動き始めるなら、アンダンテで

今週になって、名古屋の町が動き始めた。そんな感じがしていた。
小売店も少しづつ営業を再開しはじめたり、これまでずっと閉まっていたカフェも時間短縮ではあるが、営業しているのをみつけたり・・・。臨時休業の文字を見ると寂しいような、何とも言えない気持ちであったのが、営業中というサインを見ると安心したり・・・。1件1件の判断や思いを勝手に想像していた。
名古屋はもともと地下街が有名であるが、これまでほとんど見ることのなかったシャッター通りになっていた状態が、眠りから覚めたように、少しづつ営業している店が顔を出し、通行客こそ少ないが、ゆったりした生活のリズムを感じるようになった。徐々に普段に戻ってきている。
やっぱり、町はこれでなくっちゃ・。となぜか安心する。
名古屋でいえば、4月12日より時が止まったように町全体の自粛がはじまった。百貨店もSCも臨時休業のまま・・・。無理やり動きを止められているような、緊急事態とはこういうことか・・。そのなかでオープンしている店もマスク姿の接客姿に、ビニールシート、アクリルの仕切り・・・。この風景にもいやおうなしに慣れてきた・・・・。
でも、もう1か月。もう、そろそろ・・。

そんななか、昨日、首都圏、京阪神を除き、緊急宣言も解除となった。
全国の夜明けは、もうしばらくの辛抱だ。在住されている方にはお見舞い申し上げるとともに、もう少しがんばってくださいね。とエールをおくりたい。
徐々に日本中がより動き始めるだろう。
でも、二度と同じ事態を招かないように、注意して過ごさねばならない。
うまいこと、このまま進んでいかねばならない。元どおりではなく、新たな環境とつきあっていかねばならない。

それにしても、町が動き始めるのを見ると安心する。人が働いているのを見ると安心する。いのちも、経済も大事だ。
いきいき人々が生活している日常に戻れたらいい。
今回学んだことを生かして、そろりそろりと動いていこう。
そう、音楽用語でいえば、アンダンテ。ゆっくり歩くような速さで。
決して走ってはいけない。


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マスク越し、モニター越しで募る思い。

いつまでマスクをしなければならないのだろう。
もうこれからの季節は本当に困る。熱中症になりやすいし、とにかく暑すぎる。
またコミュニケーションもしづらい。声は聞こえづらいし、表情は見えないし。
では、マスクをしていない目でしっかり表情をと思っても限界はある。
新潟の仕事をWEBでやってみようということで、テストでつないでみる。
すでに何度かWEBミーティングはやっているが、毎回違うアプリを使い、
ドキドキしながら、映ったか、聞こえるかのテストをしてから、打ち合わせに
入る。
今回、テストをしてみてわかったが、知った仲での、すでに面識がある人とのWEB面談は問題がない。突然本題に入れる。
しかし、今後自分がやろうとしているのは、相談会だ。
始めて会う人とモニター越しにどこまで対応できるだろうか?ネットの通信環境、(時間帯など同じ空間での利用回線によっても通じ方が変わるらしい)などを越えて、はじめての方の困りごとをしっかり引き出し、答えなければならない。
リアルであれば、空気を読みながらできるので容易なことが、さて、WEBでどこまでできるだろうか?
ビジネスの場面だけでなく、オンラインでコミュニケーションをするのがどんどん主流になっている。
今巷ではやっているらしい、オンライン飲み会。何人かの知人が参加したと報告をしてくれたが、ある人はこれはだらだらとしてしまい、なかなか終わらないし、話題がないと続かないので、会議みたいにテーマが要るという意見や、オンラインで飲んでいた仲間と、実際に会いたくなってきたという声。

これは3か月前まで考えたこともなかった、マスクもモニターも、1枚挟んだコミュニケーションは本当に不便だ。
1枚挟んでいるだけで思いが募るのだ。相手を知りたくなるのだ。
どんな表情なんだろう、本当はどうなんだろう、ああ、会いたいな~。
しょせん、人間には生のコミュニケーションが最終的には必要なのだ。

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プチプチ感動体験談を思い出す

2年前まで、新潟でやらせていただいたラジオ番組「愛の元気人」。
地方紙の存続が難しいと同時に、地方のラジオ局の存続も厳しいなか、
よく8年もの間、続けることを許されたものだ・・と改めて思い出す。
その番組の中にあったコーナーのひとつ「プチプチ感動体験談」。
日頃の暮らしのなかで、小さな感動があると、それに気づくと、幸せ
に日々を過ごすことができる・・。そんな思いで毎回いろんな小さな
感動体験について話していた。
そのことをずっと忘れていたが、最近のこの自粛期間。
何気なく、毎日小さな感動体験を楽しんでいることに気づく。

