最近、とあるプロジェクトで原宿竹下通りに店を出したため、二十余年ぶりにあの界隈をうろつく機会が増えた。相変わらずの修学旅行生のメッカのひとつであるし、日本のどこのマーケットにも該当しない特殊性をもった地区である。(ここでのテストマーケティングは意味がないという説はある意味正解と思える)最近では100円ショップやコンビニ、ドラッグストアもできた。といってもそこは「生活の場」ではなく、10代若者たちや地方からの旅行者たちの徘徊の場である。そこには所狭しと立ち並ぶお店の呼び込み専門職がいる。竹下通りから1本入り込んだ店に誘導するスタッフもいる。そのスタッフの何割かは、黒人である。彼らは一通りの日本語も話せ、彼らを珍しいと興味をもつ少女たちに声をかけ、客引きをする。20〜10年前には黒人系の客引きは見かけなかったはずであるが最近はやたら目につく。たまたま、同年ぐらいの黒人女性がある店を探していたので、教えたついでに軽い気持ちで、「どこのご出身ですか?」とたずねた。すると彼女は、たどたどしいが、力のこもった(怒りかもしれない)語気で「どこから来たかは関係ない。どこから来たのでもない。そんなことはあんたに関係ない」と言われ、彼女は背中を向けて去っていった。
外国に出かけたとき、日本国内でもそうだ、多くの場合に『どこの出身?』と聞くことは、初対面どおしの会話ではご挨拶代わりであり、相手をよく知るきっかけであり、決して悪いことでないと思い込んでいたが、この反応には正直、驚いた。と同時にそんなことを聞いたことが申し訳なかったと思った。
どうしてなのか。この話を韓国企業の駐在員にしてみたら、彼に『その話は理解できますよ』といわれ、またまた驚いた。「韓国人は日本人からどこの出身と聞かれるのがいやですよ。それと同じことではないですか? 経済面・文化面において、自分より明らかに上と思える相手から自分のことを聞かれるのはいやでしょう。国籍というのはその人には変えることができない。どうしようもできないんですよ。どうして、そんなこと聞いたらいけないの? と思うのは、日本という国がいい国だからですよ。私も最初、日本に来たとき(約15年前)韓国人として見られることに対し、ちょっと抵抗があったんですよ。上のものには下の気持ちはわからない。そういうものですよ」と教えられ、しばらく言葉が出なかった。
そう、日本はいろいろ問題はあっても世界的に見て「豊かな国」なのである。だから合法であろうが非合法であろうが、世界中から人々が集まってくる。
原宿で働く黒人もそのひとりである。ハッピーな気持ちで働いているか住んでいるか、そうでないか……それはそれぞれ違う。背中を向け去った黒人女性はどんな気持ちでいたのか……複雑な思いが残っている。
 山手線で一駅移動。原宿以上の若者たちのプレイランド? 渋谷である。ここはとくに週末の人手は不惑のレディ? には息苦しいものがあり、仕事以外でではあまり通りたくないエリアでもある。たまたまリサーチをしていたとき、路上で車を止め車内でケバブ(トルコ料理の一種)のピタサンドを販売している店が目に入った。鶏肉を大きな筒状に巻きつけ、そこから肉を削ぎ、サンドイッチを作って売るという移動式のファーストフードである。なぜ、目にとまったのか。
そのサービスをしている外国人のセールストークがあまりに巧みで、通行客を引き付ける何かを持っていたからだ。私の足は自然とその車に向かって、まずはそこのサンドを1つ注文した。そのあと、「ここだと1日どれぐらい売れますか?」(今から思うとへんな質問である)と聞いてみる。「そうね。100個から150個。金曜と土曜の夜中はよく売れるよ」と親切に教えてくれる。
それから彼とはよく話すようになった。そのアラブ系ファーストフードマンはイラン人。私と同い年である。名前はALLAという.。アラジンと魔法のランプという物語があるが、あの「アラジン」のALLAである。「最高」という意味だそうだ。ALLAさんが日本に来たのはもう12〜3年前。最初は地方の工場で働き、お金を貯めて今の商売を始めたのが5年前。東京の路上でこのケバブサンドの販売を始めたというのは彼いわく、彼がスターターだったらしい。
