ハンカチが濡れる日

演劇仲間の新作出演が続いている。
この業界は意外と地道であり、そして活発だ。
二人の役者からの案内。まったく同じ上映スケジュール。
しかも行ける日が1日しかない。
よし、この日で2か所を巡るぞ。両方観るぞ。
実は、演劇は映画以上に観るパワーが必要だ。
コンサートと演劇、映画は違う脳を使う。
特に演劇は、あくまでもライブであり、役者の生の
演技を(巨大ホールでない限り)目の当たりにするので
緊張もするし、ストーリーを追いかけるのに頭も使うので
観るには覚悟が必要なのだ。
しかも1日2本。
しかも横浜と高円寺。14時、19時 2つの会場の開演時間に
合わせて、スマホ片手に移動する。

1日2本の演劇鑑賞。
頭の中では、いろんなことを考えながら、感じながら
自分の作品のヒントをたくさん得ようと欲張っている。
頭ではそうであるが、気が付けば、声をあげて泣きだしたく
なるようなことも多く・・
鼻をすする音も、遠慮しなければならないが、我慢ならず・・。

今回横浜で見た、「螺旋とくも」は人間の性悪について、
そして幸せについて、祈りについて、神の存在について。
高円寺でみた「KUDAN」は福島原発後の被ばく牛を
飼育する牧場をとりまく、動物と人間関わり、人間の
身勝手さ・・・。
について描いた作品で、いずれも人間とは何か?
生存とは何か?について問いかける、強いメッセージ性に
あふれる力作だ。
作品自体に心揺さぶられる言葉、場面が多く、ついつい泣く。
さらに、役者の熱演ぶりに「いいぞいいぞ、がんばれ」
と思いながら、その奮闘ぶりに泣けてくる。

久しぶりに、ハンカチが濡れる1日であったが、
頭も心も豊かになり、
やっぱり、伝える人でなければ、発信する仕事でなければと
改めて思った次第。
自分が伝えたいことを伝えたいカタチで表現を
している仲間の存在を知ることで、
とても安心できるものだ。
たまには、こんな1日もおすすめだ。

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何事も期限を決める。

ある知人。彼女は18歳で実家を出て、海外に学び、そして東京で
美容に関する仕事で活躍。これからますます楽しみだと思っていたら
「実は1か月前に、新潟の実家に戻りました。家業が大変なので、立て直しに帰ってきました。
 これからは父や兄の仕事を手伝います」
とのメールが来て、びっくり仰天。そういえば、連休など繁忙期は実家に戻って
手伝っているとは聞いていたが、あんなに東京に慣れ、バリバリだったのに・・・。
と少し心配しながら、このたび新潟で再会。
前回東京でお会いしたときと変わらず、大変明るく元気で、何も変わらないという感じだ。
そして、なぜ急に戻ることになったかについて聞く。
自分も思い当たるふしがあるが、人が何か行動をするときには、タイミングというのが
あるのだ。そういうときは、気が付けば行動していたということになる。
彼女もそういうことだったようで、人生はいろんな変化、転換点により、成長できるのだと
思い直す。
でも、彼女が永久に実家にいて家業を・・と思うのは想像しがたく、
「もうずっとここで住む予定?」
ときくと、笑いながら
「そんなわけないじゃないですか。2年ですよ。2年がんばって成果を
出して、また旅立つんです。東京へ戻るか、どっか違うところで
かわからないけれど、新しい何かをやると思います。それができる
ように2年間がんばります」
と力強い意志表明。
とてもよく理解できる。
一生ここだ~と思うのではなく、自分で期限を決めればよい。
それを更新するのは良い。
だが、いつも時間制限がある方が絶対にがんばれる。
だらだら生きても仕方ない。時間がもったいないから、大切にしたいから
期限付きで進んでいこう。

