「大好きな食べ物はなに?」と聞かれたら答えに困るほど、食べ物が豊富にある今日この頃。でも、自分のある時期・時代の中で食べ続けた食べ物は愛着があり、懐かしく、忘れることができない。私は18歳のとき岐阜を飛び出し、京都市北区の衣笠という処に住み始めた。親元を離れて暮らすというのは食生活においても自由になるということで、何を食べても買ってもしかられることがないという快感がある。私はそのうち、地元でめちゃくちゃ美味しいといわれるケーキ屋を学校の仲間より教えてもらった。その名前は「バイカル」という。当時はケーキの発展途上時代だったようで、菓子職人とかパティシエとかはもちろん一般的でなかったのに、バイカルではとんがり帽子を着けた職人さんが焼きたてのケーキを店のウインドに並べる姿がいかにも外国にいるようで格好よく、そのケーキ自体も生地はしっとりふわふわ、フルーツや生クリームが惜しみなく使ってあり、そして甘すぎず、なんといっても上品で「凛」とした感じが最高であった。京都のどこのケーキ屋よりも絶対に美味しいと皆が絶賛していた。当時スーパーのレジ打ちのバイトの時給が450円から500円だった(京都は学生の町で安い)が、バイカルのケーキも1カット400円はした。だから、毎日食べられるものではなく、お祝いのとき、ぱーっといきたいとき、ちょっと贅沢したいときの「マイデザート」であった。そのバイカルにはいろんなお菓子があり、どれも絶品であったが当時より私がもっとも好きだったのが「マドレーヌ」である。他の洋菓子屋にもある薄い円型のマドレーヌは優雅なバニラの香がして、貴婦人にでもなった気分がした。そしてバイカルにはもう1種類マドレーヌがあり、これは「焼き具合」がかりっとしており、独特の食感で他の洋菓子屋にはない逸品であった。私は就職しても京都にいる間、気がつくと自転車に乗ってバイカルへ向かっていた。そのうち東京へ転勤となっても京都へ出張の際に、京都駅地下ビルにあるショップに立ち寄っては、その2種のマドレーヌを必ず、時にはこれから3時間の新幹線移動をするというにも関わらず、パイナップルの上に生クリームとフルーツをたっぷり詰め込んだケーキを買い込んで、そのまま新幹線に乗って、保冷材が足りないで解けてしまったり・・または友人や家族へのちょっとしたお土産にもいつも買い求めて、美味しくいただいていた。また、パリにマドレーヌ寺院という巨大な教会があり、そこが大好きなのであるが、パリのスーパーやケーキ屋で売っているマドレーヌよりもバイカルのを食べたいなとパリの空の下で思ったこともあった。それぐらい、私の中ではマドレーヌ=バイカルだったのである。
前置きが大変長くなったが、いつもと同じように、1月の京都出張の際にまた京都駅地下の店へ寄ってみた。いつもの場所に……と思ったマドレーヌがひとつもない。今日はまだ入荷していないのかな?と思い「あの、すみません。マドレーヌはまだ来てませんか?」と聞いてみる。「その商品は申し訳ございませんが、もうなくなりました」と店の人がいう。
「ええええええ!!! この前あったんですよ。え、もうないんですか」あまりのショックに私は少々しつこいおばはん状態になってしまった。店の人は気を利かせて、他の店へ電話をして、在庫が残ってないかを確認してくれたがないとのこと。すっかり肩の力を落とした私はそのまま仕事へ向かうが、その日も心のどこかにそのことがひっかかっていた。東京の自宅に戻ると前回買い置きしたマドレースがただ1個残っていた。まさか、これが最後の1個になろうとは……。もったいなくて食べられず、結局、賞味期限が過ぎるまでじっと眺めて暮らした。そしてやっと最後の1袋を開け、いただいた。口に入れたとたんに甘い香が広がり、と同時に20年の思い出が蘇る。この味をもう食べられないと思うと涙が出そうになる。よくよくパッケージの裏を見ていたら、バイカルの本社の住所が目にとまった。「よし、駄目もとでいいから、社長にこの思いを手紙に書いて送ってみよう」そう思った時点で即行動開始だ。いっておくが、決して日々何もすることがなく暇をしているわけではないが、私にとっては仕事は遊び。遊びは仕事。すべての経験がすべてに通じると思っているのでとりあえずはやってみようと、丸善のお気に入り便箋を取り出した。メールやパソコン文字が日常のコミュニケーションツールになっているが、このときばかりは手書きがよいと思った。そして一気にお顔も声も存じ上げないその社長様に向かって今回の思いを書きつらね、読み返すこともなく、封筒に……。宛名は単に社長様では説得力がない、失礼にあたる……と思い、ホームページでお名前を調べ、書き入れる。切手を貼ってそのままポストへ……。もうこれだけで十分。たったひとりのお客の気持を少しでもわかってもらえたらいい。と思い1週間ばかりが過ぎた。
2月11日祝日。外出先より戻ると、なんとファックスでお手紙が届いていた。よく見るとまぎれもない、社長様からのご返事である。なんとファックスで来た。しかも2枚も書いてある。きれいな字だ。ええ?
商品復活!!??。そこには急いで応えようとする真面目な姿勢が込められていた。商品をもともと改善するつもりではあったそうなのだがいったん中止としたことがよくなかった。中止ではなく「切り替え」にすべきであったと反省していると書いてあったこと、さらに時代に対応することばかりを優先で考えていたので、40年の歴史の味をそのまま残すという考えがショックであった……などなど率直なお考えが書かれてあった。そしてすぐに復活させ、しかも私がいつも買っている店で先に販売できるよう体制をとるとあった。重ね重ねビックリである。その夜、私はさすがに興奮してよく眠れなかった……。
翌日、私は御礼をと思い、手紙に書かれていた番号へ電話をしてみた。すると電話に出た女性から「東京の今尾様でいらっしゃいますか。このたびは私たちに貴重なお手紙をいただき誠にありがとうございました。……このようなお手紙をいただくことは滅多にございませんで、本当に感謝しております……」という言葉。驚きである。すでに会社の人にも知られている。恥ずかしい。社長様が不在であったので教えていただいた携帯電話にかけてみると遂にご本人との生の対話!社長様は今回、実際商品をストップしてから売り場でお客様から問い合わせがあったことを気にされていた。そして、私がお送りした手紙により商品の早急なる復活を決意されたとのことだった。「あなたの手紙が決め手になったんですよ。」とおっしゃっていただいた。そしてあれこれと話をする間に、次回京都へ行く際にはぜひともお会いしましょうということになり、夢にもみなかったバイカルの社長様とご対面が実現することになった。
バレンタインの翌日、土曜日。復活するマドレーヌの試作見本が箱に入って届いた。またもや社長様のお手紙付きである。「前とは違う点もありますが……感想を聞かせてください」とのものだった。ありがたく頂戴し、早速感想をポストに入れた。
大好きなものを亡くしたくないという思いと衝動から出してしまった1通の手紙が、商品を復活させるきっかけとなり、またその大好きなものを創ってこられた超本人ともお知り合いになることができた。「お客様の生の声」というのは社長さんから見たらすごいんだなあ。いや、それよりも凄いのは「ちゃんと聞く耳をもっておられ」、「即行動」される社長さんである。ますますこの会社が好きになったのはいうまでもない。
久しぶりに京都の本店でお目にかかれることがうれしい。そしてなんといっても私の青春時代のシンボルである京都バイカルのマドレーヌがまた店頭に並ぶのがうれしい。本当に幸せものである。
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