フレームに収まるだけでなく、時には創る。

決まった仕事を続けることはもちろん素晴らしい。大変だ。
決まった形におさまっていくことも大切だ。。
そうあり続けることでの苦労や忍耐もあり、また一方では安心感があるかも
しれない。
フレーム、枠組みがあることで、
いろんなことの境界線も見え、ここまでやればいい、これでいいという
判断もつきやすいのかもしれない。

ただ、同じフレームの中に納まることだけで、人生は満足だろうか?
ときには見慣れたフレームを一度解体して、新しい枠組みを作るという
ことも面白いのではないか。
決まったことを、決められた範囲でやること、
一方、それをはみ出して新たな価値を創っていこうとすること。
とくにコミュニケーションの世界では、それが必要であると感じる。

最近、私は新たなフレームを作りたいという思いに駆られることがある。
自分の中、周囲には大きな、小さな、いろんなフレームがある。

一方、世の中のアートに目を向けると
フレームが変わることで、違った魅力を醸し出す作品もある。
中身を生かすフレームづくり、これも大切な見方。

何から作り始めるか。壊し方も建設的に芸術的にいこう。

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恐るべき「をんなごころ」

ある説によると、女性のストレス解消はおしゃべりや、買い物、グルメ・・だそうだ。
自分にご褒美などと言っているのも、結局は言い方はよろしくないが、ストレスのはけ口だと思う。
男性は、ストレスがたまるとおしゃべりではなく、黙るそうだ。そしてお酒に走るのか・・。
買い物をして、ストレス発散というのは男性には当てはまらないようだ。

とすれば、世の流通業の味方は、キーマンは基本的には女性。
そして、はじまった夏のセールのターゲットも、貯金のように
ストレスをためた女性たちか。
名古屋の駅前のデパートではじまったセール。平日でも開店前から長蛇の列。しかし
新宿のお店に比べればかわいいものだろう。
とにかく、昔も今も、女性はバーゲンが好きだ。

デパートに並ぶ女性客。(ほんとうに男性が並んでいないから不思議だ)
一方は賑わい続けている駅前のデパート。
そして、もう一方はこの日で閉店をする町中のデパート。
どっちも主役は女性たち。

その昔は、町中のそのデパートを利用していたお客さんも、いつの間にか
駅前のデパートへと移っていったのかもしれない。
とにかく客足はそちらに向かって動いたのだ。

女ごころは、情報とともに、世のトレンドとともに動く。
とても動物的だ。
それは。あるときはビジネスチャンスにもなるが、
そっぽを向かれると、業績は低迷、閉店に追い込まれることもある。

今回、セールに賑わうお店の行列と、
閉店でにぎわうお店の行列を見ながら
いろんなことを考えた。
後者に並ぶお客さんにとっては、閉店ももしかしたら
ひとつのプロモーション、催事のような感覚なのかも
しれない。

女心は移りやすい。
いいときはいいが、怖い。

先日参加した株主総会でもそう思った。
女性の感性、感覚は、大変主観的であるが、
拡散しやすい世の中においては、
なかなか取り扱いづらい、モンスター的な
部分もあり・・・。

女心をうまくとらえ、うまくかかわっていくことが
これからのビジネスには不可欠だ。

なんだか、男の方が楽だという気持ちにもなって
しまうのは、なんだろうか・・。

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愛の元気人6月分 本日オンエアです

本日99回目の放送となります。
今回の新潟元気人のゲストは、新潟を食で元気にしよう!とにいがた食文化の普及啓蒙に取り組むピースキッチンの久保田健司さん、
空気が美味しい美容室を地元の建築会社と作り上げた、ヘアサロン&リラクゼーション結の諸橋孝明さんです。
18時~19時まで。FM KENTOでお楽しみください。(WEBからもお聴きいただけます)FM KENTO 愛の元気人

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本日、最後の営業日。


本日6月30日で営業を終える名古屋の老舗百貨店。戦時中(昭和18年)に地元の百貨店が合併して
名古屋の栄が繁栄するようにと名付けられて誕生した。(そのルーツをたどればその歴史は江戸時代に遡る)

実は、私にとっては子供のころの憧れのお店のひとつ。
名古屋といえば、40年前は、松坂屋か丸栄であった。
そして栄が名古屋の中心であった。
その栄のランドマークであった丸栄が、残念ながらこのたび営業終了となる。

このお店の歴史を綴る写真展を開催していると知り、懐かしさもあいまって、
久しぶりにお店に行ってみる。
このデパートには、おそらく子供のころの方が足を運んでいた。
同世代の人だと、そんな人が多いのではないか。
大人になってからは、ほとんど来ていない。
だんだん、栄の他のデパートに、そして名古屋駅にと動線が移っていった。

でも、まさか。なくなるとは思っていなかった。が、
昨年、久しぶりに訪ねてみたときに、これはまずいかも・・・と気になってはいた。
こんな昭和時代のままのレトロ感漂うお店、あったらうれしいけれど、
経営は大変だろう・・・と想像した。
そして、残念ながら、その予想があたってしまった。

