女は学校なんか行かなくてよい・・・。長女は養子をもらうべし・・・・。そういいつつ、3歳の頃から習わせてくれたオルガンとピアノは、いつしか両親の夢となり、エンゲル係数ではなく、オンガク係数の高い家庭となってしまっていたわが家。岐阜の小さな町から一歩も外へ出たこともなく、地元とともに生きてきた両親。
そんな保守派のふたりから、こんな人間が生まれました。

せっせと働き、新車購入も我慢し、生活費の多くは娘のレッスン料に消えていきました。
小学校1年だったか、ひとり名鉄電車に乗って、週に2〜3度、岐阜から名古屋までレッスンに通っていましたが、父は会社帰りに遠い名古屋まで迎えにきてくれました。仕事で疲れていたのに、30年前にアッシーくんをしてくれたんですね。
どんな歴史にもルーツがある。
それを時々思い出す必要があるかなと思うことがあります。

最近会ったとき、「頼りない父親ですまんなあ」とぽつんといってたのが心に残っています。
いつまでも元気に楽しく生きてほしい。
今までよくがんばってきたんだからね。
ルーツのない存在はない。心からのスペシャルサンクスです。
(きっとホームページを見ることのないルーツたちへ)