イベント仕事の勘をとり戻す夏

ここのところ、毎週と言ってよいぐらいイベントの仕事を担当。
自分で企画した内容を、仲間と一緒に告知、集客、実施、そして報告する。
と同時に、もう3か月先のことを考え同じようにぐるぐる回る。そんな
まさに観覧車的な仕事。

イベントは、決まった時間で、決まった空間で、その目的をどう達成するか。
まさに、「そのとき」が勝負の、「そのとき限り」で終わる、ある面はかない仕事
であり、だからこその感動づくりがやりがいにもなる。

ここ最近、お子様向けバースデー、流しそうめん、さらに水ロケット教室など、
これまでやったことのないジャンルに挑戦させてもらっている。
お子様と親御さんに対し、両方に喜んでいただけることを考え、実行している。

イベントと言う仕事は、本当にきめ細やかさが大切だ、
万一のときのことをかなり細かく想定している必要がある。
だから、計画準備が細かければ細かいほど良い。

あるイベントの前夜に、あることが心配になる。気づくとずっと気になる。
「あれ?って用意しなくて良かったのかな?大丈夫なのかな?」
しかも夜中に気になったりすると、誰にも連絡がとれない。
眠れない。そして朝早くから、最悪の場合の対応も準備するようになる。

そして、その準備が不要だと知ったとき、ああ、よかったと安堵する。
準備は細やかに、チェックはもれなく。
イベントは自分の準備不足が原因で、アウトになってはいけない。
やりなおしができない。
天候に左右される。
いろんな状況で、予定通りいかないこともあるが、
天候以外の理由をのぞき、いかに予定通りやり切るか。

多くの人のご協力を得ながら、イベント仕事の勘を取り戻してきた。
終わったら、疲れとともに、喜んで下さったお客さんの顔が浮かび
ほっとするのだ。

イベント。
この仕事を面白いという人がいるが、わかる気がする。
印刷物など創り上げる仕事とはまた違う魅力だ。
感動づくりの仕事は、実に多様だ。
暑い中、右往左往するイベントの仕事は、ダイエットに最適な
仕事だ。ー

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ゴール目指してどの道進む?

今の時代、世の中、とても便利だ。
出張でどこかに行く場合も、いろんなルートがある。
台風だから、東京経由ではなく・・・とか
飛行機が飛ばない場合は、陸路で、電車がダメならバスで・・とか
道もいろんな道がある、
高速がダメでも、国道を通ったり、回り道すればたどりつける。
ちょっと不便になっても、たどり着くことができるのだ。

人生も同じだ。
ゴール目指して、どう進む?
どの道を進むか。どんな風にいくのか?
本当に生き方は、多様だ。

どうせなら、過程を楽しみに、その間に見える景色や、人間関係を大切に
ゴールありきではなく、今を大切に向かっていくと
人生はまた味わい深くもなる。

これしかない。はない、
人生生きていれば道を、進み方をいろいろみつけ、選ぶことができそうだ。

また、道なき道を創りながら進むのも、生きがいがある。

台風の朝の移動手段を考えながら、ふとそんなことを考えた。

新潟行も、東京経由でも、飛行機でもなく、長野横断というルートもあり。
こちらを選択し、普段と違う移動時間を味わうことができた。
道を変えると、世界が変わる。

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不思議なある国と今日という日。

ある国での不思議な現象。

国のトップを選ぶというきわめて大切な行為。
その人物の質の良しあしにより、国力も低下する。
独裁者の時代は、世界のどこにも、もう絶対に来てはならない。

だから、
国のトップを決めるという大事な選択は、
直接的に国民自身が関わるのが
民主主義としては、きわめて自然だと思うが、

その国では、
国民が直接ではなく、国会議員たちが投票する。
その結果で、国のトップが決まるのだという。

もちろん国会議員は、国民によってえらばれた人たちだろうから、
国民を代表してくれて、国民が想っているように行動してくれたらいいが、
ここが、なぜかずれている。大きくずれているようだ。

国民の多くはこのトップはNO!と思っているのに
議員の中では、そのトップはいいそうだ。
また「ハバツ」と言う不思議な単位?括り?縛りが未だ存在しているが、
そこでなんやら、わいわい。

国民からすれば不思議でしょうがない。

国民の意志が反映されない。政治家ワールドには、何があるの?
議員が国民の代表というならば、そうじゃないんじゃないの?
と、おそらく多くの国民は、その国の政治に不信感、さらには
無関心の方向へ向かっていることだろう。

