昔から、女が就職するといえば、美容師や看護婦のほか、先生という道が数少ない選択であった。私自身も、田舎生まれで、女が一人暮らしをする、進学をするということを認められない環境で育ったため、それを打ち破るには「先生になる」といえば、周りもまあ、納得……という雰囲気があった。結果的には教員免許を持ちながらも、本来、いわゆる詰め込み式の勉強が嫌いで、お堅い世界が苦手な私には、学校教師という道は開けなかったが、会社員時代も新入社員研修を20代のころから担当したり、また後輩の面倒を見るなどは好きであり、学校にこそ就職しなかったが、これも仕事の先生のようなものだと楽しみながらするようになっていた。
独立して、企業の問題解決にコンサルタントとしても関わるようになると、ますます、その会社の社員研修にも顔を出すことがあり、短期・長期は別としても、「先生」の真似事をするようになり、これはこれで、やっぱり自分は先生になりたかったんだ、形は違えど、天職? だ。と勝手に思うようになった。先生といえば、偉そうな、高いところにいる存在をイメージするかもしれないが、私の思う先生とは、目的にあわせたメッセージ発信者であり、相手をその気にさせるモチベーターである。だから、従来の「先生」というイメージとは異なっている。
前置きが長くなったが、そんなこんなでここ2〜3年は、講演に呼ばれたり、企業の社内研修のお手伝いをしたり……そんな仕事も楽しんでさせていただいている……。そんなある日、夢にも思わぬ他業界から偶然、講演に呼ばれることになった? のである。
いつも利用しているホテルグループの予約センターより1本の電子メールが入った。内容は、このたび日本地区のマーケティング部門の研修を行うため、ゲストスピーカーとしてぜひきてほしいという依頼であった。いつも予約のやりとりしかしていない相手から、こんなメールが舞い込み、驚いた。何せ、そのホテルの顧客情報には私の職業の詳細は書かれていないはずであるから。私は単なる、浪費家?ホテル好きのフリークエンシーゲストというだけである。なぜ、著名な世界チェーンの教育担当者が、私に研修に来てほしいというのか。よくよく聞いて見ると、私は確かに海外・国内含めて出張が多く、そのホテルチェーンをよく利用している。昔は、ホテルは安ければ安いほどよい。いかに出張費を浮かせるかと思っていたのであるが、独立してからは、ホテルステイの時間も仕事をしなければならずそういう意味では、快適な空間が重要であると思うようになり、それなりのホテルを選択するようになった。そんなわけで、そのホテルチェーンでは常連客のひとりになった。
今回のホテルの研修は、お客様に満足いただけるためにどんなサービスをするべきかということについて、さまざまなプログラムが組まれていたのであるが、主催者側からの発信だけでなく、お客の声も聞こうということで、常連客を研修に招聘するということになったようで、それがたまたま私に当たったということである。何せ、世界のホテルチェーン、日本でひとり。ということで、なんだか宝くじにでもあたったような感じがした。
ひとりの客が、あるとき突如スピーカーに変身してしまうのであるから……。
さて、私はこの貴重な依頼を逃してならぬ! と思い、わざわざ出張の日程を変更して彼らの依頼どおり、研修の前日、京都の研修会場へと向かった。ホテルでの研修なので、ホテル滞在は無料、なんと特別スィートルームも与えられた。夢のような心地である。そこは、この春オープンしたばかりの新しいホテルである。
しかし世間は甘くない。明日の研修のための打ち合わせを主催者と行うという。出てきたのは、シンガポールのスタッフ。こういう企業の研修は、日本地区担当といってもインターナショナルである。そして、英語でのディナーミーティングをこなす。自分のつたない英語で相手に伝わるのか? え? 明日のセミナー本番も英語で話すのか? などなどの心配をしながら、食事の味がよくわからない打ち合わせは無事終わり、翌日の研修当日を迎えた。京都に住んでいた時代があったにもかかわらず、これまで東山の美しい風景をこんなに真近に見たことはなかった……と静かな感動。
さて、研修ではそのホテルチェーンで働く、日本地区のマーケティング担当者たちが数十名集っていた。日本人が8割、あとは海外からの赴任者である。日本人メインの研修ということで日本語でのスピーチでOKが出たが、せっかくの海外のスタッフにも伝えたいと、同時通訳者を急遽用意いただいた。世界チェーンなので同時通訳できる有能な方もおられる。これもさすがである。私は自分の持ち時間を使い、これまでのそのホテルでの数多くの体験談、とくになぜそのチェーンを利用してきたか、またどんなことがお客の心をとらえるのか、ホテルとはどんなサービスをしなければならないか……ということなど、日頃考えていること、感じていることについて、客の視点と、またコンサルティングを生業としてマーケティングを志向する立場から話をさせていただいた。
あるときは、笑いがこぼれ、あるときは、大きく頷いてくださる方もおられ、メモをとってくださる方もいた。そして時間は予定を大きく回ってしまった。
最後にこんな質問が出た。「昨日、泊まられたお部屋で何か直すべきところはありませんか?」その問いに対し、私は気づいた点を答えた。すると、彼はいいアイデアだ、すぐに実行するといってくれた。おそらく、このホテルの支配人、あるいはマーケティング部長、アメリカ人である。次回、訪問するのが楽しみなりアクションである。
夢にも思わなかった、ホテル業界でのゲストスピーチが無事終了した。「何かうちのホテルに望みはありますか?」シンガポールスタッフがきいてくれた。「ええ、台湾のホテルの大きなロビーラウンジにある、あのピアノを弾いてみたいわ」すると意外にも「NO PLOBLEM!台北の支配人に連絡を入れておきますからどうぞ」との回答。おお、何よりのプレゼントではないか。
正直、海外出張も多いので、出張費実費がかさむ。とくに、ホテル代にはかなりのお金を費やしてきた。いつの日かホテル本?でも出そうかと、ひそかに各ホテルの思い出や資料を溜め込んでいた。そんな折り、偶然、今回のようなチャンスがめぐってきた。
この研修の翌週、たまたま私がこのホテルを選ぶきっかけとなった人(彼はもうホテルをやめ、転職をした)と会う機会を得た。
「あなたのおかげで、私はホテルの研修に参加しましたよ!」この報告に、その人はびっくり仰天。大変喜んでくれた。
さて、本題に戻る。あのホテルは研修にお客を呼ぶというプログラムを組んだ。お客の生の声を聴くということが、とても有効であるという判断である。偉い先生、外部講師を招くことは簡単であるが、現場を知っている、利用客の話から生きた教訓を得ようとするその姿勢は、さすが一流のサービス業であると感心せざるを得ない。今回の企画はONE TO ONE マーケティングの好例ともいえる。
またいい経験をひとつさせていただきました。日本市場もますますのホテルラッシュに突入する。形だけではなく、本当にお客様に満足されるいい「おもてなし」を実践してほしいと思う。