私を生きさせてくれる力。

今回の母のことに関し、多くの方が心を寄せてくださり、
心配いただき、あたたかい言葉をいただき・・・。
多くのお友達に見送っていただき、旅立った母もかなり幸せな人
であったと思うが、私自身も、大変な幸せ者だと感じる今日この頃。

本当にしんどいとき、悲しいとき、つらいとき、どこまで寄り添えるか。
痛みがわかる人ほど、私の心にそっと寄り添い、やさしく包んでくださる。

私の母にご挨拶を・・と遠方より通夜に駆けつけてくださった方や、
一昨日「元気で安心した」と、私の顔を見て、涙を浮かべてくださった
社長さんがおられ・・・そのことにも感激した。
ご自身のお母さまが亡くなったときのことを思い出され、他人事と
思えなかったと心配してくださっていた。
また、突然の入院時から心配してくださって、その経過をずっと見守り、
声をかけてくださって、心のこもった弔電やメッセージをお送りいただいた方にも、その方の存在自体に頭が下がる。
表面上の言葉だけでない、心からの思いがひしひしと伝わってくる。
そんな経験を今回、多くいただいた。

改めて、多くの人に支えていただいていること、皆さんのいろんな愛、思いに
感謝の念が募ってくる。

母との別れは、私の人生のなかの一つの節目となる。
私はそれでも、生きていかねばならない。生きていく。
そのことに前向きになれるのは、周囲の応援のおかげ。

なんとも言葉にしづらいが、今、とても幸せを感じ、自分の将来を心新たに
描き始めている。
哀しみはすべていい思い出になり、永遠の宝になり、これも私を生きさせる
力になるだろう。

すべてのご縁に感謝し、前を向いて、今日も元気にしなやかに。
私は私の新たな旅を続けるとしよう。

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今は、時の流れに身を任せ・・。

人は生きているなかで、多くの出会いと別れを繰り返す。
人生はまさに喜怒哀楽。その多くの出会いと別れの間には、多くの感情も経験する。そして哀しみとの共存は、なかなかパワーが必要だ。
哀しみをいい思い出に変換していくステップが必要だ。

おかげさまで、今、周囲の皆さまに励まされ、心寄せていただき、
今日の自分がいると思う。
このたび、どれだけの気持ちをいただいたことだろう。
本当に、本当にありがたい。
無理に元気にしなくていいと、言ってくれる親友もいる。
健康を気遣ってくださる言葉も多くいただく。
一方、元気に仕事し続けて!とエールをいただく。
「マーサは、私の元気の源だから」・・と・・・。

大変忙しく過ごせることは、本当にありがたい。
そうできることが、ありがたい。
皆さんが、心寄せながらも、普段どおりに接してくださるのも、ありがたい。

今、私の日常が何かしら、前とは違う感覚のものになりつつあるが、
その違和感、現実感のない日常も、
おそらく時が経てば、馴染んでくるのだろう。
「日にち薬」という言葉をきくが、
今の私には、それが一番必要なのかもしれない。と思う。

時の流れに身を任せ・・・。

自然体に生きる。私にとっての自然体は、これまでどおり、元気印でいる
ということ。





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送るさくらまつり

父がお世話になってきた施設の方からのメール。
「高田橋のさくらに、お父さんの提灯がありましたよ」
へ?父の?そんなはずはない。何かの間違いでは?

実家の近所の川沿いに、毎年咲き続ける桜。
私が子供のころから、ずっと咲いてきた。
どんなときも、この桜が咲くと、気持ちが高揚した。
観光地ではなく、地元の人たちが愛でる、まちのさくら。
咲き始めたころに、近所の自治会の方たちによって
地域の企業名、商店名、個人名が入った提灯が飾り付けられる。
この提灯がともると、一気にまつり感が増す。
そこに、商店を経営するでもない、一個人の父の名がある?ほんとかな。

早速、この道を往復、通りながら、父の名が入った提灯を探す。
すると、ちゃんとあった!
父の名入りの提灯だ。
誰が手配したのだろう?
毎年飾られてきたのだろうか?