もっとオープンに。
もっと自由に、
議論が交わされ、いいはいい、悪いは悪い。と
言い合えることこそが、民主主義の原点であるのに、
その国は、時代が逆戻りしているようだ。

税金だけ好きなように使われて、
民意を生かさない、議論を見せない、密室の決めごと。

こんなことがまかり通ると思っている人たちが関わる
国には期待が持てない。

自分が住んでいる国はそうであってほしくない。
と思う、今日この頃。

今日は長崎に原爆が投下された日。
そして終戦記念日が近づくにつれ、
世界史のさまざまな
傷跡を見るにつれ、

今の時代は大丈夫か と強く思うのだ。

私たちが生きている国は、しっかりしてほしい。

今日鳴る長崎の鐘に、今一度心落ち着かせ、
人間のこれまでとこれからについて
悲しみと痛みを背負った全ての人に哀悼の意を
捧げ、考えてみよう。

人間がもう二度と過ちを犯さないように
なるために。

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すごい生命力の老パパママにエール。

この酷暑、小さなお子さんや、ペットにとっても気の毒であり、
またお年寄りにとっても、悲痛な、まさに闘いの夏である。

毎日6時に安否確認メールを続けているので、生きていることは
わかる。
朝、涼しいうちに、庭の草取りをして、暑くなったら屋内に入る。
それでも、帽子をかぶりながら、自転車に乗り、近所の喫茶店に
モーニングに行ったり、野菜をあげたり、もらったり・・。
こんな暑いのに、よくぞ活動していると。感心するやらあきれるやら。

「タクシーに乗ってくればいいから」と、岐阜駅で待ち合わせし、
落ち合い、そこで食事をする。
そこでも、まあ、元気なことで、驚く。
杖をもっているのに、ついていない。杖をもって歩いているから笑える。
なんのための杖か。
父にいたっては、駅ビル内のさまざまな椅子や階段や手摺など
(家にはないもの)を利用して、屈伸運動とかしている。
公園の遊戯のように使っているのだ。コレにも笑う。
足腰を鍛えているそうだ。
先日、試しに渡した、テレビなどでCFをしまくっている
某薬品も、効くか効かないかわからないが、信じて飲み続けているようだ。
とにかく、生への、健康への執念がものすごい!
暑さに負けじと頑張っているのだ。

私はこのじいさん、ばあさんは、一体何者だと 関心する。

父は昨年、免許返上した際に、
「俺の人生は、もうおしまいだ~」と
意気消沈していたのに、すっかり復活している。
生ビールも美味しくいただき、骨のある煮魚もペロリ
いただく・・。

今年も秋のふるさとライブをやるのだという。
これは、親が元気なうちはやると決めているが、
もうやらないというのかと思ったら、
もう希望者がいるので、やるのだという。

本当にこのじいさん、ばあさん、あっぱれだ。

タクシーで帰っていく二人を見送る。

なんだか、こんなに暑くても がんばって生きようとしている
二人を見ていたら、
もっともっとこっちはがんばらなくちゃと思えてくる。

負けてたまるか、死んでたまるか。まだ生きてやる。
そんな気持ちが満ちた、わが両親。

わが親は、すごいなあと。
そして、ぼけずにがんばってくれていて
ありがたいな~と思う、

どんな仕事を終えた後よりも、なんだかすっきりして
気持ちよく帰路に着ける。

死なないでほしい。ずっと生きて欲しい。
それは無理だろうが、でも、
あの人たちががんばっているから、
今日の自分がいることは、間違いない。

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長崎の鐘のモデルに心寄せ・・

なぜ、広島が、長崎が原爆投下の対象になってしまったのか。
軍港や造船所などがあったことと、都市の規模が関係あるとも
言われているが・・。
広島の投下の影響、被害が、もし現代のように、ネット社会ですぐさま
アメリカに情報が入っていたら、2発目の長崎はなかったかも
しれない。
歴史には、さまざまな憶測がつきものであるが、起きてしまった
現実を塗り替えることができないことが、本当に本当に悔しい。

この時期になると、長崎の原爆で自ら被ばくしながらも、住民の治療に専念し、
自らの病と闘いながら、平和への祈りを捧げた永井隆博士のことが
頭に浮かぶ。もちろんお会いしたことはない。しかも恥ずかしいことに
3年程前に知ったばかりだ・・。
この方は、かの有名な「長崎の鐘」の歌のモデルになっている方だ。