朝、天気予報はテレビで、ネットで確認していたが、今は窓を開けて
今日の天気を確認している。
「雨か~。」「いい天気だな~」「うわ、今日は気持ちいいわ」。
ふと頬がふれた外気に、爽快感を感じたり・・・。

車の通行量が減っていることで、町の空気が間違いなくきれいになって
いるはずであるが、それを感じる。空気が澄んでいる、町がキレイだ。
またマスクをずっと付けて歩いて、人混みがなくなったところで、
それを外すと、こんなに普通に呼吸するのが幸せだったのかと
感じる。

などなど、これまであまり感じたことがないことを多く感じ、

幸せを感じることがある。

不安に思うことよりも、幸せを感じる。

今日も元気でありがたい。今日もすることがたくさんあってうれしい。
小さな幸せ、小さな感動。これがあれば、人間は生きていけるのだと思う。

経済の成長は、消費を通じて人間が欲望を満たすことを教えてしまった。

それが今保留になっていることで、人間の本当の幸せが見えてきている。

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「どうしているかな?」のコロナ コミュニケーション。

最近、電話帳に登録していない相手先から、電話が入ったりすることがある。
誰かと思って出てみると、あらあらと、懐かしい人だったりする。
「どうしているかと思って。。。どう?」という安否確認の連絡である。
年賀状だけのやりとりの人、それも途絶えている人、とにかくしばらく
交流がなかった方からの、ありがたく連絡をいただくことが多い、この
コロナ自粛期間・・・。

そう、誰もが感染してもしかしたら・・ということも十分あり得るので
気になったら、まずは連絡しておきたい。

そんなこんなで、私自身も、この1か月ほどの間、ふと顔が浮かんだ人たちに
メッセージを送り続けている。
新潟の方たちには、一斉にお見舞いをお送りしたが、元気な様子で安心したとか言われて、ああ、気にかけてもらっているのだ、心配いただいているのだと、その気持ちも大変ありがたく思った。ある方は地元のクッキーをおすそ分けとしてわざわざエアパッキンに包んで郵送してくれた。ふと思い出してくださったのだろう。ふれあいが深まる瞬間はつかの間の癒しになる。

とにかく、このウイルスは気が抜けない。

今のところ、感染したという連絡、報告がないのはありがたいが、
自分も含めて、本当にわからないから・・手放しでは喜べない。

だからこそ、とにかく気になったら、すぐコンタクト、気になったらすぐ行動。

そんなことを書いていると、安否連絡したブエノスアイレスの知人から返信が。外出禁止が続くが、元気そうでひとまず安心。

そんなこんなで、気になる人、気になったら即連絡。安心とともに久しぶりの交流も始まる、このコロナ コミュニケーション。大切な人を思い出す、といういいきっかけでもある。


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貢献貧乏の観覧車人生

売り場が閉店してしまって、商品が売れない。売り上げが減った・・・。
知人の会社、長年お世話になっている企業さん、ご近所さん、ご無沙汰している方・・・。この時期こそ、いろんな方のことが思い浮かぶ。
少しでもできる限り応援しなければ・・・。と気が付けば、いろんな商品をあれこれ注文し、届いた商品を買い物に行けない方や、困っている方に送ったり、
届けたりしている。
気が付けば、連日宅配からの荷物が・・・。

貢献貧乏になる。

でも、これまで購入していたようなものを買わなくなったり、出かける機会が
少なくなった分を食料品などの購入に費やしているのだ。

経済は小さくても、回ればいい。

そんな気持ちだ。

こんなときにこそ、人生は観覧車のように・・・ではないけれど、出来る範囲で
できることをすればよい。
そうしていると、またいろんなものを送ってくださる方がいる。
不思議なものだ。
お会いできない分、相手のことを思うと自然と、そういう気持ちになる。

貢献とは、大げさでなくてよい。できること。したいと思うこと。
自分がやれること。モノやお金を送るだけでなく、メッセージでも
ありがたい贈り物になる。

その気持ちを受け取った人が送り手の気持ちをわかること。
伝わることで、ふっと笑って、元気に進み始めれば良い。
貢献貧乏、実はハートリッチ。できることがありがたい。

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映画から学ぶ、気づく。

映画館は本当に気の毒だ。連休に向け、大型の作品の上映も予定されていたことだろう。今後も、継続、存続が気になる。
シネコンも、街角にある名画座もひっそりして、悲しい気持ちにさえなる。

