ネット社会のプロパガンダ。

20世紀前半のナチズムの情報発信行為を例にしながら、
「あれは同じPRでも、プロパガンダですから、私たちが目指すPRとは
違います。今日の企業や組織がすべきPRは、PUBLIC COMMUNICATIONSの
PRです」
と、そんな話をもう何度も何度もしてきた。
そう、プロパガンダとは、もう昔の、反面教師の、二度と現実にあってはならない情報発信行為。
言い換えれば、扇動的な発信活動。

気が付けば、現代社会はネットという手段が加わることにより、より加速的、拡散的、かつ
無責任的にプロバガンダの時代に突入している。
世界の大国がほとんどそうかもしれない。
ヒトラーの時代もそうだったようだ。気が付かないうちに、みんなそれがいいと思うように
なっていた・・・。そうなるように仕組んでいく、あるいは思考停止にするのが、
恐ろしいこのPR。

中立でなければならない、むしろ立場の弱い人(社会的弱者)を守る、どんな人も
社会で等しく元気に生きられるように応援すべきマスメディアも今や変わり果てた。
なんで、今、その話題を選ぶのか?
と毎日思う。
だから見なくても良い、見ては毒になる・・そんなメディアも少なくない。

知り合いのジャーナリストは、最近こんなメッセージを寄せてくれた。

新聞の役割って、
悲劇を二度と繰り返さない
とか、
いま、世の中で困っているひとをさらに生み出さない
といった点で、
弱者の視点を普遍化し、問題提起することなんだと思います。

・・・・・・・
そのとおり。
なのに、部数を競う新聞やとくにテレビは、プロパガンダへの道まっしぐら・・。
と私には感じられる。

やはり、受け手として、きちんとした受信力を身に付ける必要が
これまで以上に必要だ。

プロパガンダの次が、戦争・・というステップにだけは
絶対ならないように。

と、そんなことを危惧している合間に、オリンピックが
始まるらしい。

カテゴリー: Essay (Word) | ネット社会のプロパガンダ。 はコメントを受け付けていません。

哲学をどうする?

55歳からの生き方について、模索している。
35歳になるまでに、「心の観覧車をつくる」というライフコンセプトを
考えた。そして、そのまま20年歩いてきた。
今も、これからも、この方向性は変わらない。
コミュニケーションを通じて、関わる人が幸せになるように行動する。

そして、さらにここで、新たな柱を立てなければ、とも強く思っている。

まさに観覧車が20年という大きなサイクルを回ってきたように、原点に戻りつつ
また新たに回り始めたい。

20年前と比して、コミュニケーション環境は変化し、人は易き方向に流れ、
足元が不安定な気がする。
眼前の欲望に心踊らされ、しっかり考え、人生を意義あるものにするということに
ついて、とても気になっている。

哲学が必要だ。なぜ生きるのか、なぜ愛するのか。人はそもそもなんなのか?
これを難しそうに、上から目線で唐突にいいだしても、伝わらない。
このことを私なりにわかりやすく伝えることは意味がありそうだ。

自分がすべきことが、だんだん見えてきた。
少しづつ 光が見えてきたような気がする。

で、哲学をどうする?
私の場合、こうする!を具体化していこうと思う。

カテゴリー: Essay (Word) | 哲学をどうする? はコメントを受け付けていません。

目を閉じて、地球の裏の彼に。

ときに、テレビや街角のお店から、バンドネオンの音色が流れてくると、手も足も止め、耳を澄ます。
そして、目を閉じると、あのブエノスアイレスの真っ青な空が心一杯に広がってくる。
ピアソラの弾く音色がよみがえり、たまらない気持ちになる。

写真はピアソラのお墓の写真だ。
もう一年半前になろうか。念願の訪問。

季節が日本と逆になる当地では、夏前に咲く、ナジャランカの花がとても美しく・・。
青い空にピアソラが弾く、バンドネオンが響き渡りそうな、そんな場所にたたずんでいた
ことを思い出す。

あるメロディから、目を閉じるだけで、現実以外の再会やタイムトリップを
体験することができる。
音楽の力とは、まさしくマジックのようだ。

ああ、必ず弾く、必ず行く。もう一度。
ふと、ピアソラに寄せた曲を創りたくなる。日本は冬、むこうは・・・・夏。

カテゴリー: Essay (Word) | 目を閉じて、地球の裏の彼に。 はコメントを受け付けていません。

ブランドが変わる節目の日に。

名古屋のとあるホテル。名古屋城の目の前にある、地元を代表するホテルのひとつ。

そのホテルがこのたび、看板を変えた。ブランドが変わった。昔の屋号に戻った。

思い起こせば十数年、昔の屋号ではない、世界チェーンの名を冠した時代に、
そこをよく利用し、ときには親孝行にも、使ったりしていた。
名古屋岐阜周辺に来るときは、まず、ここ!であった。
故郷に近い、ちょっとしたハレの場でもあった。
そして、この周辺から名古屋駅までよく歩いた。
名古屋という町に興味をもったきっかけのひとつは、これらの経験があったから。

