人は誰でも誕生日をもっている! と確信していたら、そうではなかった。
NYに住むチベット人の友人は、自分の誕生日を知らないといった。○月○日ぐらいだそうという。「どうして?」と聞くと、お母さんが覚えていなかったらしい。役場に行くこともない国なのか?それとも何かの都合で届けるのが遅れたのか……とにかく正確な日は知らないまま、仮?の誕生日でもって48年生きているそうだ。日本人にはちょっと信じがたい。時間軸や世界観が違うようだ。
一方、欧米人とくにアメリカ人は独自の「アニバーサリー」文化をもっている。
これはギフト市場やカードビジネスの成長と大きく関係するが、アメリカにはホールマークのようなカード専門店も多く存在するし、ドラッグストアや大型スーパーマーケットのいずれにもカード&ラッピング売り場が併設されており、商品のアイテムも多く、ボリュームもある。
カード売り場をよく見ると、たとえば「誕生祝」のカードの場合、「ママ向け」「兄弟向け」から「いとこ向け」まで存在する。かなりセグメントされたターゲット別にカードを用意している。(まだ、ペット向けは見たことがない)絵柄も豊富であり、とくに差し迫った記念日がなくとも、なんとなく選びたくなる楽しい売り場である。
また、クリスマスシーズンになると毎年思うことであるが、世界で一番誕生日を祝福されるのは……恐らくイエスキリストである。
その祝福ムードは欧米に行けば存分に味わうことができる。ロックフェラーセンターの大型ツリーに代表されるように、町のいたるところにきらびやかなツリーやリースが出回る。ショップのディスプレイだけではなく、郊外に行けば、各家庭の庭でキリストの生誕を表現したデコレーションが施されており、夜になるとライトが点灯してそれはそれは美しいそうだ。雪の夜はとくに最高!
話が脱線したが、クリスマスはビジネス上でのビッグチャンスというだけではなく、記念日という視点から見ても興味深い。
欧米では記念日カレンダーという商品があり、家族や友人の誕生日やその他の記念日をメモしておく専用カレンダーであり、それを見ながら、カードやプレゼントを送るという習慣がある。日本ではなかなか定着しない文化であるが、身近な人にメッセージやプレゼントを贈る、あるいはパーティーを開く……という機会も大変メジャーになってきた。
「もう年だから誕生日なんてうれしくない」という人もいるが、私は誕生日は好きだ。プレゼントをもらえるとかそういうことではなく、(もちろん毎年ダイヤのリングをもらえたらとてもうれしいが???)自分の半生の節目を確認できるからだ。
いつからか忘れたが、誕生日の朝に田舎の親に必ず電話をすることにしている。
「今日は誕生日やなあ」「おかげさんで40歳になりましたわ」「おばんやなあ」
30歳ぐらいまではそのたびごとに「で、いつ結婚するんや。いつ岐阜に戻るんや」などと誕生日をいいことにそんなことをよく言われていたが、今はもうそんな話もしなくなり……「おかげさんで元気に生きてこられましたわ。ありがとうね」「何にもしてやれんけど、まあ、元気でがんばっておくんな」と、まるでばあさん同士の会話のようであるが、まあこんな感じで1日が始まる。
誕生日は、まず親や周囲に感謝をする日でありたいと思う。
同い年の友人が誕生日にこんなメッセージをくれた。「おめでたいかどうかはおいといて、とにかく40年も生きてこられた強運に感謝しなければいけないよね。だって40年も生きられない人がたくさんいるんだよ。だから毎日毎日かみしめてがんばらないとね。また明日からオーだぜ!」とてもうれしい言葉だった。まったくその通り!
さて、結局今年の誕生日。その日は海外からのお客様をお呼びしての、クライアントとの会食ミーティングであった。たまたま食事をしたレストランの席上で、得意先の方が、今日は私めの誕生日であることを公表されたため、全員で「おめでとう」の乾杯をしてくださった。
それだけでも胸がいっぱいになったが、なんとそこは豆腐と焼き鳥の店であるにもかかわらず、誕生日のお祝いとしてボージョレーヌーボーやらなんと!
デコレーションケーキまで登場!(しかもロウソク付き)したのである。しかも、スタッフが「ハッピーバースデー」の歌まで歌ってくださって……。こんなサービスまでするお店とは思わなかった……という驚きと、自分ごときのために、ここまでしてくださる周囲の心遣いに心底感動した。もちろん40歳になりたての小娘の目からは……。
そしてその会食はそのショータイムも含め、最高に盛り上がり、楽しくお開きとなった。
興奮と余韻が冷めやらず……のご一行は、そのあと、健全なカラオケボックスへ直行、シンデレラになるまで、歌声喫茶タイムをエンジョイした。……とまあ、なんとビジネスライクアンドハッピーなバースデーであったことか。
思わず、翌日お店に御礼状を投函した。
おかげさまで、素晴らしい一生忘れ得ない1日になったことは間違いない。
毎日が誰かのバースデー。そして誰かが亡くなっていく……。
宇宙的に見れば自分の存在はミクロな粒子かもしれないが、それでもその粒子が世の中に存在していることは確かなのだ。
記念日は自分を振り返り、回りに感謝し、また心新たにスタートする日である。
素敵な40代を切り開きたい。素敵なエイジングを目指して……。
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