現地時間4月12日午前。マンハッタン市内からJFK空港にタクシーで向かう。土曜ということもあり、またこの戦争により、町も空港もがらんとしている。東京〜シカゴ〜パリ〜ワシントン〜NY〜東京とこの6日間で5回空港でチェックイン、お決まりの手荷物、ボディチェックを受ける。NYへたどり着くまでは思ったよりもスムーズにパスできたが、JFK空港のチェックは毎度のことながら面倒で気分を害する。同時多発テロ後、何度も飛行機に乗っているが、こんな善良な一日本女子を捕まえて、何の疑いがあるかというぐらいの失礼なチェックなのである。前回はパソコンをパワーONさせられ、データをチェックされる。わたいの作ったデータはおまえらに関係ないもんだし、大した内容じゃないから見るだけ無駄だよ。と思っても、流れ作業的にチェックは進む。そして本日もそうだ。たまたまアクセサリーか何かがセンサーに反応したらしく、私はさらし者のように、コートを脱いだ上、さらにTシャツ1枚になるまで上着を脱がされ、靴ももちろん脱がされた。そのチェッカーはどう見ても10代後半か20代の前半の若い女。「あっちへ移れ。自分の荷物に触るな。ボタンを開けろ」とガムをくちゃくちゃ噛みながらの命令。なんでおまえに命令されなければならんのじゃ〜。命令ではなく「お願い」ではないのか。せめて「PLEASE」を語尾につけるとか「MAY I CHECK YOU AGAIN?」とかいえんのか。そして、このふざけたチェック女はお客様である私が命令に従って行動すると、「ふふん」と鼻で笑うのである。結果的には問題なく(当然、当たり前であるが)チェックが終わっても「THANK YOU FOR YOUR COORORATION」の一言もなく、脱がされた衣服や靴、荷物と私がそこに取り残され、そのチェッカーは元の仕事ポジションに戻っていった。どんなに気分悪くしたことか。思わず空港の責任者出てこーい。と叫びたくなってしまった。こんな思いは久しく体験した記憶がない。ふとその周辺にいる、多数の警察官や空港警備員などを見渡すとどのメンバーも「目が」うつろ、生きているのか死んでいるのかどこを見ているのか! 急に恐ろしくなった。なんだ、この国は。と……。自分たちが就いている厳重かつ重要なセキュリティチェックという仕事の意味を考えているという様子もなく、ただ単に時給いくらで雇われているやる気のないパートタイムのようだった。
そのとき、今朝テレビで見た番組を思い出した。それは戦士した兵士の家族がインタビューに応えているというものだった。どの家族も戦死した兄弟や夫を誇りに思うという内容であった。それは、ちょうど2年前の911事件で、NYの消防士たちを英雄として讃えていたアメリカのヒロイズムを思い出させた。WTCおよび周辺で被害者を必死に救出しようとして自らの命を亡くした消防士と、はるかかなた遠くのイラクで亡くなった戦士……。いずれもアメリカという国のヒロイズムの象徴。彼らの世界では、「自己を犠牲にして国に尽くした」という解釈では同じであろう。でも、イラクに向かった戦士は、彼の意思とは関係なく自分の命を落とす前にイラクの市民を傷つけ、あるいは殺していたのかもしれない。
滞在していたホテルのスタッフ、タクシードライバー、NY在住の友人みな戦争は反対である。という。ホテルのスタッフはあのテロで友人を亡くし、それ以来立ち直るのに時間を要し、何を信じて生きればよいのかわからなくなってしまったと話す。ようやく立ち直ったときに今回の戦争。一般の市民にとっては、あの痛みを体験しているだけに、「戦争という痛み」は自国の恥と重なり、尚苦痛なものになっていると理解できた。アメリカ人として複雑な思いだと……。
しかし、テレビで見るアメリカは違う。家族は誇らしげに戦士した家族を讃え、なんと「陸軍」を賞賛するTVCFも時折流れ(こんなのは見たことがない)セグメンテーション、専門化が徹底しているアメリカのことだから、きっと戦争専門の広告代理店とかいるのではないかと思ったぐらいだ。ナチスの時代にいわれた「プロパガンダ」という装置が21世紀にも用意され、国家はその指導者の自己目的のために、その武器を徹底的に駆使して、国民を煽っている。
しかし、空港で見たボディチェックを仕事としている若者の目に生気はなく、空港会社のチェックインカウンターで働くスタッフもいつ自分も解雇されるかを不安がっているように暗い顔つきであり、そこからは笑顔も出てこない。空港でお客をまつタクシードライバーのオスカーは夕方7時まで客がなく、空港で2時間待ったと戦争のおかげで生活が苦しくなったことを訴えていた。
国家という枠組み、そして国を動かすリーダーたちと、そこに住む国民との間にとてつもないギャップを感じ、また一部の純粋な人間たちが、そのプロパガンダに巻き込まれ、ヒロイズムの中で意識のない罪を犯し、そしてそれに気が付かないで、自らも死んでいく……。
突進するアメリカ。テントを国家専用機で運び、とても良いことをしました。といっているどこかの国。どっちもどっちであるが、いえるのは「国」とはこういうものですか? ということである。国とは本来個々人が豊かに生活するためのステージであるべきではないか。そしてその個々人がその国内でのみならず、世界どこへいっても心豊かに強く生きていけるよう「育つ」大切な教育の場ではないのか? コスモポリタンとして自国に誇りをもって生きていける文化人を創造する場ではないのか?

飛行機の中で、瀬戸内寂聴さんと桜井洋子さんの「日本が好きだから」という本を一気に読み、大変参考になったがそこにもあるとおり本当に本当に「国」を引っ張るリーダーたちは、見識と教養と勇気をもって、仕事をしてほしい。
もっと現実(市場)をみて、何が本当に課題であるのかをしっかり見据えて欲しい。政治がしっかりしなければ、そこで働き、生活する人たちのビジネスも暮らしもよくなるはずがない。マーケティングも何もあったものじゃない。

とJFKのボディチェックでの怒りから、かなり話が進んでしまったが、あのガムを噛みながらにやにや仕事をしている彼女たちが、本当の意味で成人したとき、「アメリカ」という国は今のように存在するのだろうか? いや、成人しないのかもしれないが……。
日本とて同じことである。決して決して人事ではない。

NY最後の夜、イーストビレッジにある黒人のアーチストたちが出演するBARを訪れた。DJのトークは反戦のブラックユーモアで始まる。「どうせ、石油がほしいんだろ」的なニュアンスの話をすると、場内は大爆笑と拍手。そしてその後、若い男女たちは音楽と酒に酔い、ステップを踏む。
ふと思った。この客の中に、家族が戦争に行って、自棄酒を飲みに来ている人はいないのかと。
一見盛り上がる夜のNYにもどことなくやるせなさが漂っているようだった。

もちろん、国のことを言う前に自分でできることをしたい。それは、自立した人間になること。どこででも生きていける術とたくましさを身に着けること。
そして自然体の「文化人」になること。素晴らしい文化をもった日本に生まれたことに誇りを抱き、きちんと世界と対話できる素養を身につけること。
これが、まずの課題ではないだろうか。
もうそろそろさまざまな「枠」がなくなり、本当の意味で、私たちは大海原に投げ出されるかもしれないのだから。

〜JFK空港で、愛する憂国日本を思いながら〜