そして、今では転職、渋谷の一等地に毎晩路上駐車をして、商売をしているという。時々大手チェーンの人がやってきて、この店を自社店鋪の前で展開してほしいと依頼するそうだ。プロが認める本物の味を提供しているという証拠である。ちなみにこの料理の母国であるトルコ大使館の人々もここのサンドイッチが大好きでよく買いに来るという。
「なぜ、日本に来たのですか?」の質問に答えてくれた話は今も忘れない。その話によると……イランではホメイニ時代、国民は自由を剥奪された。ほとんどの若者が自由と富を求めて海外に出た。しかし、パスポートを取得するにも、当時のイランでは、男性に一定期間の兵役が課せられた。だから、彼はイランイラク戦争に出兵し、その義務を終えて、パスポートを手に入れ、そして日本へ渡った。なぜ日本だったのか? それは、今では入国管理が厳しくなっているが、当時は世界の中でも大変入りやすく、また外国人がお金を稼ぎやすい国だったという。だから日本を選んだ。
彼が目指していた国はカナダであった。その夢は今も変わらない。お金を貯め、ビザがとれたら、カナダへ行き家族とともにそこで暮らし、イタリアンレストランを開業するのが夢だという。要するに、夢をかなえるための「ワーキングプレイス」、通過点としての日本滞在なのである。
渋谷でこういったビジネスをしているといろんなことが見えるという。そして失望することも多かったと語ってくれた。外国でひとり暮らすということは、同郷人を頼りたくなるものだ。ALLAさんも日本に来て、いろんな同郷人に出会った。また同郷ということの親しみから、自らが考案したこのFFビジネスを同郷の友人たちに教えた。すると、彼らは皆真似をして、都内のいたるところにそのビジネスを展開するようになった。ALLA式ショップもどきが出没というわけだ。しかし、そのイラン人たちの目的は「故郷の美味しい味を日本人に食べてほしい」というものではなく、表向きはこのFFビジネスをしている様子であるが、裏ではドラッグや偽造テレカなどを販売しているとのこと。食ビジネスは隠れ蓑になっているわけだ。
ALLAさんはこの現実を大変悲しく思うという。同郷人であることを信じていろいろ親切にしても、結局は裏切られる。また自分以外のイラン人が不法行為に手を染めることにより、同じイラン人というだけで日本人からのイメージが変わってしまう。だから、ALLAさんはもうイラン人の友達はいらない。親切な日本人との友情が欲しいと熱く語る。
ALLAさんの店には日本に住む各国の外国人が足を運ぶ。もちろんメイン顧客は日本の若者。深夜にこういったファーストフードが飛ぶように売れるということも教わった。マーケットは自分たちが眠る時間帯にも創られる。一面的な見方では本当のマーケティングはできないよ。ということを、このイラン人の並々ならぬ体験から学ばせてもらった……。
夕方から朝まで販売をし、帰宅したら仮眠をとって、次の日の仕込みを行う。彼の1日はどこからスタートなのかよくわからない。ケバブは何時間もかかる料理なので、午後までかかる。それを車に積んで販売に出かける。原料の仕入れ・加工・販売場所の確保・店の造作(車の改造)・メンテ・店頭調理・接客……といった一連の作業をひとりでこなす。
がんばって働いたお金はテヘランに済む母上へ毎月送金するという。
ALLAさんは、早くカナダへ行きたいという夢を抱きながら、夜な夜な渋谷を闊歩する若者たちを見て、日本という国のイメージを日々更新させている。
 日本が好きだから……といっていただけるのは日本人として嬉しい。でも、一方で、日本は「○○しやすい」という面があり、だからその理由だけで日本に紛れ込んでしまう外国人もいる。いろんな人生を背負って、いろんな夢を抱きながら……。
東京というメトロポリタンはそんな夢・人・時間をまるごと呑み込んでひたすら彷徨う大きな旅客船だ。
さて、そこに住む日本人よ。あんたたちはどっちへ進むのかい?
まるでそんなことを外国人たちから聞かれているように感じてならないのは、私だけだろうか。