イタリアをはじめて訪れたのは3年前。当時も現地の食実態を学ぶことが訪問の目的であった。今でこそ、すっかり馴染みのスローフードという言葉をその当時もすでに使っていた記憶がある。そして、今回は「マンマの味を体感することで、今日本が忘れかけた食事の本来のあり方を見直す」ということが目的。常に自国の食文化を大切にしており、しかも日本人の味覚によくマッチするといわれる南イタリアを訪問地として選んだ。
今の時代は大変便利で、いろんな情報をインターネットから集めることができる。まだ見ぬ町のこと、人のことについてキーを叩くだけで調べることができるのだ。今回この旅を企画する際、日本にはいかにイタリアに精通する人が多く、各種団体・組織があることかを知り、驚いた。イタリアという国は食・音楽・ファッション……と文化のすべてが魅力いっぱい!!
ということなのであろう。
いろんな業界の方や団体・企業にお世話になりながら、私たちの「南イタリアマンマの味をさぐる旅」は企画もまとまり、なんとか出発にこぎつけた。気候も大変快適といわれる10月中旬のことである。
最初に出会ったマンマはシシリー第二の町カターニャに住む料理研究家の、いわゆるカリスママンマ?である。ふくよかなそのご婦人は、笑顔で私たち日本人を迎えてくれた。彼女は最初にシシリー島がいかに、豊かな食の宝庫かを解説してくれた。スペイン・ギリシャ・イスラム……いろんな民族・宗教の侵入は、料理においては、新たな食材・調理法を取り入れるきっかけとなったという。植民化された歴史が長い国は結果的に食が豊かになる……という見方である。なるほど!
とアカデミックなレクチャーに感心している間もなく、弟子に指示しながら、料理をどんどん作りすすめていく。シシリーのどこの家庭でも作られているという、魚介のスパゲッティ、野菜のグラタン、いわしのフライ、珈琲ゼリーが当日のメニューで、それらはできぱきと調理され、私たちはほとんど「わたし見る人、食べる人」状態で、出来上がりを楽しみに待った。キッチンに色彩豊かな野菜や調味料がずらりと並んでいたのが印象的であった。
大皿に盛られた料理は食欲をそそる。皆で話をしながら料理をシェアをするという行為はコミュニケーションを促進する。昼間のワインも場の雰囲気を盛り上げる。これらの美味しいシシリー料理を囲んで、気がつけば2時間もランチをしていたことになる。誰も退屈になったりしない不思議な時間。
続いて、カルタジローネという古い町のはずれにある、「アグリツーリズモ」で話題の宿舎に移動、そこの女主人マンマに料理のお手並みを拝見!ということに。この宿舎は人里離れた丘の上にあり、敷地内にはいろんな植物が栽培されており、食事の時間には子どもたちが庭で摘んでくるという羨ましい環境である。夫婦で宿舎をきりもりし、子どもたちもよく手伝う。ここのマンマが教えてくれたのは、生パスタの作り方。参加者全員がエプロンをつけ、小麦粉細工に興じた。日頃キッチンに立たないビジネスマンも思わずはまってしまう、麺づくり。熱心に教えを乞っていると、そこの主人が登場し、横槍を入れる。パスタづくりは男の仕事だ。ともいわんばかりに……。そこで夫婦喧嘩がはじまり、パスタ教室は怪しい空気に。しかし生パスタを見ているよりも、イタリア人のライブな生活に触れることができ、スローフードを知る上で大変参考に。
3日目は、ナポリのマンマである。ナポリ湾を望む市内の高台にその人が住む邸宅はある。ベランダの窓を開ければ、海が見えるという理想的なおうちにお住まいのこのご婦人のおもてなし料理は、キャベツのリゾット、いわしのフライ、サラダ……である。連日、パスタのみを食してきた一行にとって「お米料理」は嬉しい限り。大胆な料理をするマンマの背中で、早くできないかと皆、そわそわ気分。
大きな鍋でたっぷりキャベツをごはんと一緒に煮込む。ベーコンが出汁になっている。ぐつぐつおいしそうな音と湯気……。
みんなで手伝いをしながら、やっと料理が完成! 一緒にテーブルに料理を運んで、食堂で始まったランチ。すると、みな一斉にリゾットの皿に飛びつき、モノもいわず、むしゃむしゃ……。ごはんに弱い日本人を再認識した一幕であった。本当に美味しいものが出ると人はおしゃべりをしている余裕はない。ただ、無言になっていただくのみである。
そんなこんなで一気に食べまくったあとは……食堂にある古びたピアノを伴奏に、カンツォーネの時間がはじまった。さっきまでキッチンで大胆に料理していたマンマは、娘心に戻って、イタリアの民謡を歌い、踊りはじめた。その笑顔は何とも愛らしい。
はじめて会った人どうしが、同じものを食べ、歌を歌い、同じ気もちを共有する。なんて素晴らしい時間が流れているのかと思ったのは私だけではなかったと思う。
駆け足に今回のマンマたちとの出会いと料理のことを書いたが、今回学んだことは、マンマの料理は大変シンプルであるということである。食材は自分の家や近所でとれたものだけを使う。南イタリアでは野菜やいわし料理が多く、それは健康的であり、日本人に大変フィットする。マンマはゆっくり食事を作り、ゆっくり食すことをすすめる。早飯になれている日本人には考えられない時間の過ごし方である。
また、誰もが主食を愛しているということ。パスタやパンがいかに美味しいといっても、コメの力には及ばない。食事とは不思議である。
その人が何を食べてきたか……がすぐにわかってしまうのであるから……。
短い時間のスローフードを探る旅であったが、今、日本人が忘れかけている大切なことを気づくきっかけとなった。
人間は食べるために生きている。生きるために食べる。その大切さを理解し、食事を通じて、もっと会話をもっとコミュニケーションをとることができたら食事は美味しくなるのでは?。もっとその時間を大切に!
そんなことを真剣に思ってしまう。そうすることで人生はもっと豊かになる。(そういいながら、日本に帰ってきたらその志は薄くなりつつあるが……今書いていて改めて反省)
そしてマンマは料理を毎日作っている。大変な仕事である。だから感謝と尊敬を忘れないで。そうすれば、また料理の味わい方も変わってくる。
料理とは愛情の行為である。基本はそれだ。ビジネスありきではない。そこがポイント。最近、日本のコンビニでも「家庭の味に近づけました」というフレーズをよく聞くが、食材や味付けの見た目が変わるだけでは本当は意味がない。その食事のあり方自体が変わらなければ……。
またイタリアを訪ねたい。あのマンマたちの笑顔と料理に出会いたい。その前に、自分の田舎も忘れずに……。
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