閉店が決まり、閉店日が近づくにつれ、売り尽くしセールでお客の数が増える。
こんなに忙しいことはなかったというぐらいに、お店のスタッフが忙しそうだ。
さぞかし、うらめしいことだろう。
「もっと前からきてくれていたら、閉店することなかったかも‥」
と思いながら、レジを打ち込んでいるかもしれない・・・と行列の片隅からそう思ってみていた。
イベント会場は、このデパートの歴史をまとめた企画展。
テレビ局の取材も入っており、インタビューに答えているお客さんの姿もあった。
写真はその企画展の写真も一部だ。
今回は撮影しても良いとのこと。
昔の制服、カタログ、当時の写真、包装紙・・・いろんな展示物をみながら、胸がいっぱいになった。
地域密着のデパ―トの生存のむつかしさを痛感する。
お客さんの寄せ書きには寂しさと感謝の気持ちが書かれていた。「青春をありがとう」という言葉が
なんともいえない・・。

時代の流れに乗り切れなかった・・とばかりは言えない。
百貨店という業態も大きく変化している。
立地も客層も求められるサービスも大きく変わっている。
何を提案するお店であるのか・・。先取の勢いがない店はいずれ衰退する。
郊外の大型店舗の影響も大きいだろう。

とにかく残念だ。
この存在を忘れないようにと、思わず、買い物をした。
初めて、買い物らしい買い物をした。
この店があった記念に・・・である。
これは、あそこで、あのとき買ったね~。
一生忘れないようにするために。

営業最終日、おそらく近年最高の来店客数になることだろう。
そして涙の閉店になるだろう。想像するだけでこちらも泣けてくる。
社員さんの心中を察する。

丸栄。名古屋を代表してきた栄のデパート。ありがとう、そして、お疲れ様でした。

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「らしさ」は価値につながる。

最近、自分が担当する勉強会でも、また参加した企業のイベントでも、
「自分らしさ」「自社らしさ」の大切さを改めて感じている。

広報活動をするときに、自分に魅力、価値がないと伝えられない。
だから、他社の真似ではない自社らしさの追求は大切だといつもいつも伝えるようにしている。

組織が大きくなると、その「らしさ」を全体、全員で共有しながら実践し続けることは
難しくなるが、それを乗り越え、どこをとってもその会社らしさが出せれば、
ステークホルダーがより企業を理解し、その価値は高まる。

大切なことであるが、それを軽くみていると、行動に綻びが出て驕りとなって
お客様はじめステークホルダーを失望させることになってしまうこともある。
大切なことは、「らしさ」をいつも確認すること。
そこに戻るということ。
原点回帰だ。
そして、そこから行動や言動を考える。

CIという言葉は最近聞かないけれど、この「らしさ」の追求はブランディングであり、
会社の生存を決定するものである。

他人事ではない。私自身小さな存在であるが、自分も気を付けていかねばならない。
と、ある企業の株主総会に参加しながら、
改めて感じた次第。

企業も生命体だ。ぜひそれぞれの強みを自社らしく発揮してほしい。

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「マジシャンの心友、います。」

「いやーね。実はマジシャンの友達がいましてね。」
この一言は、どこか有名な会社の社長が知り合いという以上に、
著名人が知り合いという以上に(実際にはいないけれど)、
「へえ。そんな友達がいるの!?」と、皆さん、興味津々、目を光らせて反応される。
そんな珍しい職業の人、は自分の周囲にはなかなかいないということだろう。
趣味でマジックやる人は多かれど、その道うん十年のプロ、それで食べている
というのはみんなの憧れ、夢。
でもそんなことは。なかなかできない。でもそれをやっておられるというところが
みなさんの関心事だ。
このマジシャンは、マジックアーチストとして地元から国内外へとさまざまな目線で
マジック文化の普及、啓蒙に熱心だ。
地域でのマジック教室から百円ショップでの商品開発までマルチな才能でもって
マジックの裾野を広げるべく、日々奔走されている。

年齢差はもしかしたら親子ぐらいの違いがあるが、
その謙虚でひたむきな姿勢で、またどこか少年のように
純粋で、ギネスやゴッドタレントに向かっていのちを
燃やす様からは俗に言う年齢を超越されている。
もしかしたら、その人の人生そのものがマジック的かも
しれない。

お互いそれぞれ唯我独尊の生き方をする共通点から、
常にいい距離での心友と私は思っている。
そして、
一生涯ブレない夢を抱き、努力を重ねておられる生きざまに
心から敬意を表している。

マジシャンなんだから、ある日消えてもまた
ある日現れる。
これからも人々に夢と元気を。

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おもろい人に出会える仕事はおもろい。

夏のイベントの企画を考えていたとき、
うーん、何か面白いことはないか?
ふと、岐阜の山の方で、昔やった流しそうめん体験を思い出し、
あんなイベントができたらいいのでは。
とひらめいた。