一方、ホームシアターは好調だ。BSで連日名画がプログラムされていたり、各種映画専門のチャンネルも豊富であるが、やはり今はAmazonプライムが定番であろうか。
とくにこのコロナでの自粛期間は、これを鑑賞する人も多かったのでは。

私は外出は控えてはいるのになんだか毎日バタバタで、読書も映画も、演奏や創作も進まず、普段と変わらぬ生活で、これではいけないと思っていたところ、
ある方から「パターソン」という映画をすすめられて、やっと観る時間を得た。
懐かしいアメリカ映画。ニューヨーク近郊のパターソンという実在の町が舞台。
ニューアーク空港の近くというから、親近感も沸いた。
主人公はバスのドライバーであるが、実は詩人。その夫妻の日常を描いた、大人の映画だ。静かでとても深く、また癒される名作。
後半には日本人の詩人が登場するところも興味深い。
バス運転業務の合間に、秘密のノートを開き、思い浮かぶ言葉を書き連ねる。
乗務中に車窓から見える景色や、後ろから聞こえる乗客の会話は、すべて彼の詩作のヒントにもなっているようだ。
スマホもタブレットももたない。ノートとペンだけ。そして毎晩、愛犬の散歩をしながら、馴染みのバーに寄り、ビールを飲み、仲間と静かに語る。その時間も詩作に活かされている。
作品の中に時々出てくる詩がとても美しく、そして人間は、紙とペンさえあればいつでも創造することができ、心満たされることを知る。

「書く」という行為はとてもシンプルであるが、内面との対話を可能とする、人間に与えられた貴い力。それさえあれば、充分。
派手にきらびやかに生きるのではなく、社会の中で職業をもちながら、同時に自分らしさを追求する創作活動をすることで、バランスよく幸せに生きることができる。
 この作品を見ながら、心があたたかくなり、幸せな気持ちになった。
そして、自分も書かなくてと。
ノートとペン。これすら持たずに、いつもスマホで暮らしている今を反省し、
あるべき姿を考えねばと思った次第。

映画の中では、マスクをかけた人はほとんどいない。ああ、こんな社会に戻れるのだろうか。そこだけ、見ていて悲しくなってきた・・・。

パターソン。ぜひいつか、訪れたい。映画の舞台にふさわしい町だろう。

映画は見る前と後で自分を大きく変えてくれる。自分にとってはこれさえあれば・・の最高の存在だ。

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喪主の覚悟。

長年の闘病により、亡くなった方の正式な連絡が封書で届いた。
見慣れないその方の娘さんの名前が差出人。

ご本人からの郵便物でないことがないことが、しっくりこない。
封筒を開けると、お母さまの最期の様子やお気持ちがかかれ、
そして生前のお礼が述べられていた。
終活をしっかりされたお母さまだったから、娘さんにしっかり
伝えることは伝えて旅立たれたのだと思いながら、この印刷物を何度も
読み返す。
闘病最後の二か月がコロナ感染拡大の時期と重なり、そんな中、病院で
最期を迎えたお気持ちはいかばかりか。
それを見守り、そして送られた娘さんのお気持ちは・・・。
最後に喪主としての娘さんの名前が締めくくられていた。

喪主。自分の親を送るときにはその役割を担うことになる。
この方はお母さまの病気とともに、いろんな覚悟をされ、準備を
されてきたのだろうか。この印刷物ひとつ取っても、どんな気持ちで・・。
抗がん剤をやめて、静かに終わりをと決断されてからの約1年。
そういう意味で準備の時間はあったかもしれない。ある日突然のお別れでなくても、気持ちを抑えて葬儀を執り行うことは、大変だったろう。生前よくコミュニケーションされていたとはいえ、、。いろんな思いが交雑する。

人の最期は、ある日突然ということもある。時間がある場合もある。
いずれにせよ、生きているうち、元気なうちにしっかり
コミュニケーションしておかないと、つとまらない。
親のことを思うと、複雑な思いになることがどんどん多くなるが、
いい終わりにできるように努めねば。

人は皆、生きて死ぬ。自分の死を見ないまま、あるのは人の死。
そして身近な人の死には常日頃からの覚悟が必要だ。

さて、自分が死ぬときは・・・喪主はいなくていいかな。


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同じ現実にどう向かい合うか。

コロナ・・・。世界の人々に等しくふりかかってきた禍。見えない相手というところが一番厄介だ。
このウイルスにどう立ち向かうか。撲滅というのは見えないから、まずは難しい。これをなくして、何もなかったときと同じようになる・・・は、まずは無理と思った方が良い。
これだけのインパクトをもって、何もなかったときには戻らない。戻れない。
そこは覚悟しておくべき。
こういう現実を乗り越えて、どう未来を創っていくか‥が大切だ。
未来は創れる。現実を乗り越えていこうという知恵と力があれば、必ず道は開ける。開けない、不安と思った時点で何も生まれない。
また、どんな危機もいつ来るかわからない。
人間はそんな不確実な環境のなか、生きているものだ。
たまたま、これまでが良すぎただけ。と、そう思った方がよさそうだ。
同じ現実。これをどう見て、どう感じ、どうしたいと思うか。
ここがとても大切だ。