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社長が心を開くとき。

ある事業者さんが、地元の金融機関からの紹介で、私が担当する広報相談会に来られることがある。
金融機関がお取引先のお客様に、「こういうのがありますよ」と、紹介し、申込も代行、そして
同席されるというケース。
金融機関も企業支援にますます積極的だ。そのおかげで、これまで出会うことがなかった事業者さんに
出会えることもあり、こちらとしても大変ありがたい。
その金融機関担当者同席のもと、1時間ほど、お話をして、そろそろおしまい。というときに
企業さんが、その金融担当者のことをこういった。
「これまで、どこの人も、私のことを「社長、社長」と呼んで、ちょっと気に入らなかったのですが
彼は『〇〇さん』と、私の名前を呼んでくれたんです。だから、『お、これはいいと信頼しようと
思って・・・」
本人の前での発言。その金融担当者はその言葉をきいて、思わず「やった」というガッツな顔になった、
そうか、金融機関の渉外担当者が、企業の社長さんに対して、名前(苗字ではなくあくまでも
名前)で呼ぶということだけで、こんなに経営者の心が開かれるのか。
だから、「この人がいうから行ってみよう」と、この相談会にも来てくれたのかもしれない。
と思うと、この渉外担当者の一言は、私にとってもありがたい。
若い青年であったが、なかなか人の心がわかる人だ。
ある健康サービス事業をやっている企業は、世の奥さまをひとりひとり、下のお名前で呼ぶ
ことで、人が集まるようになったと聞いたことがあるが、世の中、男でも、女でも、
「社長、お父さん、お母さん、先生」ではなく、
名前を覚え、呼んでくれることで、心が開くものなのだ。
人として接するということが大切なのだ。
本音で語れる、悩みを聞き、一緒に解決を目指すには、この入口は大変重要だ。

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「音楽で送ってね」への返信が難しく

母からの朝メールには前の日にあったことが、ほとんどひらがなで打たれていることが
多い。
うれしい話はいいけれど、私の同級生のお母様が急死され、その報告には胸がつまった。
同級生の親の死となると、父母からすれば同じ世代の方々の訃報。

それをどのように受け留めているのかと思うと、とても複雑な気持ちになる。
母のメールには葬儀の様子が簡単にかかれていて、息子さんが立派に挨拶されていたと
書いてあり、そのあと、自分の場合は・・・・と書き続けているのだ。
「私は音楽流して送ってね。『みのり愛』でもいいわ」など書いてある。
みのり愛とは、私がつくったふるさとの曲のひとつだ。
そんな縁起でもないことを書きつられたあと、「あははは」と、笑って結んである。

へんなメール。返事に困る。「わかりました」というには、そんなときの訪れを
認めたくないため、答えが難しい。
「ま、長生きしてください」とクールに返事するにとどめた。
同世代の人の死に接し、自分のことを想像しているのだろうかと思うと、
それ自体が・・・悲しい。
でも、そういう日が増え、また来てほしくない日もいつか来てしまうのだろう。
でも、そのことよりも、今できることを最優先したい。
つらいことも、かなしいときも、「あははは」と笑い飛ばしながら・・・。

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あなたより無駄に年を重ねてしまいました・・・

テレサテン。
彼女に会うことは叶わなかったが、憧れの歌手、そして尊敬する女性であった。
台湾での仕事の契約が更新できたときは、毎年、彼女が眠る金宝山という高台の
墓地に行き、お礼を伝えに行った。
台湾の仕事ががんばれたのは、彼女が見守ってくれているからだと勝手に
思っていた。
42才で亡くなってから、18年になる。
グラン・ルーの歴史と重なるのも不思議だ。
彼女は今、生きていたら60歳。今年は生誕60周年とのこと。
彼女は7歳上のお姉さんだ。
歌姫であり、国際人であり、自由を愛する活動家でもあった。
単なる歌手ではなく、歌に想いを、愛を込めていた。
だから、人々の心に深く伝わり、その響きは永遠なのだ。
気が付けば、私はテレサテンが亡くなった年よりも10年以上
年を重ねた。
無駄に生きてきていないだろうか。
久しぶりに彼女が歌っている映像を見て、自分の20代、30代前半が
蘇ってきた。
無駄に長生きするもんではない。
惜しまれていくぐらいがちょうどいい。
彼女が亡くなったときに、なんという宿命かと思ったが
その人生の終わりまでも尊敬していた。