しかし、もう近くに引っ越してきたため、二度と泊まることはないな~と少し
寂しく思っていた矢先に、そのブランドがなくなる、ライセンス契約が終了する
ということを知り、さらに寂しい気持ちになった。

と同時に、看板がブランド名が変わるということ自体に興味もあり、馴染みのブランド
を名乗る最終営業日に注目してみた。
お世話になってきたホテルスタッフにお礼のメールを送り、そして
最後の雰囲気を感じたく、外出のついでに立ち寄ってみる。
最終日に、空間で感じることがあるかどうかを知りたくなったのだ。

ホテルとは、24時間365日営業する、もてなしの空間だ。
看板が変わろうが、ライセンス契約がどうであろうが、営業している以上、利用客には
迷惑をかけず、きちんとおもてなしをしなければならない。
この日、建物のサインにホテル名はない。明日からの新ブランド名を準備し、隠してあるのだろう。
でも、入口にはまだブランド名が残っている、これも今晩外して新しいものに差し替えるのだろう。

ホテルのスタッフとも少し話す。
「今日でホテル名変わるんですね。大変ですね」
というと、笑いながら
「そうなんです~。もうバタバタで・・・」
サービス業でのブランド変更は、かなり計画的に準備されるが、それでも営業しながらというのは
大変なこと。看板もそうであるが、ホームページひとつ、いろんな帳票類ひとつとっても
どのタイミングで切り替えるか・・・。見えないところでの準備に際しての、ご苦労は計り知れない。

ブランドが変わるから、といっても、一晩で急にサービスが変わるわけでもないが、
見えるものすべてを変更し、徐々にフルチェンジするというのは大変な労力だと思う。

私は、そのブランドがとても好きだった。その名前があったから、このホテルを利用してきた。

だから、この変更は大変残念であるが、今度は散歩の途中に寄る地元のホテルということで
違う楽しみ方をしようと思う。

著名ブランドの冠がある、ない。
この影響はどうだろうか。
時間とともに、いろんなプラスマイナスの効果が見えてくるだろうが、
ひとえに、
スタッフの力が一番大きいだろう。
地域密着の、地元を代表するホテルとして、がんばってほしい。

時代とともに、いろんな人生の場面が幕を開け、そして閉じる。
次はまた新たな幕を・・・。

そして、ありがとう。ウェスティン名古屋キャッスル。
部屋から見えた名古屋城がとても好きだった。

カテゴリー: Essay (Word) | ブランドが変わる節目の日に。 はコメントを受け付けていません。

現代のソクラテスに憧れ

社会問題が増えるほど、人々の不安もや迷いも増える。
大きな隣国でも、昨年交代した大統領のふるまい、言動で
世間は右往左往、メディアも混乱。

そんななかニューヨークでは、街角で人々に議論を投げかけ、人々に
思索を促す、ストリート哲学者が今、話題を呼んでいるようだ。
どうやら、哲学を学ぶ大学院生が自ら行動しているとのこと。

たとえば、
「あなたにとって、人生とは?」
というテーマについて。あるいは、人々が考えたいテーマを用意し、投げかけ
考え、意見を出し合う。人々が話し合っているところに、その輪に入ってくる人がいる・・。
その議論で町かどが盛り上がる・・・
と、日本では考えられない光景が、今、NYで広がっている。

古代ギリシャの時代、ソクラテスはまさに町に出て、人々に口頭で哲学をすすめたそう
であるが、まさしくその21世紀版である。
ちなみに、NYでは大学の授業のなかで、ソクラテスを全員が学ぶプログラムがある
ようで、西洋哲学を実践する素地は日本より浸透しているのかもしれないが。

いずれにせよ、街角で哲学とは、私にとっては理想のコミュニケーションスタイルの
ひとつで、とても興味深い。

生きる上で大切な、根本的なテーマについて、日ごろより考えたり、話し合うことは
とても大切だ。
そんな場を提供しているのがその哲学者だ。コミュニケーション・クリエイターとも
重なってくる・・。

