|
 |
「就職祝いは何がいい?」妹のようにつきあっている昔の部下に聞くと「ニューヨークの『NOBU』で一緒に食事をしたい」という。そうでもなければ、この有名ジャパニーズレストランにはきっと足を運ぶことがないだろう。そう思い取材や調査諸々の所用に絡めて、あわただしくNYへ向かった。
その妹分KさんとNY到着の夜、ホテルのロビーで待ち合わせをし、約束どおりトライベッカのその店へと向かった。ホテルで聞いたその店の場所だけを告げるとタクシードライバーが、「NOBUへ行くのかい?
あの店はとてもよいぜ」と絶賛している。タクシードライバーにも好評な日本食の店とはどんなものか。日本ではタクシーの運転手さんといえば「うまいラーメン屋さん」や「定食屋」の通であるが、NYにおいて「NOBU」は、ドライバーもご推奨の店なのである。
予想どおりに賑わいを見せていたこの和食レストラン、普通は予約なしでは入れないといわれていたのだが、私たちは飛び込み。偶然の幸運を期待して店のドアを開けた。そうするとなんとしばらく待っていれば席をとってくれるというから有難い。ではどこで待っているのか?
と日本人スタッフにたずねると「2件先のトライベッカグリル」というBARで飲みながら待てとのこと。
私たちは素直にその2件隣に進む。そのBARは後で知ったのであるが、あの憧れのロバートデニーロが経営に携わっている店らしい。ここもなかなかの雰囲気でおしゃれなニューヨーカーたちで賑わっている。NOBUの待ち客であることを伝え、私たちは慣れないカウンターに腰掛け、思い思いのカクテルを注文し30分ほど待つ。NYで和食をいただくために、待ち時間にこんなBARで一杯やれるとは予想外の贅沢である。ちょうどカクテルグラスが空いたころ、お待ちかねの『NOBU』よりお呼びがあった。そして、私たちはすでに数年前にOPENし、相変わらずの大人気を誇っているアメリカンジャパニーズクイジーヌを堪能する。おしゃれなニューヨーカーたちが集い、箸を片手にグラス片手に話が弾んでいる様子はなかなか面白い。店内の照明といい内装といい、シンプルであるけれど、洒落ている。青山や六本木とはまた違う空気に包まれる。メニューは、もちろん英語であるけれど、そのハザマに『PONZU』『MISO』などのNIPPONGOが登場する。日本が世界に誇る文化のひとつがここにあることに喜びを感じながら、深夜まで舌鼓を打った。彼女はいい思い出になったといい、店の前で写真を撮ってくれたりした。
そして、翌日。今度は後輩が活動拠点とし、またテロの日にシカゴ行きの同じ飛行機に乗って以来の友人であるH氏が住んでいるワシントンへと向かった。アムトラックでの約3時間の列車移動である。飛行機も良いがこの距離は列車の方が面白い。懐かしのフィラデルフィアを過ぎてはじめてのワシントンへ。漂流区アラスカでともに3日をステイした仲間H氏ははるばるTOKYOからの来客である私を喜ばせようと、ワシントンで有数の日本料理レストランを予約し、そこのオーナーとの対面もセッティングしておいてくれた。そしてアメリカにおける「食ビジネス」について聞きたいことがあれば取材してみてはどうか?
と何とも心にくいお膳立てをしてくれ、また現地に住む日本人夫妻の友人とも引き合わせてくれ、楽しいDCダイナーとなった。
その店は『CAFE JAPONE』というジャパニーズフレンチの店。1階がレストラン。2階はスポーツBAR。それぞれ内装といい、スタッフといい、なかなかユニークである。カラオケあり、寿司カウンターのあるBARには行列もできるとのことである。そこのオーナーKENJIさんに幸運にもお会いできたわけであるが、彼は開口一番「私はもうアメリカ人です」といい、その自称アメリカ人の彼が、和食店をワシントンで最初にOPENさせたらしい。そしてその後この店の両隣に和食屋もできてしまったりして、ちょっとした日本料理地区を形成していたりする。KENJIさんの経営するこの店は単なる日本料理ではない。
彼いわく「FUSION」なのである。日本とフランスの融合。それが「CAFE JAPONE」だと。なるほど、この考え方は自分でも以前より大変注目しているものだ。ピアニストとしてお世話になっていた「コメスタ」というレストランもイタリアンとアジアの融合であった。普段より自分が感じとっている「コスモポリタン」ともどこか通じている。これからの時代、なんでも単一ではなく、融合させることが新しい市場を形成するし、それは文化にもなる。そのことをこのKENJIさんとの会話でも感じ取ることができた。
さて、今回のわずか4泊のNYとDCの訪問。時間ある限り、マンハッタンのフードショップを練り歩いた。すでに「SASHIMI」「SUSHI」が英語というか万国語になっていることは知っていたが、改めて売場を回ることにより、インスタントの味噌汁、手作り寿司用の海苔、山葵、あられ(おつまみ)豆腐などがアメリカ人の食卓に浸透していたことを痛感した。デリでもお寿司を売っていたり、またベーグル屋がUDONをはじめていたり、UDON&RICE
BOWLの店も登場。そういえば、あの吉野家もNYへ上陸した。
20世紀はアメリカから日本へファーストフード、コンビニといった新しい業態がもたらされ、日本人の食生活は大きく変わり、それとともにライフスタイルも変化した。そして、今の時代、私たちはそれがすべてではないことを少しづつ反省しながら、「スローフード」や「素食」ということにも目を向けはじめている。そして、アメリカでも従来型のFFが存在しつつも、日本食をはじめとする健康食ブームは単なるブームではなく食の習慣、さらに新しい食のスタイルとして根付いてきている。そしてそれを支えているのは、チャレンジ精神をもった日本人たちの活躍であるということができる。
今の日本は元気がない。日本人の自信はどこへ行ってしまったのか? と思う今日このごろ。しかし、日本を飛び出し、自分の夢をかなえるため海外で活躍する人々も少なくない。そういう日本人に出会うたびに新たな勇気がわいてくる。
中国人の友人にきいた。「どうして、中国は食が豊かなのか? 美味しいのか」と。「それは、人口が多いし生きていく以上、食べることが一番大切だからです」。そうだ。食は命を与えてくれる、大切なものである。そこに着目すると、これからのハッピーミールビジネスにも期待がもてる。融合、世界観……マーケッターにはこの視点がますます見逃せない。
チャレンジャーはおのずとマーケッターなのかもしれない。海外で自分に投資し、挑戦を続ける日本人に改めてエールを送り、そして自分も自分流に楽しく挑戦を続けたいと堅く思うのである。
|