その情報をくださった、施設の方は
「もしかしたら、お母さんが手配されていたのでは?」
とも言われ、不思議な感覚になる。

父の提灯。父のさくらまつり。
もうさくらは散り始めている。
まつりはもうすぐおしまい。
父は、このさくらでもって、母を見送っているのかもしれない。

なんとも、この提灯が、両親の顔に見えてくるのが不思議だ。

さくら散る。人生は散らず。
人のいのちは、永遠に咲く花。

母が自転車でよく通ったこの桜道。
今年は、やけにドラマチックで、心にしみる。
外出できない父に、この写真を見せてあげたい。

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宝さがしが始まる・・・。

まだ急いでやる必要はないけれども、この勢いで、すべきことは早めに済ませたい・・・。
次に何が起きるかわからないため、今できることは、少しでも前に進めておきたい。
1時間でも30分でも時間ができると、母の遺品整理をすることにした。
いやはや、すごい量で、手ごわい。
業者さんにお願いすれば、即日片付けることも可能であるが、今回は、ちょっと
母の生きた時間、彼女なりのモノとの向かい方も知っておこうと、とりあえず全荷物に目を通すことにした。
すでに多くの荷物は段ボールに入れてあったため、その中身を見直し、分類して
不要物は処分という流れだ。
ひとつの段ボールを開ける。へえ、こんなもの、集めていたのか。こんなところへ行っていたのか、これは同窓会?まだみなさんご存命か?など、母から聞いていなかったことも含め、いろんな情報が飛び出してくる。それにより、母の半生を思い浮かべることができる。
へえ、佐渡にも、壱岐にも行っていた?いろんな土地のお土産らしきものもたくさん出てくる。パンフレットなど印刷物も集めていたようで、旅を楽しんでいた様子が伝わってくる。そして、写真がいたるところに入っている。
旅をして、楽しい時間を写真に収めて・・・。それが一番の楽しみだったのかも?もちろん大金など出てこない。出てくるのは、海外旅行で残った端数の紙幣やコインぐらいか?
それでも、こんな風に生きていた・・ということを、山のようなところから探すことも悪くない。
どんな宝が出てくるかはわからないけれど・・・。

ま、しばらく、この宝さがしも継続するとする。
娘らが、母在りし日の思い出を辿るため、彼女は整理せずに、旅立ったのか?
といいように解釈するとしよう。

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新世界との出会いと学び。

1週間前。突然、病院から呼ばれて、とにかく駆け込んで、冷静に冷静にと
言い聞かせながら、病院の裏口から、斎場の安置室まで乗車した車。
ここから、わが人生の超非日常が始まった。
これまで無縁であった、葬儀社の方とのやりとりが始まった。
事前に勉強しておこうと思いつつも、縁起でもないと思い、
いざとなれば何とかなる。
とそのままにしていたが、こんな急に必要になるとは・・。
それでも、さすが葬儀社の方は常に突然の事態に対応されているので
落ち着いて、葬儀に関する全てのことを丁寧に教えてくださって、
手配してくださった。
この仕事は最初の電話の応対こそが、大切であることを知った。
昔、東京で、高級な家族葬儀場の見学に行ったことはあったが、それはあくまでも他人事であり、ビジネス例であり、それ以来葬儀業界の方に会ったことはなかった。
今回、葬祭ディレクターというプロの下、すべての段取りがなされた。
母の訃報から出会った主な人たち・・・。病院の先生、看護士さん、特別車両の運転士さん、花屋さん、納棺師さん、そしてお寺さん(これは自分で手配)、火葬場で働く人たち、そして、この葬祭ディレクターと現場のスタッフたち・・。
とくに納棺師の仕事と、火葬場での収骨をされる方の仕事ぶりは、人生初の経験として、悲しみを越えて、関心をもって、そのお仕事ぶりを拝見している自分がいた。また、お寺さまの御経には声の響きや、お話しの内容を拝聴しながら、
お経は此岸と彼岸をつなぐコミュニケーションツールなのかも・・と思ったりしていた。などなど、これまで、考えたことがないことに多く出会えた。
また個別に書くことがあるかもしれないが、とにかく、1週間前まで自分が住んでいた世界からさらに世界が広がった、そんな心境だ。
悲しみも寂しさもあるけれど、それよりもこの新世界との出会いをかみしめたい。
世のなかには、いろんな仕事がある。いざというときに役に立つ仕事がある。
この葬祭の仕事に関わる人々に、改めて心から感謝と尊敬を。
今回、かなり人生観も変わったような気がする。
送る仕事。とても大切だ。
この皆さまのおかげで、母は素敵な旅立ちができたのだから・・・。