ふと、こんなことを日本でもできたら・・。同じ形でなくても良いが・・

最近、哲学の大切さを強く思うため、何かヒントにしたいと思った。

カテゴリー: Essay (Word) | 現代のソクラテスに憧れ はコメントを受け付けていません。

遅くない。小さい応援、こつこつと・・。

先日、福島の農家さんから送っていただいたりんご。
程よい酸味で、すっきりさわやかな風味・・。
すっかり「毎日リンゴ」が習慣づいた。
そう、実はここんところ出張に出るとき、
おにぎり同様、りんごを切ったものも持参している。
「りんごは、皮も食べてくださいね」と、教えてくれた上越の方は
もう空の上。
だから毎日、りんごをいただくたびに、その人やいろんな人や
東北に住む人、訪れた時の情景などが自然と思い出される。
そんな甘酸っぱい、わがリンゴ暮らし。

そろそろ、箱の中のりんごがなくなる。このまま、福島のりんごと
別れがたい。もう少し食べ続けたい。そして、周囲の人にも分けたい。
あの、りんごに同梱された放射能の安全検査シートを見たため、
より一層、そんな気持ちになっていた。

箱に書いてあった連絡先に電話をする。
「あのー、りんごを先日送ってもらったのですが~、
段ボールに書いてある番号見て、お電話しました・・」
(箱の印字って、結構リピーター効果がある!ことも実感)

経緯を話し、りんごを発注する。
「ああ、〇〇さんところからのね。覚えていますよ。
もう大きいのはないですけど、いいですかね・・・・
じゃ、住所をいってください」
農家さんとこんなやりとり。
季節が変わると収穫物も変わる。そうか~。
「・・・・・では、お待ちしています。あのー、
がんばってください。福島応援しています」
「ああ、どうもありがとうございます。じゃ、
待っててください。」
こんな会話。
顔が見えない分、余計な一言を言ったのかもしれない。
応援しています…は、要らなかったかもしれないが。

もうすぐ7年になる。
でも、解決していないことが多すぎる。
福島の方のご苦労を思うと、こちらは本当にのほほんと
していて申し訳ないが・・・。

小さすぎることであるが、時間が経っても
応援し続ける。
そのことは、今こそ大切なことかも。

もともと りんごを贈ってくださった主から
届いたメッセージ。

「応援ありがとうございます。
ふくしまは、生きています」

カテゴリー: Essay (Word) | 遅くない。小さい応援、こつこつと・・。 はコメントを受け付けていません。

毎日我流の健康三点セットを。

気がつけば、スマホを万歩計として使っている。
だから、外出時はその意味で必需品。
毎日の習慣だ。

日々の目標は一万歩。
これぐらい歩くとちょうどいい。
ちょっとたくさん歩いたかな~と少々疲れを感じる13000歩~15000歩。
でも、それでもなかなか気持ちいい。
20000歩を越えたのは、岐阜城を上ったときぐらいだろうか・・。

1日中にいると、0歩。これは不健康だ。だから、用事をつくってでも歩く。
そう、作家のNさんは、毎日決めた時間に散歩をされていた。
歩いて、いろんな道を通って、いろんな角度でモノを見て・・そうすると
いいアイデアも浮かんだり、つまらない悩みも吹き飛ぶ。
クリエイティブな仕事に、散歩は一石二鳥。

この10000歩ウォーキングに加えて、6時25分から10分Eチャンネルのテレビ体操、
そして数分のミニヨガ。

この3点がここのところの、私の基礎健康法。
大したことではないが、体を動かすと脳にも血液が巡り、やる気もみなぎる。
出張先でも、ホテルの部屋が狭かろうが、関係ない。
心身に良いことを無理なく習慣化する。
こんなことをしていると、生きることがとてもシンプルなことに
思えてくる。
その瞬間も必要だ。

自分でできることをみつけ、やりはじめ、無理なく続ける。
1日を元気に滑り出そう。

カテゴリー: Essay (Word) | 毎日我流の健康三点セットを。 はコメントを受け付けていません。

おばちゃんに地域差?

仕事場の建物が工事ということで、かなりの騒音。
では、外でやるしかないと、寒さに負けず脱出。
久しぶりに図書館に行き、調べものをしながら、平日でも図書館の利用者が
多いことを発見し、いろんな生活があることを知る。
では、
次はコーヒーでも飲みながら、読書や書き物でも・・・
名古屋はカフェも多いことだし・・。と、
ゆったり過ごせそうなカフェを探す。
やっぱり、ある程度知っている地元のチェーン店が良いかと
Kコーヒーに入る。
平日の午後。さあ、モーニングもやってない時間帯だから
静かに過ごせるかな~。
いやいや、なかなかの賑わい。なぜ名古屋の人は平日午後、
こんなに喫茶店に集うのか。特にご年配のおばちゃん軍団。
席を探すが、ひとりのお客さんの横の席に空きはなく、
やむなく、お二人お座り席の、横のシートに
腰を下ろす。今のところ、そちらは静かだ。

