私たちが子供のころまで、 日本の学校では「起立」「礼」「気をつけ」「前ならえ」といった習慣を教えた。ひとつは「礼節」を重んずる日本文化の継承でもあったといえるし、或いは軍隊時代の名残もあったのかもしれない。授業がはじまるとき、集会のとき、目上の人に会うとき……いろんな場面で、けじめをつける、心を引き締めることを教えられたように思う。日本人は「おじぎ」の民族であるともいわれた。目上の人には、かならずおじぎをして、敬意を表するということが美徳であった……そんな時代もあった。
以上の教えは、今の教育ではどうなっているのだろうか?
一昔前の日本人の対人関係は、ビジネスにおいても、家庭においても、また男女間でもこのように、相手を尊重するというカタチが主流であり、それが現代日本社会の歴史を支えてきたということもできる。
私自身も子供時代は、そのように躾けられたと記憶する。しかし、成人して社会人となり、会社組織から独立して、アジアなど外へも出て仕事をするようになってから、少し私のコミュニケーションスタイルが変わったように感じている。それは、「手」によるコミュニケーション、「握手」である。
これを自然に学んだのは野田のイタリアンレストランの社長からであった。お会いしたとき、「どうもどうも」といって、まず手を差し出される。この社長は、社外の人とだけでなく、毎日社員に会うときでも、まず握手から始まる。つまり、握手が日々の挨拶なのである。相手の目を見て、手を握り、同じ気持ちを共有する。信頼関係を確認する……とでもいおうか。社長が社員と毎日握手するという行為は、日本の企業にはあまりない例であるが、これは大変効果的な社内コミュニケーションであると思った。接触というのは、社員に使命感や、愛社精神を自然にもたせるのに有効である。
私自身、たまたま女として生まれ、仕事の相手も男性が多いので、握手をする、しかもこちらから手を差し出すのもどこか変であるし、また相手からも差出しにくい。セクハラとか言われてしまうこともある? そういうことからも、これまでのビジネスでの挨拶は、おじぎであった。それが当たり前と思っていたが、ここ2〜3年、その常識は変わりつつある。
台湾や中国へ仕事へ出かけるとき。毎月、或いは2ヶ月ぶりに会った仕事仲間とは、まず握手から始まる。そして、ミーティングなどが終わり、感謝の気持ちを示す際にも、握手を忘れない。とある本によると、民族により、握手を好む民族とそうでない民族があり、またその握手の長さもビジネスの成否に関わる? との記述があった。自分の経験では、台湾の人々は本当にフレンドリーであり、握手をしながら相互の関係を確認し、認め合うというコミュニケーションがとても自然に行われている。ましてや、中国語も十分に話せない私にとっては、相手とのボディランゲージは大変重要である。そんな状況の中で、仕事をしているうちに、握手は私にとって大切な武器? となっていった。
また、忘れてほしくない大切な人には、自分から進んで手を差し出すことも少なくない。
相手から伝わる血の流れから、元気をいただけることもあると勝手に思っている。
そして最近、日本でもお世話になっている方々とお会いするとき、「やあやあ、お元気ですか?」と、そしてお別れのときには「お元気で、またお会いしましょう」と、自然に手が出るようになった。
頭を下げあっているよりも、より親密感があり、信頼感を感じることができる。「手」というのは、不思議な存在である。
好きな異性との最初の接触は何だったろう。会話、そして握手……。相手の肌に触れることで何かときめきがあった。そんな昔の感覚をふと思い出す。手とは、人体の体のなかで、もっとも広く、目的的に他者に触れることができる、大きな表面積をもった世界である。つかむことができれば、なぞることもできる、やさしく触れることもできれば、しっかりと掴むこともできる。「手」は、人のコミュニケーション行動を多様に表現する象徴である。
「手のひらを太陽に」という曲もあった。手は体の先端である。この指の先々にまで生血が通い、指先でいろんなことができる。この原稿もそうである、パソコンのキーを叩くのも、ピアノを弾くのも、料理を作るのも、字を書くのもすべてこの「手」によるのである。
人間には「口」がある。音・言葉を発して、コミュニケーションをする。一方、手は指先や手のひらで、さまざまなコミュニケーションの記号を発信すると同時に、触感という大切な五感によって、私たちに他者との関係の信号を送ってくれる。
話が少し横道へずれたかもしれない。
「握手」は心を結ぶコミュニケーションツールである。これは、対等のしるしである。グローバルスタンダードとかいわれるこの21世紀。ビジネスもコミュニケーションから始まる。相手に意思を的確に伝えることがとても大切であると思う。日本人は握手をしない民族であったかもしれない。でも、これはとても有効である。手を差し伸べ、相手の目をみつめて、同じ視線で語り合いたいと思う。
もちろん、すべてのコミュニケーションは相手があってのことである。それをふまえて、素敵な関係づくりを初対面のときから作っていってはどうだろう。
最近は、仕事の場面だけでなく、田舎の親や妹に再会し、別れるときも握手を欠かさない。少々、照れながらであるが……。
人々と握手をして別れたのち、必ず思うことがある。
「あの人の手は思ったより小さかった。柔らかかった。ごつごつしていた……」その感触を思い出すと、どうも、センチメンタルになるのである。手は人の意思や、心を表しているのかもしれない。また、今度、会えるだろうか。今日の握手が最後にならないように……。と。私にとって、握手はその人との出会いを純粋に感謝できる、ありがたい接触である。その手のぬくもりを忘れずに、日々の出会いに感謝できれば、心豊かに明日も生きていけるのだろう。
本当に、「手」はありがたいのである。