企画とは瞬間のひらめきと、妄想だ。

ひらめいたはいいが、それをどうやってやるのか?
試したことはあるが、それを主催したことはない。企画したのも初めてだ。

どうしたものか・・。
探していたら、やっぱり世の中広いもの。そして面白い人がいるもんだ。

なんと、流しそうめんのプロをみつけてしまった。
「これや!」と思った私は、サイトを見た途端、気が付いたら
そこに電話をかけていた。
電話の向こうは青年だ。京都の人だから、言葉も通じやすい。
「あのー、イベントで流しそうめんやりたいんだけど、相談にのってくれますか?」
そして、彼が翌日たまたまやっているという大阪のとあるパチンコ店の
流しそうめん会場に向かった。
なんで、こんな遠くに?電車を乗り継ぎ、乗り継ぎ、暑い日の流しそうめんイベントは
お客様には涼感漂い、とても良い。

実際にわざわざ大阪まで出向いたことで、いっきにその流しそうめんプロとは
打ち解けた。
そして、最近も、宇治まで出かけた。

7月後半に岐阜でそのイベントを決行する予定だ。

それにしても、世の中おもろい人がいる。
探せば絶対にいる。
東京暮らしのままであったら、この仕事もこのネットワークもなかった。
この夏は、なんだか不思議な展開になりそうだ。

観覧車は西にも回り始めたようだ・・。

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古巣に新たな心で。

20年前の9月、旅立った会社。
今でも、会社員の最終日、京都駅のゼロ番線で上司や部下が夜行列車に乗る
自分を送ってくれた日のことを鮮明に覚えている。

そのお世話になった会社は京都の碁盤目の西から、伏見城の近くに移転した。
いずれにしても、20年間足を踏み入れることがなかった。

そんななか、とあるきっかけから、久しぶりに訪問することとなる。
20年前から今もずっと勤務されている先輩・同僚、後輩。
自分がやめてから入社された人たち・・・。

時代を超えて、同じ巣にいた時代があるという、同窓生としての出会い、再会は
なんともいえない。

なつかしさと、感謝の気持ちとが入り混じる。
20年間とは、人が生まれて成人までの月日。決して短い時間ではない。
その時間を経て、新しくなった古巣を見直すことはとても意義がある。

この20年間で得た経験をもって、恩返しする。
自分が育った街、学校を思うように、
お世話になった会社の発展、成長を願わない卒業生はいない。
何か自分ができることで恩返しをする。
それが育ててくれた上司たちへの恩返しにもなる。

このことを静かに決意する。

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最後の晩餐は何を召します?

近くに住んでも、元気なうちは、それぞれが好きなように
暮らすのが良い。
必要なときには、緊急時には駆けつけるというつもりではいる。

家族では月に一度、父親のお気に入りの店で夕食をする。
いつの間にか、わが家のお決まり行事。
両親と娘2人。
生まれ育った家族が今もそのまま、みんな元気であることは
何よりありがたい。

「年寄りは頑固なんじゃ~」
と意味不明で、自分勝手なことばかり言う父に、
父に負けていない強気の母。
二人の決戦の様子は、もう見たくも聞きたくもないが、
まあ、この決戦が二人のアドレナリンを放出していることは
間違いがない。

でも、やはり二人とも間違いなく年老いてきた。
いつまでも、若くはない。
「俺の人生はもう終わりや」
と言いながら、股関節の痛みに耐えながら、テレビ通販で
何度も流れてくる商品を試してみようか・・と
生きる気は満々だ。

いずれ、いつかが最後の晩餐になるだろう。
100回も一緒に食べることはない。
そう思うと、1回1回を大切に、親が好きなように過ごせる
そして楽しかったね!と言える時間を大切にしたいと思う。

おかげさまで、まだまだ旅行にも出かける。
毎日、近所の友達に、行事に、庭の草取りにと
元気に動いている。

いつそんな日がくるかわからないけれど、
幸運の神様に感謝しながら、親の人生がうまく結べるように
応援していきたい。

ちなみに、父の好物は鯛のあら煮。きっと最後の晩餐も
それなんだろう。

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私のゴールのニンジン。

競馬でがんばる馬たちは、1等賞をとったときと、ブービーだったときは同じニンジンを
もらっているのだろうか?
がんばったら、好物をあげるからね!と言われて馬たちはがんばって走っているのだろうか?
ニンジンを目の前にぶら下げて走っている馬は実は、あまり見たことがないが、
人間にとっても、目の前のご褒美は大切だ。

大変下世話な例であるが、たとえば、ひとつの大きな仕事がある1日。
よし、今日はコレをがんばろう。そして、終わったら美味しいあそこの蕎麦を食べてから
帰ろう。
なんて、そんなことを決めてみる。
蕎麦まであと何時間。あとこれだけ・・。
ゴールまでカウントダウンしながらがんばる。
そして、たどりついたその蕎麦の美味しいことといったら・・。

このゴールに用意するご褒美は、ささやかでいい。
いつもその場所や状況で、変えてみる。

何をぶらさげるかを考えると、なぜかやる気がわいてくる。
やっぱり、私はシンプルな動物だ。

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