テレサの歌を聞きながら、改めて、自分ができることについて
考えさせられた。
何をもって、何を伝えるのか。
それが人生において、大変重要だ。

テレサの眠る、あの町に今再び行きたくなった。

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冥途の土産をたくさん。

親との毎朝メールはもう2年続いている。母はがんばって返事を返している。
どうやら、朝メールを見るためにトイレにまで携帯を持って入っていると
聞いて、笑ってしまう。
昨日あったこと、うれしかったこと、こんなことがあった、こんなことがあったと
何かしら前日のことを書いてあり、「また冥途の土産が増えました」
と最後に結んである。
もうメールでのやりとりだけでも100以上はその土産話を見聞きしているような
気がする。
私に関わることでは、コンサートをやったり、東京見物をしたり、そんなことも
その土産であるが、そんな非日常のことだけでなく、ちょっとした友達とのランチや
季節の行事もすべて、その「冥途のみやげ」にカウントされる。
彼女は、胃がんになってから、そのことをより意識するようになったと思う。
いつか死ぬ、そのうち死ぬという覚悟をもってから、より生きようという力が
湧いてきて、おかげさまで元気になって、以前と変わらず活動的に生きている。
「あんた、どんだけ、冥途に土産もっていくの。」
笑いながら、母に突っ込む。
それができる今がありがたい。
この土産は、モノではない、思い出。その大切さが少しづつわかってきたような
気がする。
もちろん、母はモノのお土産を旅先で買うのも、大好きだ。
これは、この世のお土産だ。

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自分らしく「3S」で生きる。

生き方や働き方は人から変えてもらうものではなく、
自分から意識して、行動していくのが前提。
他人が自分の人生を生きてくれることはなく、
最後、自分の一生に満足するか、悔いを残すか
は結局は自分次第。
もう死ぬというときに誰かのせいにしても、もう手遅れだ。
だから、日々、自分の人生は自分で創る、見直す
ことを、今改めて大切にしたい。

そんななかで、最近、自然と共感できた言葉。
あるビジネスマンとのメールのやりとりで
いただいた言葉。
それは、「3S」。
SLOW,SMALL,そしてSPECIAL。
急いで、無理して巨大な投資をして大勝負をして
他人に、他社に、他国に相対的な優位性を目指して
進むことにあまりいい結果はない。
企業もこの考え方で、スペシャリティをもつ存在になることが
大切という考え。
大いに共感する。そして、それを
人の生き方に、そのままあてはめてみる。
相対的な速さ、数字の積み上げを目指す方向での努力よりも、
誰とも違う、自分自身が輝くための
方法を考え、トライする方が、その過程自体も楽しめるはず。
とにかく、自分らしさ、自分しかできないことを
極める、スペシャルを目指す生き方がいい。
この価値を共有できる仲間がいることが、何よりうれしい。

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いつかスポットを当てたい。

芝居に少しかかわることになって、その筋の方々との
交流も広がった。
作家、演出関係者、そして役者。
最近、前一緒に芝居をやった仲間の役者たちが、違う作品にも出ると
聞けばできる限り出向くようにしている。
その人が違う作品に出たら、どんな演技をするのかということ
への関心と、いろんな作品の内容や演出について知りたい
という興味による。
最近、わかってきたのは、役者という仕事は大した仕事だ。
役によって、まったく違う人生を演じるのであるが
ああこういう役もできるのかと感心することしきり。
1か月ごとに新作に取り組むというのは大変な努力が必要だ。

そして、あまたいる役者の中で、主役というのは1作品に
限られている。
もちろん脇役(この表現は違和感があるが)がいないと、
いろんな交わりがないと劇自体は面白くないので、
すべての役者が不可欠な存在ではあるが、
みな主役を目指して、日々努力していることは間違いない。

