とある業界の若手経営者研修の中で、『応対のこころ』というテーマでの講演の依頼をいただいた。
この厳しい市場環境においては、経営者も現場でのお客様対応をきちんと理解しておく必要があるし、中小企業であれば、社員任せでなく、自らが営業、販売、サービスに出ることも少なくない。このテーマをいただいてから、この意味を改めて考えてみた。
『応対』とは「お客様に対して、応えること」。簡単にいえばそうなるが、これでは何かが足りない。「お客様のニーズにきちんと応えること」これでも、どこか言葉足らずである。
私自身がとらえている『応対』とは、単に接客レベルの問題だけではなく、お客様に対する全ての行動、対応を含んでいる。お客様に満足いただけるためにとる、すべての行動、活動を指すのではないかと理解している。もちろん、その中でも接客というのがもっとも基本になる行為であるが、そこにいろんな知恵や工夫が必要となるのである。
応対がよいということは、お客様が満足されているという総合評価である。
そういう観点で、世の中を見てみると『応対』とは何かを理解しないで、仕事をしている人々も少なくないことに気づく。
たとえば、外資系ファーストフードの店に入れば、今さらながらのマニュアルトーク、お客様の目を見ないでオーダーをとる人も少なくない。ファミリーレストランも同じようなものだし、一気に全国展開しはじめたコーヒーチェーンの接客も中途半端である。
お金を払ってから商品が出てくるまでに、立たせたまま、お客様を待たせる。聞こえてくるのは厨房内のスタッフ同士の、馴れ合いの会話、笑い声。見られている、立ったまま待たせている……という意味を理解しないバイトさんも多いようである。
企業にとっては、バイトやパートタイマーを雇用することはリスクが少ないかもしれないが、根本の教育をしっかりしないと、肝心なお客が逃げていくということもある。
これこそ、『応対』の問題なのである。応対とは、ひとりひとりのお客の状況を見て、それに即座に対応できる、それぞれに対して合格点の対応ができる力だと思う。であるから、接客者やサービスマンは、つねにお客の動き、視線、いらいら……を察知できなければならないのである。もちろん、いらいらさせてはいけない。そうならないようにしなければならないというのは大前提である。
『応対』の乱れについて考えていくと、ぶち当たるのは「お金は誰が支払われるか」ということを果たして、理解しているかどうかという問題である。
その流れをわかっていれば、対価をいただくことのありがたみをわかっていれば、いい加減な応対はできないはずである。
「今どき」の接客に携わる若い人々は、この理解・認識に欠けているように感じることが多い。お客様にこの商品を買っていただき、美味しいといっていただくことで、また次回も来ていただける……この中から自分へのバイト代もいただけるのである。ということを忘れてはいけないのであるが……。
しかし、そんなちょっと嘆かわしい状況の中にも、広い日本にはしっかりきちんと応対されているケースも多くある。
たとえば、近所にあるクリーニング屋さんは、250店あるチェーンの中で、10位前後の売り上げをあげているそうであるが、1名でやっているから、一人当たりの売り上げにしたらもっと上位なのだろう。そこには連日お客が集まってくる。私自身も、先日引越しをして多少遠くなったにも関わらず、そのクリーニング屋を利用している。(実際、そこの本部のシステムもなかなかの優れものであり、割引制度を旨く利用し、リピーターをかなり高い率で確保しているという現実はあるが。)その店のオーナーに話を聞いた。
お客様の応対で心がけていることは

1. 絶対に納期を守ること (これは、本部の力があってこそ可能となる)
2. お客様を名前で呼ぶこと
3. 自分の得意分野を生かしてお客様を驚かすこと(その方の得意技は染み抜きだそうで、なんでも業界では有名人らしい)その場であきらめていたシミを抜いて、感激されたことも多いとか。

そして、いずれ日本一を目指すことだ!と熱く語ってくれた。
ふと店内をのぞくと、一見、お客様に見えない場所に、英語のセールストークが貼り付けてある。この張り紙を発見した客は、私が初めてだったようであるが、これは、もともと本部が用意していた英会話マニュアルどおりに接客したら、それが間違っていると、外国人の方から指摘され、そのお客様が自分で書いてくれたものだ……という。
また、そのクリーニング屋さんには、差し入れを持ってくる主婦たちが多いそうだ。
この繁盛店は、まさに『応対』をきちんとしている店として、お客様が評価し、利用してくれているのだと思う。
『日本一になる』とか、『これになる』といった、夢や志があれば、『応対』もおのずと良くなると思う。
こう書いてくると、応対の問題というのは、まさしく、何のために仕事をしているか、また何のために生きているのかという問題と直結している……ということにも気づく。
「たかが応対、されど応対」。その視点で、市場を見ると、課題がたくさん落ちている。
みんながいつも気持ちよくお金を払え、気持ちよくお金をもらえる社会にならねば……。そこまで、もうあと一歩である。