今、氏が病に伏されてから、書かれた著作を少しづつ読み進めている。
そのなかに、「乙女峠」なる小説がある。

これは、明治の初頭、長崎の浦上より、全国各地に流刑された
隠れキリシタンのうち、津和野へ流された人たちの悲しい物語である。

実は、昨年初めて山口のザビエル教会に出向いた折、地元の人に
導かれ、観光地である津和野へ・・と立ち寄ったが、まさしく
そこは、この乙女峠が存在した場所そのものであり。長崎から
連行され、殉教した人たちの傷跡が今も残っている場所で
そこに足を踏み入れたとき、言葉をなくすほどのショックを受けた。
永井氏のその小説は、あの現場をまざまざと思いださせた。

永井氏は、津和野に出向いて取材したかのような詳細な
隠れキリシタンたちの悲惨な状況を描写している。

なんだか、この悲劇は原爆にも似ている・・。ともしかしたら
永井氏は感じていたのではないか。

被爆者と隠れキリシタンは、何か通じるものがある。
罪がないのに、権力や権力が生み出した敵から責苦を受けたと言う点だ。
原爆と弾圧。この両方の苦しみを、長崎の人だけが知っている。
そのダブルの苦悩を乗り越え、強く生きてきた彼ら・・の
根底には、やはり強い信仰心があったとしか言いようがないと考える。

永井氏があの小さな如己堂に横たわり、書き続けたこれらの文書を
読みながら、長崎の歴史を想像し、そして学ぶのである。

もうすぐ長崎に、広島に続く二発目の原爆が投下された日が
やってくる。

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世界が、忘れてはいけない日。

今日、8月6日は広島への原爆投下の日だ。
一昨年前に出会った友人は、この広島出身で、おじいさまやおとうさまが被ばくされた。
お父様は、あの原爆ドームの修復に関わるお仕事をされたとご本人から
教えてもらってから、いつもあのドームを映像で見るたびに、それを
知らなかった頃以上に、脳裏に深く焼き付いては離れない。

そして、その友人自身は、ふるさとの悲しく重大すぎる経験を無駄にしてはならぬと、
原子力の研究者として活躍をされてきた。
そんな出会いもあり、また最近の長崎との皆さんとの多くの出会いもあって、
私にとって、原爆の悲劇は毎年この季節がやってくると、
さまざまな思いが自分の中を駆け巡る。

戦争を経験したことがないので、えらそうなことはいえない。
間接的にしか、情報でしかわからない。
でも、経験された方たちの心からの叫びを聞くことで、経験していない自分にも
わかることはある。

戦争に限らない。人類史上、起きてきた人の手による残虐な事件。
このことは、忘れてはいけないのだ。
なぜ、それがおきたのか。どうすれば防げたのか。今後なくすにはどうしたらいいのか。

そして、思う。
私のようなちっぽけな存在がえらそうなことを言っても、
国が動くわけではない。
ほとんどの人が、民がそうだ。
でも、大切なことは人から人へと伝えていく。
それが真なる、あるべき世界への確かな道筋だと思う。
瞬間の拡散ではなく、地道に伝え、人々の心にメッセージを
吹き込むことが大切だ。

時間が経つと、リアルに体験した人がいなくなる。
そんな風にして大切なことが風化していってはならない。
だから、伝えられる人が、伝えようと思う人が、
表面的なことでなく、心からの発信をし、リレーのように
思いをつないでいくこと・・。

それが大切ではないかと思っている。

原爆投下の候補地に、京都や新潟も入っていたそうだ。
そんななか、広島に・・。長崎に・・。
言葉がみつからない。

今年は、豪雨の被災もあり、本当にお気の毒だ。

広島でご苦労されているみなさまに、心よりお見舞い申し上げます。

NO MORE HIROSHIMA

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私も、「生産性」ありませんけど。

政治家のていたらくには、あきれるばかりだ。
申し訳ないが、血管が湧きたつほど、頭にくることが多い今日この頃。

一部の人を指して、「生産性がない」という人がいるそうだ。
子どもを産まなければ、生産性がない?
それは、まったくの無知であり、見識を疑う。また、人としても尊敬することは
断じてできない。
そして、そういうならば、私もとっくに、生産性はない。
でも、おかげさまで生きているが、生きてていいのかな?
いや、ふざけんな!である。

子どもを産まない人にはいろんな事情がある。
産めない人もいるし、
あえて産まない人もいる。

人間の仕事は、子孫を残すことだけではない。
子どもの数、人口の多さ だけが国の幸せではない。
経済の成長だけが豊かさではない。
人間社会にはそれ以外にも大切なものがある。
それを忘れてしまっている驕りの人たち。