ある女優が以前わたしにこぼした。
「若い人はいいけど、もう私は年なんで~。」
役者の世界は若い方が優位なのだろうか?
でも、私にとっては、中年というか少し熟した、
あるいは少し枯れた感じの演技が似合う役者は
絶対必要で、やりがいもあると思っている。
要は多くの作家が、この人を起用したいと思い
声をかけてくれることが必要だ。

私はこの中堅世代の女優さんが好きだ。
彼女が楽屋でまっすぐにこだわりつづけて
稽古をし続けているその姿勢を知っているから
彼女がずっともっと活躍できるといいなと
思っている。

一握りの人が成功するといわれているこの業界で
あるが、可能性を持つ人々が多くいる。
厳しい競争の世界ともいえる。
私は、いつか彼女に演じてもらえる作品を
創りたい。いっぱいスポットを当てたい。
と、彼女の新たな作品への取り組みを見ながら
強く思った。

一度決めた夢を捨てない人が残れる業界。
その意欲、意地がすごい、素晴らしい。
好きな仕事なんだから、できること。

応援したい人がこうしてこの世界にも
じわじわ増えつつある。

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「一生勉強」は幸せ人生。

仕事でお世話になり、個人的にも気が合い、親しくお付き合いいただいている
知人との久しぶりの会食。
その人は、営業マン畑ではなく、管理面から地道に組織に貢献し、
私と同学年であるのに早くから上場企業の取締役である。

そんなビジネスマンの彼を尊敬するひとつの理由は、大変勉強熱心であるということ、
自分のための勉強だからといって、自腹で勉強を続けておられることだ。
たまたま、私も1年作家大学に行き、この春から別のことを学ぼうとしていると
話すと、その意義をよく理解してくれる。
彼自身が、語学が好きで、英語は独学を続け、今中国と韓国語の両方を週末
習いに行っている。
会社の取締役で多忙なのに、自分から学ぶ姿勢をずっと撮り続けており、そこが
大尊敬するゆえんだ。

学ぶことは、仕事にももちろん役立つし、自分自身の成長にも役立つ。
そして、彼との共通認識は、いろんな役割になってみることは大切ということ。
役員という自分だけではなく、学校の一生徒になることで、視野が広がる。
私もそうだ。自分も講座を行う仕事もするが、自分が生徒になることにも
違和感はない。
そう、1年間通った、作家大学での収穫のひとつは、
90歳近いおじいさまが毎週通っておられたこと。
定年後らしきおじさま、自分史を書きたいおばあさまたちの受講も
目立ったが、いずれも、書くことを学びたい、イコール よく生きたい
ということの現れだろう。

一生学ぶことを楽しめるとは、なんと楽しいことだろう。

春だから、こういう気持ちがより高まるのだ。

人間だから学べる。いくつになっても、謙虚に学び続けたい。

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無理して需要つくる仕事は卒業。

生涯現役。それがもう自分たちにとってはスタンダードであり、
その代わり、今のうちに稼いでおこうとかは考えない。
定年のない仕事についてしまった、そういう「働き方」を選んでしまった
ので、退職金も年金も期待できないが、自分の好きなように仕事をしていける
という良さもある。
知人が転職をするとのこと。20年以上営業マンをしていたのに、
地方移住をきっかけに、全く違う職種に就こうとしている。
「いやー、もう東京で、無理やり受注しようとして売り込む
仕事、コンペばかりの仕事がもう嫌で、限界だったのよ」
「なんだか、せいせいしているわ」
と大変すっきりした様子で、それを聞いて安心もする。

私自身も同じだ。
売り上げ、利益ファーストを意識した時代はないが
若さゆえ、がんがんやっていた時代と比べると
今はスローテンポになりつつも、違う軸で社会に
役立つ仕事をしなければと思い、またもっと才能を
磨かねばと向学心も高まっている。

画一的でなく、自分らしさをみつめる人生。
自分らしく働ける仕事。それが何よりだ。
無理して、いつまでも需要をつくろうとする必要はない。

人に言われ、人が勝手に考える「働き方改革」ではなく
とことん自分らしさを追求する道が、幸せにつながる
と最近思えてならない・・。

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