お店のスタッフが、すぐ注文を聞きに来てくれる。
「あ、カフェオーレください」
オーダーしたとたん、しまった!・・・
その静けさは、休戦もしくは戦闘前のスタンバイだったのだ。

隣の席のおばちゃん同士の会話の声がだんだん大きくなる。
しかも席がそんなに離れていないので、話題は筒抜け。
聴きたくなくても耳に入ってきてしまう。

工事の音がうるさいから、外に出たのだが
あまり意味がなかったか・・と思うほどに、
おばちゃんの世間話は賑やかというか、うるさい、

名古屋や岐阜は概ねそうだ。確かに・・・。
思えば、東京や京都や、そう新潟も・・・
ご婦人のカフェタイムとなれば静かだ。

もしかしたら、中部地区のおばちゃんの健康法は
喫茶店でおしゃべり。ではないか。
病院だと大きな声もご法度であるが、カフェなら
問題ない?
いやいや、大問題だけど??

ま、工事の爆音よりはましと思い、読めなくなった本を
とじて、早々に退散し、わがサードプレイスを探し直すうちに
日が暮れ、工事が終わる時刻。
あまり進まなかった読書を悔やみながら帰路に着く。

おばちゃんに地域差あり。気を付けよう。工事音より注意。

カテゴリー: Essay (Word) | おばちゃんに地域差? はコメントを受け付けていません。

情報のゴミを増やさない意識。

大のマスコミが、「●●大統領が、ツィッターでこんなことを書きこみました~」と
平気でニュースを読み上げている現象に違和感がおさまらない昨今。
すっかりツィッタ―やフェイスブックもインスタグラムも、マスコミにとって
ありがたい素材提供のメディアになってしまっている。
そんなところから簡単にネタをとらず、自ら直接取材に行ってこそのマスコミであろうに・・。
時代も変わった。
ま、それはそれとして、
ツィッタ―。当初はどんなものかと試用したが、今は距離をおく。
使う場面には強みを発揮するだろう。とくに緊急時、災害時には使えるのは理解している。
それ以外での場面。匿名のこのメディア。書こうと思えば好き放題だ。
今回、ある選挙のツィッタ―を数日見て、そこに出てくる言葉の醜さに失望した。
言わなきゃおられないから、投稿されているのだろうが、汚い日本語。
いくら字数が限られているとはいえ、口でも言えないような汚い言葉をそこに残す
のは・・・。
こうなってくると、今やネット社会の多くは、「ゴミ箱」のようだ。
言いたい放題、書きたい放題。そこに相乗りして、ストレス解消。
と、こんな用途には考えさせられる。

どうせ発信するならば、自分の言葉で。読み返しても恥ずかしくない表現で。
もっとも、匿名での発信というのは・・。

もちろんコミュニケーションの目的、価値、手法は人それぞれだ。
ただ、発信するということは社会的行為であることを、理解しなければ
情報のゴミ箱はますます大きくなっていく・・。

目を覆いたくなる投稿は、決していい結果を生みださない。

カテゴリー: Essay (Word) | 情報のゴミを増やさない意識。 はコメントを受け付けていません。

「じみんとう」ではなく「しみんとう」の時代へ

我がふるさと岐阜市の市長選が終わった。
短すぎる選挙期間であったようであるが、選挙に出るなら
4年前から準備する。そうすれば、公示後に慌てることもない。

今回、県庁所在地の市長としては、全国で最も若い青年が
選出された。なんでも、前回の選挙後4年間、活動を続けて
こられたそうだ。
どこの党にも所属せず、「市民党」と銘打って、活動を
つづけ、地道に市民からの信頼を集めてきた。
ご本人にお会いしたことはまだないが、いろんな面で
期待したい。

地方行政は、市民と首長は近い関係であるし、自分たちの
暮らしに身近にかかわることも多いため、
市民との交流は不可欠だ。
既存のいわゆる政党はもう飽きた、もう嫌だ。
保守県と言われてきた岐阜もついに、世代交代の風が
吹いてきたような気がする。

投票率が低すぎたのは、寒さのせい?
自分が行かなくても たいして影響ないわ。という感じか。
そこは残念であるが、
政党に属さない青年首長の今後に期待したい。
選挙のための「しみんとう」でないように。
と、ヨソモノ感覚でふるさとを見つめながら、
ふるさとの発展を心から応援したい。

カテゴリー: Essay (Word) | 「じみんとう」ではなく「しみんとう」の時代へ はコメントを受け付けていません。