞬間がある。いかに美しくではなく、『いかにありたいか』が大切だ。櫻のように、瞬間瞬間を大切に今日も生きよう」という内容。有難い。少なくともこんな気もちで日本中が動き始めたら、上に書いたことはすべて解決・解消されるように思う。壊れた日本を直すことはできる。それはひとりひとりが「いかにありたいか」を真剣に問い直すことに始まる。私もこのことを追求する毎日を謙虚におくっていきたい…。雨で散り往く櫻に思いを馳せて…