子供の頃、学校へ行くのは当たり前だった。なんたって子供の義務だから。
学校へ行っているということだけで親も安心していた。さすがに中学生時代は、スカートを長くして(本人はおしゃれのつもり?)、放課後に買い食いをしていたとかで(育ちざかり?)、どこかの父兄に密告されて、親が学校に呼び出されたこともあった。そのときは学校も先生も大嫌いだった。今となっては懐かしい思い出である。
私はピアノの道に進まないことを決めた19歳、残された職業の選択肢は学校の先生だった。自分でもそれは憧れの職業であったし、なれたらいいなと思ってはいた。大学でも教職を選択し、教員免許はとったものの、社会科の教員免許保持者は全大学の全学部でもっとも多いだろうから、コネもなく、受験勉強が大嫌いな私には、当然採用の道は閉ざされていた。
しかしながら、浪人中にピアノの先生をバイト代わりにやったり、家庭教師の真似事もしてみたりと人に何かを伝えることは好きだったし、今でも教育の現場には大変興味がある。そして、教育とは、学校だけでなく、家庭、職場、それぞれ人が生きるステージにおいて必要不可欠なものであることを、社会人歴が長くなればなるほど痛感している。
今、企業のマーケティングコンサルタントをさせていただいており、人様に物事を伝えるのはなんと難しいかということを感じている。そして、発信する立場になると、常に素材、ネタを求められているし、いかに表現するかというテクニックも大切だと心得るようになる。そう思うと、実際、学校の教壇に立たれている先生方は、そんなことを日々考えておられるのかと気になってくる。
いわゆるプレゼンテーションテクニックと、コンテンツの問題である。受け手はもちろん内容の濃いコンテンツを求めているが、表現がうまくないと伝わるものも伝わらない。自分が発信する立場に立って改めて思う。
さて、これまでの年功序列のシステムが崩壊し、実力の時代になる!ということで、周りとの差別化のためにキャリアアップの勉強をする社会人が増えている。また、高齢化社会で、時間的ゆとりができた大人たちが、文化的教養を求めて、学校へ行き始める。とくに、これからは国際化の時代とかで、英語力をつける勉強をする人が増えている。
学校へ行くこと、勉強は子供の義務。と最初に書いたが、そうではない。大人になってからの方が勉強しなければ「食べていけない」のだ。生き残れない。
私は上にも書いたとおり、学校という場所が結構好きで、今だに機会があれば、いわゆる学校以外のビジネスセミナーなども含め、いろいろつまみ食いを楽しんでいる。ここにはいろんな出会いがあり、普段の世界とは異次元なので大変刺激がある。
うちの近所に、早稲田大学がある。ここでは、社会人向けの講座を多数もっており、OB.OGから地域や一般の社会人まで幅広く受け入れていることで定評がある。
実は、私も英会話とパソコンの講座にエントリーしたことがあった。会社をやめてからは、苦手なパソコンも自分で格闘しなければならない。しかし、あのわかりにくいマニュアルを解釈して、実践する時間はないのであるから学校の方が効率がよい。また、海外に出る機会も多いので、もうちょっと話せてもいいのでは?と思って、英会話。それはアメリカ人の先生の授業であった。とくに英会話の教室は中年以上の、しかも英語がすでにできる紳士淑女が集まっておられ大変恥ずかしい思いをした。そして定年後、楽しみにキャンパスに通われている紳士に「本当においそがしそうですな〜〜」と言われ赤面したものだ。彼らから見ると、ビジネスも単なる趣味のひとつぐらいにしか見えないのだろう。それにしても、皆さん真剣であったし、和気藹々としていい雰囲気だった。
それから、最近はお世話になっている作家Nさんの記念パーティーで出会った女性誌の神様(昔から尊敬していたのでお会いでき本当に感激した!)S先生からご案内いただいた九段下にある女子大の生涯教育のセミナーに申し込みをした。ひとつはその先生の「すぐに使える(このネーミングの付け方が先生らしい?)男と女の心理学」と、フランソワーズモレシャンさんの「国際人になるためのプレゼンテーション」というセミナーである。いずれも短期集中のセミナーであり、普通であれば楽々通える土曜のコース。
4回シリーズであっても出張が途中で入り、皆勤賞はとうてい無理。結局休んではもったいないので、後輩に受講票を譲ることにした。もちろん、行けるときにはがんばって通った。そして生徒という立場で物事を聞き、吸収した。それは本当に新鮮であった。そして、職業柄、授業のコンテンツだけでなく、その先生が授業に対し、どこまで真剣に準備をされているかを拝見するのも、大変参考になった。生徒の興味をそらさないようにさまざまなインセンティブを付加しておられる先生もおられた。仕事でもそうであるが、アウトプットは疲れる。しかし、インプットは楽しい。これが人生の醍醐味とも思える。先生方はつねに魅力的で、人を飽きさせない力をお持ちだった。
そこで感じたのは「インタラクティブ」ということである。学校もコミュニケーションである。これがないとどちらもが欲求不満になるのではないか? 現在のくらしでは、学校へ行くというのは、どうしても時間の制約があるため、なかなか思ったとおりに行動できないが、その場に身をおくという拘束感が、またよいのだと思う。
今後もいろいろ発信する機会があるが、時々は生徒になって、真摯に素直に真剣に、発信者である先生から自分の未知の世界を学びたいと思う。
そう、身銭を切って学ぶことは大切。そして、自分が意識すればどこでもそこが学校になる!