4年前の9月11日。NYのあの惨劇。皮肉なもので、世界にはそれ以降も悲痛な事件がくりかえし起きることで、いつしかあの衝撃は時間の経過とともに、「過去のもの」になりつつある。しかし、私にとってそうはいかない。今でも、もし1日ずれていたならここにはいない。このことを思わない日は1日もない。
ローマ法王が亡くなった翌日の午後。元ワールドトレードセンターの斜め下にあるウォール街のトリニティ教会にいた。そこではフルート奏者たちが天上に響く美しい音色を奏でていた。目を閉じ、聴き入りながら音楽というものは、生死の間に染み入るような不思議なパワーをもっているのかもしれない…この神聖なる空間で演奏するということは素晴らしい行為。自分も一度でいいから、この場所で自分の思いを表現してみたい…という思いがふつふつと沸く。それは、あの日を境に日々増している生への感謝と、不運に亡くなられてしまった方々への哀悼の気持ち。 よし、いつかやってみよう! 心に決めた私は、その後もNYを訪れるたび、このことを思い出すようになり、折に触れ、インターネットでこの教会でのコンサートの詳細を調べるようになる。そのコンサートは「ONE Oォclockコンサート」といい、午後1時からの無料コンサートを年に何回か行っている。初めての試みで、しかもインターネットでは受付をしないとあったので、知り合いを通じてエントリー。さすが、自由? OPEN? のアメリカ、なんでもウェルカムなのか、よっぽど下手な人はエントリーしてこないと思っているのか、突然「10月18日10時24分に来てください」という直接的なインフォメーション。パスした場合のコンサート1時間分のプログラムと写真、プロフィールを持参せよとのこと。事前の書類審査などはない。半端な時間の召集であるが従うしかない。 エントリーしたはいいが、実際仕事に追われ、気になりながらも月日が流れ、まったくの無練習のまま、渡米することになった。かろうじてプログラムだけは1週間前に考案。せっかく日本から行くので、日本の文化も伝えたい。また日本人の方への哀悼の意味も込め、日本の曲も含めたノスタルジックピアノコンサートを企画する。プログラムはよくできたが…弾けるのか?この日のためにせっせと毎日練習している人に対して、申し訳ないほど。試験を受けるのに練習もせずに行こうとしている。こういう試験は一夜漬けではどうにもならないことがわかっているが…。 前々日夜NYに着いた。さすがに前日1日は集中的に練習をと思い、マンハッタンのスタジオを探し借りて特訓。運よくホテルの近くにいい場所をみつけた。審査員にどんな要求をされても、応えられるかどうか。演奏の問題、言葉の問題…考えれば不安だらけであるが、ま、やってみるしかない。ここまできたのだから。前夜遅くまで練習。そのとき、ふと自分はなぜここに来てこんなことをしているのかと思うと、それだけで胸がいっぱいになった。好きなことがすぐに実行できることの幸せ。いつのまにかオーディション自体は副産物のようにも思えはじめていたことは確かだ。やりたいことに挑戦できることだけでも幸せであると思ったのだ。穴倉のようなスタジオでひとりすすり泣きながら演奏していた。坂本九の曲を練習しているときだったか。 さて、肝心なオーディションの当日。朝、会場に向かう前にまたスタジオに寄り、指鳴らしをして、歩いて会場へ。抜けるような青空。気分は最高。何が起きても平気。天にも昇るようなすがすがしく、高らかな気持ちであった。 コロンバスサークルにできたジャズリンカーンセンター。ここが試験会場。エレベーターに乗り、受付に向かう。受付のリストを見ると私は3人目。もうすぐ始まる。順番に試験室へ入る。部屋の外で聴いていると、演奏者たちのレベルは高い。やっぱり…。花のNYだもの。ま、仕方ない。笑顔でがんばろう。とわけのわからないことを考えていると、1番目の演奏者が試験室から出てきた。あ、元気がない様子…。「いやー、トップバッターは難しいよ」と独り言をいいながら、肩の力を落とし、しばし呆然とし、ゆっくり靴を履き替えている。2番目の人が演奏している間ずっとその紳士を見ていた。彼はこのオーディションに賭けてきたんだ。それに比べて練習もしないでやってきた私は不謹慎者…。2番目の人が終わり、ドアが開いた。その演奏者は私に「GOOD LUCK」といった。この一言がとてもうれしかった。深呼吸をして会場へ入った。 スタインウェイの年季入りピアノ。とにかく途中で止まらなければよい。よろしく…そんな気持ちで、審査員にぺこりと頭を下げ、もしも実現したらコンサートで最初に弾く予定の曲を弾き始めた。(枯葉)続いて、審査員から指定された曲を。3曲目では歌ということで・・・。3曲目で「THANK YOU」といわれ、おしまい。(ちょっと、選曲間違えた?かも?)それでも平常心を装い、笑顔でおじぎをして、退室。今でも焼きついているのは、黒人の審査員の紫色のセーター。かっこいい。やっぱりNYの芸術家はセンスがいいんだ。ということ…。あと年配の審査員の微笑みが今も忘れられない。練習していないわりには、止まらずなんとか弾けた。でもこんなことで受かるとは思わない。でも運よければ…の気持ちで 返事が来るのを楽しく待った。 2週間後、東京へAIR MAILが届く。やはり今回は残念ながら…の結果報告。でも、これですっきり。そうだよな。あれで受かるわけがない。もっと練習しなければ。そう、もうオーディションの雰囲気もわかったし、次はもっとできる。と、次のエントリーを考えている。 生きているうちに、1度でいいからあのトリニティ教会で。カーネギーホールなど大それたことは夢の夢。でも、自分の人生の軌跡をあそこで表現したい。NYに訪れるたび私を励まし続けているあの教会で。 さあ、まじめに練習。とあるバレリーナがいった。3日練習を休んだものは3日分後退する。だから取り戻すには倍の時間を要する。ピアニストも同じ。その精神を忘れ、雰囲気だけに酔って生きている自分を反省。毎日の積み重ね。実力はそこからしか生まれないのだ。最初の演奏者だった落胆おじさんは、パスしただろうか? また彼も次に向かって意欲を燃やしているだろうか。 さて、オーディション。これは瞬間芸。すべての力がそこで一気にはじけなければならない。たまにはいいものだ。あの緊張感。小学校の音楽コンクール以来かもしれない。またがんばろう。そんな気持ちがまた沸いてきた。 ありがとう。NY!
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