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おばちゃんにエール活動開始。

母がいない家、町。
想像もしなかったし、まだ実は自分にとっては、実感がない。
わざわざ実感して感情が湧いてくるよりも、今はこれまでどおりに
時を過ごし、ずいぶん時間が経ってから・・・そういえばいないんだ・・みたいな感じになるといいと思っている。
と、自分のことはおいといて、母と長い間、家族同様におつきあいいただいてきた近所のおばちゃんたちが気になる。
農協の渉外担当によると、どこに行っても母の話題でもちきり、それ以外のトピックスがないようで・・・。それだけ母の死は共通の出来事のようだ。
皆さん、惜しんでくださることは、ある意味うれしく、ありがたい。
その中でも、とくに96歳、母と同い年81歳のお二人。
もう半世紀以上、母と家族以上のおつきあいをしていただいてきた。
葬儀も、悲しみのあまり、参列できなかった、眠れなかった・・・という
状態であったようで、こちらが心配になってしまった。
母の死が仲良しの方に、悪い影響を与えてはいけない。
母が亡くなっても、元気に生きてもらわねばならない。

そんなことを思ったら、いてもたってもいられなくなり、
おばちゃんち訪問作戦を実行した。
「こんちわ~。おばちゃん、おられる?」
「元気にされてますか?元気?元気?がんばってもらわなあかんよ。
お母さんの代わりにがんばってくださいよ」
私自身、この方たちとは、母が元気なうちは、そんなに懇意にしてはいなかった。ライブに来ていただいたら、御礼を言ったり、時々出張土産を持っていく
程度であった。
母の調子が悪くなるにつれて、おばちゃんたちとのやりとりも増えた。
みんなで元気に生きなくちゃ!という思いだ。

今は、母の代わりに元気に生きていただくために、応援する番だ。
おばちゃんたちは、話している間に元気になられた。笑い声も出た。
「そうやな、寂しいけど、元気に生きなあかんな。」

少し落ち着いたら、母を懐かしむライブも企画しようと思っている。
おばちゃんたちが、元気で、そして母を忘れないために・・・。
次できることは何か。楽しく、次のステップに進んでいこう。
母がお世話になった方に、お返しをしていくこと。
これが残された仕事。
みんながいい思い出で、人生を進んでいけるように。



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居場所変われども、関係は変わらず。

人生の一大事業は、親を見送ることだ。
本当にそのとおりだ。
もしかしたら、私は、母の人生を送るために、この人の子として
生まれてきたのではないかと、1週間前まで、
そんなことを考えていなかったが、
今はそんな風にも考える。

1週間前までは、目の前にいる存在。外出していても、どこかに行っていても
目の前にいる、見える存在。
今はもうそれは叶わない。
上にいる、あるいは胸の内にいる。
姿かたちは見えないけれども、確かに存在し、そして関係は変わらず。

今は、まだ時間が経ってないため、
いたはずの場所にいないことに、哀しみや寂しさも募るけれど、
おそらく、時間が経てば、新たな居場所に慣れるだろう。
人間は、そういう力をもっているはず。

母の死は、不思議なことに、
すでに、いろんな学びを私に与えてくれている。
悲しみや寂しさを乗り越えて、生きるということについて。

もう少ししたら、きっとその変化に慣れるだろう。
居場所変われど、関係は変わらず。
今は、
寂しさと悲しみに包まれている、仲良しだった近所のおばちゃんたちを
励まし、一緒に楽しく、思い出話ができるようにと思う。
今日も、母の代わりに、声をかけにいく。
もちろん、代わりにはなれないけれど。

とにかく、関係は変わらない。
そう思えば、大丈夫!な自分がいる。

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何も変わらないのだ・・と。

私の人生において、一大事が起きた。
それでも、世間は何も変わらないように見える。
駅には、町には、電車には・・・、どこもここも、何も変わらない
普段の風景。我関せずという感じで、普段の時間が流れている。

