遺言を書いたことがある方は少なくない。しかし、もっと高齢になってからの仕事だと思っていた、しかし、この世の中 どこか危険がいっぱいで、不安定。40歳を越えたぐらいで死なないとは言い切れない社会である。
また飛行機やもっともテロの可能性が高いといわれている新幹線によく乗る生活であれば、そういう視点からの危険もある。
とにかく、いつどこで何が起きても不思議ではない人生。だからこそ、万一のための準備をしておかねばならない。これは、防災グッズを家に置いておくのと同じ感覚でしておかねばならないこと。しかしモノを買って用意しておくというのと、心の用意をしておくのは余りにも違うといえば、違うのであるが・・。
さる2007年12月のNY行きからの帰りのフライト。44歳になった記念に今回こそ、遺言を書いてみようとノートを取り出す。うーん。書くまでにいろんな情景が浮かんでしまう。遺言とは自分がいない状態を想定するということ。それは誰が読むと想定するんだ。本当に自分がいなくなる日が来るんだろうか・・などなど考えていたら、みるみる涙で顔がくちゃくちゃになってしまい、自分のいない世界を想像するのは、悲しいもんだと思った。
それでも、整理しなければと思い綴ったことは、以下のような内容。
私を大切にしてくれた家族たちへ
本当に好き勝手な人生を歩かせていただき、心から深く感謝しています。感謝しきれないです。数々のわがままを御赦しください。
以下は私が亡くなった場合のお願いです。
- 無宗教な人生だったということもあり、お葬式はしないでください。
亡くなったことを伝えてほしい人は別にありますが、それは後でという意味です。
- 最期の衣装は、一番似合っていたものを着せてください。
写真はすでにデータにて用意してあるものを使ってください。
棺に入れてほしいものは、パスポート、ベートーベンのソナタ、飛行機のチケットの控えを少々。あと花はバラがいいですね。
- 火葬したあと、骨はできれば 長良川、鴨川、ハドソン川、セーヌ川に撒ける状態であればそうしてほしいですが、無理ですかね?そこに行く費用ぐらいは残してありますから。急ぎませんし。
- もっていたものは、仕事関係はすべてシュレッターにかけて処分し書籍関係は適当に処分、洋服やその他の持ち物は家族で分けてください。またわずかな預金も家族で分けてください。
・ ・・・・・・・・・・・・
と、ここまで書いて、やっぱりこれでは・・と思いとどまる。
また このあとに、自分の万一のときに連絡してほしい人の名前を書き始めて・・・悩んだ。
なぜ、死んだことを知らせたいのだろう。別に知らなくても相手は困らないのでは?
仕事関係では若干迷惑をかけるかもしれないので・・という程度。
それ以外に、「この人に知ってほしい」というのはあまり思いつかなかった。
それは、その人の中でずっと生きている私のままで、いさせてほしいという気持ちの表れなのかもしれない。
おかしな100号になったと書きながら思っているが、これは嘘ではない。もちろん細かいところはここでは触れていないということもある。
これを書いていて思うのは、やはり常に万一の事態を想定して、日々生きることは大切。
でも、遺言だけを残していてもまだ十分ではない。
もし地震がきたらどうするのか?死ぬまでに生きている間のさまざまな危険についてのことも考え、記しておくべきだ。
遺言は時々見直す。そして常に新しくしておく。これも大切。
一番大切なことは、「感謝」の言葉を残すことだろう・・・。
書きながら、まだまだ元気に生きるぞ!と強く強く思っている。
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