「生産性」という言葉はそもそも そこで使う言葉でもない。
モノづくり、経済活動においては意味をなす言葉である。
人の尊厳、人権にかかわるところで、その言葉はふさわしくない。
ということがわからないのだから、無知である。

人はひとりひとり違っている。
いろんな背景、事情があり、違っている。
多様である。それがいいのだ。
人間にはそれぞれの才能や能力があり、
それをそれぞれが生かすからこそ、
社会が発展するのだ。
芸術家の仕事は、もしかしたら生産性は低い?という見方も
あるかもしれないが、しかしだからこその価値があるのだ。
経済活動、稼ぐことを目的にする、見た目の豊かさだけを
追求する人以上に、創造性を発揮し、人に感動を与えたり
する。だから、存在の価値があるのだと思う。

だから、
生きる上において、生産性がすべてではない。

そんなこというなら、
今の政治家たちの生産性は、どうなんだ?

何でもまず自らを省みて、謙虚に発言すること。

生産性。
使う場所を間違えてはいけない。
少なくとも、人に向けて使う言葉ではない。
そして、
多様性を認め、尊敬と感謝にあふれる
世の中になるようにつとめるのが
真のリーダーだと思う。

とにかく謙虚に、誠実に。
反面教師が多すぎて、
もうそんなのばっかり要りませんけど。

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罰の夏 雑感。

オリンピックに向かってメディアやその周辺がなんだか
わいわいと動き始めている。
町は人がいっぱいだ。
どんどん外国人がおいでになっている。
でも、暑すぎて、日本の居心地が、予想と違っているのかもしれない。

一方で、AI,AIとこちらもにぎやかだ。
ホテルのフロントやサービスをロボットが担っているホテルも
あれば、「アレクサ」と呼びかけ、ロボットに答えてもらっている人もいる。
ちなみに、私のニューオリンズに住む友人は、「ALEXA」という名前なので
彼女が急に有名になってしまったような違和感もある・・。
死んでもロボットの世話になりたくない。
自動運転ばかりの車が町を往く・・・。怖い。

オリンピックが終わったら、どうなるんだろう?
いろんなものが、無駄になったり、祭りのあと・・の残骸だけになったりは
しないだろうか?
ゴミだけが残らないだろうか?

そんななか、日本は熱中症や認知症や・・でさまざまな「ショー」が
溢れて、生きづらさが募る。

自然災害が続いて、ご苦労されている人が、困っている人が
たくさんいても、カジノの心配をしている人たち。
そんな人たちを支援する下々の政治家たち。
人としておかしいだろうと思うことを、
かつてはリーダーと言われていた人たちが、
どんどんやっていても、なぜNOと言えないのか。
質の低下どころではない。もはや理解できない、
申し訳ないが、今の日本にはリーダーは不在。
なんちゃって●●●の集団にすぎない。

神様がいるとしたら、自然災害も、このおかしな
社会現象も、すべて神様が与えた罰なのかもしれない。
最近、心からそう思っている。

自分から見える世の中は、
あるべき姿や方向とはどんどんずれていっている。
自分がおかしいのか?
とこれも首をひねり続けているが、
こういう事態を作り出しているのは、人間なんだぞ。と
神さまが怒っておられるのだろう。
気づけよ。いい加減にしろよ・・と。

と、大変惨い夏だ。生きづらい。
そんななか、
純粋に自分がすべき仕事を、道を歩むことが先決であると
信じ、この不思議な靄のかかった、暑苦しくグレーな
世の中を生きるしかない。