この町のどこかで、私と同じような経験に遭遇している人も多くおられることだろうが、それでも町は、個別の哀しみとは無関係に、春の賑わいを見せる。
町全体が沈んでいないことが、せめてもの救いといえる。
何もなかったように、若者たちが新しいスタートに忙しい。
ああ、みんな生きている。私も何も変わらなくていい。
そんな気持ちになる。

大切な人が長い旅に出ても、その人を忘れなければ、その人はずっと近くで生き続ける。という考え方をずっと信じている。
親友の死も、お世話になってきた大好きな人たちの死も、そのように自分のなかで受けとめてきた。

もういない、と思うとつらいけれど、何も変わらないと思えば、気が楽になる。

ちょっと留守するけど、ちゃんとやってよ。
ただ、それだけのこと。
何も変わらないのだ・・・。

今はそう思えるように、変わらない風景をいっぱい見ることにする。
私がもっと強くなれる修行のときかもしれない。



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桜散る前に、旅立ち。

告別式の朝、スマホに入っている両親と写っている写真をプリントするため
斎場近くのコンビニに行く際に、咲いていた校庭の桜。

ああ、いい季節に旅立つんだなー。
まるで、この時期を選んだかのように・・・。
プリントした写真は、妹と一緒に書いた母への手紙や、私の本やCDのジャケットなどと一緒に棺に納めた。

出棺の際、仲よくしてくださった方が、拍手と「ありがとう」の声で、
送ってくださった。
母と初めて一緒に乗ったベンツが、霊柩車とは・・・。
母は、自分の自転車をいつも「私のベンツ」と呼んでいた。

とにかく、とにかく母の願いどおりに、送りだしてあげることができたように
思う。
「お母さん、喜んで見えるよ。」
と連絡をくださった方もあり、安堵する。

そして、何より父が参列でき、最期まで見守ってくれたことがよかった。
父は突然の別れに、告別式の間、時折大声で泣いた。
「みのり愛」を歌う私の声に、父の泣き声がこだました。
長く面会できないまま、無言の別れとなってしまったが、母はきっと
父に「ありがとう、ありがとう。まさひろさん」
と言っていただろう。

桜が散る前に、母が旅立った。
81年の人生。そのうちの57年を一緒に生きることができた。
悔いなし。
母へ、心からお疲れ様でした。

※このたび、母の逝去に伴い、多くのお花や弔電、心寄せるメッセージを
お届けいただきました。母も喜んでいると思います。
私自身も、本当に励まされました。寄り添っていただき、ありがとうございました。心から感謝申し上げます。

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とびっきり、最後の親孝行。

正直、悔いはない。
自分なりに、母に全身、全力向かい合ってきたつもり。
当然のことながら、私が生まれたときから母はずっと存在していて、
この57年間、ずっと「いる」のが当たり前であった。
いつかその日が終わるとは、頭でわかっていても、あり得ないと
思っていた。
母は死なない。母は特別。
と思っていた。

そんな死なないと思っていた母が、全力で生き、そして
あっけなく生涯を閉じた。

18歳で岐阜を出るとき、引っ越しの日
「ピアノ、どうするんや。今尾家どうなるんや」
背中でずっと怒っていた、あの日を思い出す。

昨日のお通夜には、多くの方がコロナを考慮し、時間を分けて
弔問においでになった。
「わあ、キレイやね~」
祭壇を見て、遺影を見て、母の旅立ちの姿を見て、皆さんがおっしゃった。
そして、多くの涙・・・。

家族葬は嫌だ!と言い続けた母の希望に応えるカタチで、旅立ちをお手伝いできたことは良かった。
今日は、最期のお見送り。本当に旅立ってしまう。
父と一緒に送りたい。
それが、本当に最後の親孝行になる。

ひとり、祭壇の前でたたずむ。

今日は、彼女のリクエストで生まれた曲、地域の皆さんに歌い継がれている曲
「みのり愛」を歌い、旅立ちを送りたい。
抱えきれないほどの感謝の花とともに・・。



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