不安に思う気もちを断ち切る生き方。

それは、まず今日に感謝すること。

今日がなければ、明日はないのだから。まずは、今日を希望を持ってがんばろう。

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できること、やれることで不安解消。

高齢者施設もなかなか大変だ。
医療機関と同じく、休みなく入所者の世話を続けなければならない。
この自粛期間、GWもサービスを継続されている施設には心から感謝である。
デイサービスは「密」空間にもなりやすいせいか、この期間は活動休止。
することがない、毎日を持て余す老人たちのお世話、本当に大変だ。
多くの施設では、感染予防のため、面会禁止であるが、換気をして玄関で
短時間のみ面会を許可する施設もあり、その場合は、入所者にとってもわずかな
息抜きになるのかもしれない。
私も、週に一度、雑誌などの差し入れを兼ねて、顔だけ出すようにしている。
そして、会話をしているとすぐに口喧嘩になる。これは昔からのことであるので、恒例行事のようなもの。ストレス発散をし、落ち着いて別れる。
こんなつまらないことも、今できること、やれることだ。

一方、知人のお母さまも施設に入所されているが、そこは面会禁止だそう。
ご自身も家族で自営業なので、感染したら、仕事ができなくなるので、
親に会いに行くのを我慢していると聞く。
「じゃ、お母さんに手紙でも書いてみたらどう?」
と伝えると、
とても元気な返信があった。
「そうですね!ひ孫の写真を添えて手紙を書きます。それがいいですね。
ありがとうございます」
良かった。
会えなくても伝えることができる。伝える方法はある。
距離があると、余計に愛おしくも思える。
当たり前のことを見直し、今できることを少し目線を変えてやってみる。

やれること、できることをやってみれば、相手も、自分もハッピーだ。


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コロナ見舞いとアニバーサリー

自粛の延長が報道されるなか、静かなGWは続く。
自分自身の暮らしは、まだなのか、それともこのままなのかもわからないが、
変わらない。ただ、出張を止められ、行動範囲が狭くなった。ただ、だからといってすべきことはあり、食べるものはあり、健康を維持できている。
でも、それぞれの事情、環境でこのパンデミックの影響は異なり、そして長期戦というところでの不安が募るのも間違いがない。
そんななか、こんな目立つカードが届いた。いつも応援している企業からだ。
鮮やかな黄色に赤の印刷。触ってみると、このイラストに描かれているうさぎを触ったような、ほんわか感。
あえて、コロナだからとかのは記載はないが、、

「いろいろ大変ですが、元気にがんばりましょう。」

と書いてある。そして、うさぎのところに、「さわってなごんでね。」とある。

こちらの会社は、ーこの春50周年を迎えた。まさかのコロナアニバーサリー・・。

このハガキの背景には、昨年就任したばかりの新社長の自宅に、最近、北海道の実家より海産物のお届けがあり、そこに熨斗が入っており、「こんなときだからこそ、がんばろう」という一言があり、勇気づけられたことがヒントになったとか・・。予期せず、ひとことエールをもらえることが嬉しかった、この想いを、ご縁をいただいた企業のみなさん宛に、GWに送ることにしたとのこと。

確かにこういうときに、ひとこともらうと元気が湧いてくるし、そのときに覚えていてくれていることもうれしくなる。

決して派手に発信している会社ではないけれど、ほんわか真面目に仕事をしている会社らしく、何とも言えない、人情味あふれる社長夫妻の想いが伝わってくる。
このハガキ1枚から、何か新たなコミュニケーションや、やりとりが生まれることもあるだろう。自粛の期間だから、今だから何か一緒にという声もあるかもしれない。が、それよりまず、自社の静電植毛のこの技術でもって、お見舞いを伝えたいという思いから、ひたむきな前向き姿勢を感じる。

この大変な時期に迎えた50周年。今は何で?と思っても、後でいい節目になったと振り返ることができるよう、このアニバーサリーを元気に乗り越えてほしい。

コロナお見舞い。私も個別には始めているが、年賀状の香り編につづいて、
このほんわかバージョンも実行してみるかな?

今こそ、スクリーン越しではなく、直接のふれあいが欲しい。

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