息苦しい世の中なのに、健康長寿を目指すという。
経済成長への偏重は人間を堕落させてはいないか?
間違った方向に進ませていないか。

と毎日思えば思うほど、
クラシック音楽が、美しく聞こえてくる。

スッキリしないから、余計に暑さが増す。
酷い夏だ。

耐えよ、と、神さまがいっているのかも。

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人の話を聞く姿勢。

ある勉強会で見かけたこと。
講師が話している目の前で、パソコンを広げ
なんやら入力している人がいる。
気になる。
正直、紙にメモをとっているのと、パソコンに何か入力されているのとでは
何かが違う。
ひとつは入力の音。新幹線の中でも同じことが言えるが、近隣の人に
入力の音が邪魔、騒音になることもあるのに本人はそのことに気づいていない。
「他の方のご迷惑になることがあるので パソコンでの入力はご遠慮ください」
と、司会者が言っても、まだパソコンに向かってなんやらやっている。
もしかしたら、他の仕事を目の前でしている?と?とにかく、講師や周囲には
不快な現象。
しばらくすると、パソコンはしまって、次はスマホを取り出し、講師が話している間、
片手で見続けている。
人の話を聞きながら、スマホで何をしているんだ?調べもの?他の用事??
とにかく、こちらも不快きわまりない。
私は、オフィシャルな対話のとき、人前でスマホで突然調べものをする人のことは
あまり好きではない。
人の話をする調べだすというのは、失礼だとも思うからだ。
「ちょっと調べてみますかね~」と、合意の上なら良いと思うが、聴きながら調べられるのは
目の前の人を軽視しているように思える。

と、こんな具合に、最近、自分本位・自分中心の人が増えていないかと心配になる。
人の話を聞く、しかも勉強にいっているならば、話をする人に注意を向ける、集中すべきだと
思う。
「ながら」は慎むべきだと思う。
以前、ある勉強会で、歩く広告のようなかぶりものをして現れ、その目立ったスタイルで
受講し続けた若者がいて、このときも同じように不快感を感じた。
そして、その人は講師のつくったスライドを無断で撮影しようとして、主催者から注意された。

自分が目立てば良い、自分さえよければ良い。
周囲のことは考えない。
見える情報は全部自分のもの。何をやっても自由。好きなようにする。
それが自分のスタイル。

と思うならばそれは正しくないと思う。

紙のメモとスマホにメモをする。何も変わらないじゃないか~と
思われるかもしれないが、相手の「手のひらの中」で何が起きているのか
わからないという関係はとても不快だ。
もっとも、紙とペンでも何を書かれているかわからないが・・。
でも、スマホはいろんな機能があるから、その分不信が募るのだ。

なんだか世の中が、こうなってほしい、こうありたいと願う方向と違うことが
増えてきていて、当たり前であるはずのルールやマナーが崩れてきているように
感じる。

小さなことでも、気配りを大切にしたい。
人としてのマナーを大切にしたい。
そして、おかしなと思ったら注意をする勇気ももちたい。

夏休みの新幹線内のマナーレスな乗客たちを横目で見ながら、
同じようなことを思いつつ・・・。

とにかく、人の話は真剣に、敬意をもって聴ける人に、
その方が学びも多いはず。
まずは、自分自身がそうありたい。人の前に、自分がまず。

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仕事で一番うれしい瞬間。

連日の勉強会。
暑い暑いと言いながらも、皆さん元気においでいただける。

今回は、青年経営者の発表時間もプログラムに入れた。
家業であるメッキ工場を、新規事業と広報活動により
見事立て直したという、有言実行、熱き挑戦者だ。
彼の話を聞けば、同じく中小企業を担う、そこで働く人たち
は元気と勇気をもらえるだろう、やる気も沸いてくるだろう
との思いから発表を依頼。
会う機会は少なくなったけれど、それでもこうした無理を
聴いてくれ、自分たちのことを「イマオ チルドレン」と
言ってくれるのがとてもうれしい。

暑いメッキ工場での格闘の合間に、勉強会に駆けつけ
10分ほど話してくれた、
もう何度も外で話してきているし、今や高校でも授業を
しているとのことで、プレゼンには不安がない。
一緒にはたらく奥様と、新入社員が会場の最後列で
プレゼンを見守る。

3年前、彼はこの勉強会に参加していた。
あれから月日を経て、会うたびに成長し、会うたびに
輝きを増して・・・。
発表を聞いていたら、なんだか胸がいっぱいになって
きた。
そう、彼とは何度かそういう瞬間があった。
大きな展示会初出展の後、東京駅のホームから
達成感に満ちたメールを送ってくれたことも思いだした。

そう、もともと学校の先生にもなりたかったけれど、
今は社会人の、現場で働く、やる気のあるビジネスマンの
応援ができる仕事をして、こうして企業や人の成長に
関われている。
そのことが、とてもうれしい。

今回、彼の約1年ぶりのスピーチを聴きながら
この会社の将来を頼もしく心に描いた。
今度は、首にまくタオルの替えをプレゼントしようかなと
思いながら・・・。

人の幸せや、成長に関わる仕事は、本当にいいものだ。
こちらも、さらにパワーアップせねば。
チルドレンに刺激をもらいながら・・。

この発表は、勉強会の参加者を予想どおり
勇気づけた。

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