9月11日、楽しみしていたNY行きが、同時多発テロで実現できなかった。そして、約1ヵ月後にまた飛行機の切符を手配していた。
出発の2日前に、ついにアメリカのタリバンへの報復が始まったとテレビ、新聞が報じた。
「ねえ、戦争がはじまったんだよ。本当に行くの?やめたら?」「本当に自分勝手な奴だなあ。君は好きなところへ行って死んで、そりゃいいだろうけど、こっちはえらい迷惑なんだからな」「もう年内は、絶対アメリカへ行くな」「無理はしないでください」「できれば行かない方がいいんですけどね」と周囲からいろんな声、聞こえているが…。
でも、どうしてもキャンセルをする気にはなれなかった2001年October NYへのショートトリップ。私の愛する町が本当はどうなっているのか、それだけを確かめたかったのだ。この目、この耳、この鼻、この手足で確認したいことがあったのだ。この10年間ずっと私に勇気を与えてくれるあのNYは本当に変わってしまっているのかどうか。1ヶ月前、シカゴへ行くつもりがアラスカフェアバンクスへ降り立った話は前号にて書いたが、事件後3〜4日間、日本語のない報道のなかで自分なりに動物的に感じ取ったアメリカの悲しみ、怒りがある。それが1ヶ月の間にどうなったのか。残念ながら、テレビで見るブッシュも、パウエルも私に欲しい答えを与えてくれなかった。パソコンがあり、通信の環境さえ整っていれば、仕事は通常どおり行うことができる。よし、行こう。パスポートに航空券、財布の次に大切なのは、パソコンとメール用モジュラーである。

成田発JFK行き。予想どおりかなりの空席が目立つ。2万人の削減を決定されているユナイテッド航空のスタッフはどんな思いで仕事をしているだろう。そんなことから気になる。機内は平和、快適である。着陸が近づくにつれ、緊張が高まる。無事に空港を出られるか、マンハッタンへたどり着けるか。
思ったよりも平常どおりである。タクシードライバーによると、空港からマンハッタンに向かう途中に、大掛かりな検問があるため、2時間以上かかることもあるらしいが、今回は大変ラッキー、大変スムーズにマンハッタンへ到着。予約しておいたホテルも、見た限りでは賑わっている様子。しかし、新聞を見ると、かなりのディスカウントを売りとしたホテルの全面広告が目立ち、稼働率が40%という報道もあり、アメリカのホテル業界は深刻である。従業員を2万人カットする大手ホテルチェーンも出てきている。

NYの10月はもう夜明けが遅い。明るくなるのを待って、町に飛び出す。新聞、テレビでも報じていたが、町ではいたるところに星条旗が風になびいている。何かを主張している。普段以上に訴えている。“United We Stand”や“God bless America”という文字が目に飛び込んでくる。あの悪夢の9月11日から1ヶ月が経とうとしているが、どのビルにも、ストアにも、車にも、人々にも、トリコロールカラーのフラッグ、リボンが施されている。そして夜のエンパイアステイトビルのネオンも赤、青、白に美しく染まる。実はこれは湾岸戦争のときにも見たことがある。そのとき黒人のガイドが「戦争のときにはこのビルはこの三色になるんだ。戦地へ行った兄弟の安否が気になる…」といっていた言葉を思い出した。またもや悲しい戦争がはじまったのだ。
私はいつも歩く道をひたすら歩いた。パークアベニュー39STからどんどん南下。何も見落としてはいけないという思いでどんどん突き進んだ。途中でユニオンスクエアの朝市に出会う。いつもどおり焼きたてのクッキー、花や野菜などを売る店に人々が集っている。ここは平和である。安心。さらに南下。NY大学を過ぎて、ブロードウェイへ。SOHOと言われる一帯へ足を入れる。大変静かである。時間が早いせいか、閉まっている店も多い。南に進むにつれ、緊張感が高まってくる。リトルイタリーのいつも休憩をとるカフェローマという店を覗いてみる。ウインドーには星条旗のステッカー。静かな店内には店主とその娘しかいない。例の事件では被害はなかったかという問いに、「私たちは無事だったけれど、あれから観光客がまったく来なくなった…」と悲しげに答えたのがとても印象的で、ついいつもの倍の量の珈琲豆を買う。お互いに「Take Care」という言葉をかけあいながら、店を出て、また南下。チャイナタウンがあるCANAL STを越えたあたりから、町の様子が変わった。そう、息苦しいような感じがする。匂いがあるというよりも何かが喉にささる感じがする。そういえばすれ違う人々は、マスクをしている。ハンカチで口を覆いながら、それでも足は止まらない。どきどきしながら南下する。そこから15分ほど歩いてウォール街にたどりついた。道々には通行止め、立ち入り禁止のフェンスが歩行の妨げになる。その合間をぬって進んでいく。ありし日のWTCの写真や絵画を売る人々が増えてきた。
そして、フェンス越しにあの現場を見ようとする人々…。日本人はほとんどいなかったようであるが、1ヶ月を経過した事故現場には、今なお、世界から多くの人々が集まってきているようだ。
前方に崩壊したWTCの残骸をみつけた。言葉が出ない。いつもよりNYの空が大きく思えたのはこの一帯のビルが消失してしまったから。ウォール街はいつ来ても影の町というイメージがあった。しかし、今回はやけに空が広く、そして青い。
私が心配していたトリニティー教会は、WTCの真裏にある伝統的な教会である。