今年は、「おひとり様の老後」という本が大変売れたそうだ。これを担当した編集者を知っているが、さすが毎回、いいところに着眼されているなあと感心する。彼女も「おひとり様」人生のようで、遠くに住むお母様の介護をするために毎週末帰省され、東京と田舎の往復生活をされていたという話をお聞きしていたので、これらの体験も今回の本が生まれた背景に関係あるのだろうなと思っている。

私は、この「おひとり様」という言葉には、「様」をつける必要はないと思うが、この考え方には昔から賛同している。すでに子どものときからそうだったかもしれない。別に孤独でさびしい少女時代であったわけでも何でもないが、「人間は皆ひとりで生まれ、ひとりで死んでいく」ということをなんとなく意識していた。ひとりであることを自覚していると、気が楽であるし、また諦めもつく。いや、決してネガティブではなく、人にも過度な期待、依存をしなくなるのでよいという点、また自立した自分ができるという意味である。
加えて、子どもの頃から「結婚」というのがどうも自分の生き方には合わないような気がしていた。結婚が悪いというのではなく、私の生き方に合っていないと思っただけである。結婚すると出産・育児も親戚つきあいも含めて、すべて行動の単位が変わってくると思ったのだ。一人でなく、「家族」の一員。家族という社会の中で個を存在させなくてはならない。一人で生きているのとはやはり違う感覚になってくるのである。結婚とは種族の繁栄のための選択であると思う。
結婚では最初は二人1ユニット、子どもができれば3人か4人かが1ユニットになる。そのユニットの幸せと健康、そして発展・繁栄を願うのは当然のことで、それはそれで大いによいことだと客観的に思っている。
しかし、私には「結婚」という形式がどうも苦手で、基本はひとりがよい。、そして時々は二人になったり、三人になったり、ケースバイケースでいろんな組みあわせができるのも面白いと思ったり、1+1が2の1ユニットではなく、1+1が自立した個人のパワーで3にも4にもなる可能性も面白いと思ったり、基本は「ひとりだから〜」と前向きに誤解を恐れずいえる自分でいたいと思ったり・・・。ま、要するにわがままだということになってしまうかもしれない。好き放題に生きているだけかもしれない。
さて、「おひとり様」には、最初から結婚しない「非婚者」のほかに(未婚者ではなく)、離婚者も含まれる、死別者も含まれる。高齢化社会および女性の社会進出などの変化により、「おひとり様」人口は増大中である。
先日、老人ホームを訪問していたとき、もっとも元気でイキイキされていたのは、まさに「おひとり様」を貫かれていたおばあさんであった。彼女には老いることの悲しさなど微塵もなく、常に前向きであった。ちょっと元気すぎて浮いていたかもしれないが・・。しかし、その時代、ひとりで生きてきたのは大変なプレッシャーもあったのだろうと思うと、強さすら感じる。
何かに依存せず、なんといわれようと一人で生きてきた力がそこに見られる。
人は生まれてくるときには、親がいる。だからひとりではない。
しかし、多くの場合、死ぬときには親はいない。その代わり、結婚していれば自分のユニットである家族がそれを見送る。
おひとり様の場合は、ひとりきりでなくなっていくことも多いが、あるいは、仲間や友人に見守られて・・ということもある。
人は、亡くなるとき、おひとり様でよいか?
いえいえ、やっぱりそれはいやだと思うだろう。
できれば、ムシのよい話ではあるが、愛した人たちに見送られたいだろう。
・ ・・ということは、死の手前では「おひとり様」は存在しないのだろう。

これからもこの「おひとり様」市場は拡大するであろう。
自己責任において、自立できる人はどんどんそちらの道を選べばよいと思う。自分もきっとこのまま生き抜いていくであろう。人を愛することと、自立心さえ忘れなければ、おひとりでも、ふたりでも、好きにすればよいのである。いやいや、真剣な話、「おひとり様」が増えて、育つ市場と縮む市場をしっかり見据えていかねば。

最初に書いた編集者の方は、木原美智子さんが最近お亡くなりになり、お知り合いだったようで、「つい最近まで元気だったのに・・」人はいつ亡くなるかわからない・・「あの方を見て、やっぱり生きている間に一生懸命やりたいことをやろうと思った」ともおっしゃっていた。
おひとり様は、今日もいく。たくましく、しなやかに、たおやかに・・。