本屋の新刊売り場でキラリと光る恋愛小説たち
 仕事柄、本屋へ足を運ぶことが多い。いくらインターネットで情報を24時間、簡単に得られるといっても、やはり次から次へと出版される本たちの装丁を、店先でひとつひとつ目で確認しながら、ページを繰っていく楽しみは格別である。ヒット本のタイトルを見ているだけで商品企画の参考になるし、本屋は私にとって、いつもワクワク、どきどきするおもちゃ箱のような存在だ。
思えば、社会人になってからはビジネス書や雑誌に頼ることが多くなり、小説を手にする機会は学生時代より随分と減っている。本屋へ行けば、流行の本を見逃してはいないか、斜め読みでいいから広く見聞を、というビジネス志向だった私も、最近は本屋へ行くと必ず5対1の割合で、小説を購入するようになった。仕事に関するものを5冊買ったら、1冊はまったく自分のためのお楽しみ本を自分自身に買い与える。領収書のいらない本である。
昨年から、素敵な本たちに出会っている。「あふれる愛」は昨年より大ヒットしている恋愛小説である。どこにでもありがちな、でもありそうでない、自然体の男女の愛の情景を描いている作品である。
文体がやさしく、包み込まれそうな感じがする。毎日、仕事に疲れて眠るときに、うとうとしながら読み、そのまま抱いて眠ってしまいそうな…1冊である。
そして、今、私の心をとらえているのが「サヨナラ イツカ」というタイトルのバンコクを舞台とした恋愛小説である。
まず、このタイトルに出会ったとき、私は驚いた。ちょうど、自分がいつも考えていることと非常に似通っていると思ったのだ。
この本では、人は必ず、いつか別れていく運命にある。そういうものだ。だからこそ、出会いがある。そして、大切なのはその別れるときに、「愛したことを思い出すのか」「愛されたことを思い出すのか」。主人公は前者だという。そんな人生をおくりたいという…。
この小説のストーリーは簡単に書けば、若い頃、全てを賭けて愛し合った男女が愛しながらも別々の人生を歩まざるを得ず、片方が癌に冒され、死の間際にようやく再会でき、愛を確認し、そして死んでいく…というもので、その悲哀と小説の舞台であるバンコクという土地の熱気が妙にうまく絡み合っており、人を愛すことの情熱と悲しさとを読む人にひしひしと伝えているのである。
そう、舞台は、ザ・オリエンタルホテル バンコクの『サマセットモームスィート』(まだ、もちろん泊まったことはない)。

大好きな人たちとの別れも増えていく
いつも多くの人に出会う。また明日も、また今度も会える。と思って、何気なく過ごしてはいないか。
私はいつからか、いつも今日が最後と思って人と接するようになった。
そう誰とでも、あるとき出会い、そして、いつか絶対にさようならを言わねばならないときがやってくるのだ。それは「死」という別れかもしれないし、そうでないかもしれない。同性との別れかもしれないし、異性との別れかもしれない。
・・・・・・・・・・少し、話がずれるが、年賀状を毎年やりとりしている人から音沙汰がないと心配になる。これはもしかして???ということもある。どんどん話が変わる。以前、この通信にも書いたことがあったが、私が大好きなボードビリアンのマルセ太郎氏が21世紀のはじまりに亡くなった。
最後まで癌との戦いだったようだ。彼の最後の舞台を見過ごしたことが今は大変悔やまれるが、あのするどい眼力は忘れることができない。笑いと悲しみに包まれた舞台を忘れることができない。
今思えば、彼こそ、いつも「サヨナラ イツカ」を念じながら、自作自演していた役者ではないのか。
彼の作品、演技には病魔と戦いながらも、今という瞬間を役者に賭けているその真剣な熱意が込められていた。
ある日、楽屋へ飛び込んでいき、サインと握手を求めたときの目も鋭かった。怖かった。細い腕から出された左手の握手と、いただいた直筆のはがきが私にとっての遺品となった。

「サヨナラ イツカ」だから「イツデモ エガオ」で
話を戻そう。21世紀のはじまりである。生きていることに感謝したい。
ココロ揺り動かされる書物や感動できるモノが自分の周りに溢れていることにココロから感謝したい。
そして、その一方で、20世紀に私たちに多くを与えてくれた人々がこの世から去っていく。
そのときに、その人たちに出会えたことに感謝し、生きていることにやっぱり感謝したい。
これを読まれた方には「サヨナラ イツカ」をぜひおすすめしたい。
これを超えるラブストーリーが書けたら素敵…。次なる私の夢である。
そう、あなたとも「サヨナラ イツカ」。だからこそ、今を大切に、大切に…いつでも笑顔で…。