ブランディングのむつかしさ

マーケティング・広報などコミュニケーションの仕事をするときは、当然、本名で
やってきた。
この仕事でも、改名したり、芸名で活躍される方もおられるが、そこまでは考えない。

一方、ミュージシャンやラジオナビゲータなどの仕事の場合は、
ちょっとイメージ・雰囲気も変えたいと思い、
Mahsa(マーサ)と名乗ってきた。

このMahsaという表示は、メールアドレスなるものが必要になった四半世紀前に考えた
もので、造語のような名前であり、正式にすぐに「マーサ」とは読めない。
が、ある程度、おなじみの方にはかわいがってもらってきた。

このたび、初めての土地で、他のアーチストも出演されるイベントで
自分のことを名乗るとき、また教会など厳粛な場所での演奏となる場合、
はて、どっちを使うべきか?と少々悩む。
しかも初めての土地なので、ニックネームにしようが、本名であろうが、
私のことを知る人はいない。

今尾昌子か、Mahsaか、マーサか。
ミュージシャンもジャンルによって、名前の使い方が違う。
クラッシックの世界だと、本名の人が多いが
ビジュアル含め、存在そのもので世界観を作りたいジャンルでは
芸名を使うことが多い。
たかが名前であるが、なかなか悩みがいもある。

今回の結論は、まずは、今尾昌子でいく。
TPOで、場所で、目的でMahsa、(マーサ)を使う。ということに。

四半世紀前に、もっとよく考えておくべきだった。と今さらながら迷うことも
あるが、それはそれで、悩む場面が増えてきたことは決して悪くない。

自分のブランディングは、名前と大きくかかわる。
商品もそうだ。ブランドとは、自分をどう刻印するか・・であるから。

時々、悩める場面を楽しみたいと思う。

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顔は歴史を刻み込む。

子どものころから大のファンであった、某アパレルメーカーの
コマーシャルでも、一世を風靡したフランスが生んだ大スター
アランドロン。
今も時々、若き日の映画をDVDやネットなどで視聴しながら
その魅力とともに、古き良き時代のパリを楽しむのが
中途半端な海外旅行よりも良いと思ってきた・・。
そして、そのアランドロンは、ずっと昔の映画の中で
生き続け、ずっと美青年のままであった・・・・。

が、そろそろ引退されるとの報に接し、
あ、現役でがんばっておられたんだと、とてもうれしく
思い、遂に・・・そうか・・・との思い。

今回80歳になったアランのラストインタビューと言われる
番組を見た。
彼の映画と同様、これから何度も何度も見続けようと思っているが。
20代のあの美しさ、青年期を経て、そして壮年・老年・・・。
80歳を超えたアランは、もちろんもうかなり老化しているけれども、
スター街道を進むだけでなく、さまざまな苦労をされてきた
その歴史を感じる、趣き深い表情になっていた。
そして、変わらないのはオーラだ。

何を見た、きいた、どこへ行った、何をした、そして誰と出会った・・。
顔は人生の歴史を物語るものだとつくづく思った。
顔は変わる、顔は変えられる。
自分の顔は?

そんなことを彼の変わらぬダンディなインタビューを聞きながら
考えていた。

最後の映画の上映はまだだ。
しっかり今のアランの表情を大スクリーンで拝見し、長年のご苦労に心から敬意を表し、
心にしっかり刻んでおきたいと思う。
皺はよく生きた証し。刻まれた深き表情は、その人の歴史そのものだ。

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一人何役?に挑戦?

そう、巣のままでいると、このままの自分でしかいられないが、
演ずればなんでもできる。
仕事でも、いろんな仕事を同時にさせていただいているのも、
その場面、その場面で演じているようなものだ。
これから新たな世界に向かうとき、
さらに、この演じることを肝に銘じたい。

子どもには、魔女のマーサ。
お年寄りには、泣き笑いのマーサ。
企業のみなさんには、どらえもんのポケットのような不思議応援マーサ
というように。

演ずればなんでもできる。
やればできる。

そう思えば、気持ちも楽になる。

私はひとり、ではない。
私は十人にも、二十人にもなれる。
そう思った方が、人生豊かに、楽しく生きられる。

才能をもっと磨こう。

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ほんとうに「寄り添える」?

福祉の仕事をしている人は、本当に偉いと思う。
不自由な方に対して、必要な支援をし続けている。
高齢者への対応の仕方についても、最近そう思う。
たとえば、認知症になりかかった老人に、
それが自分の親であれば、そのことを認めたくないから
「そうじゃないでしょ。それはそうじゃない」と
言ってしまいそうだ。
そうすることで 自分でいいと思って発言した老人は落ち込んだり、不安に思う。
何を言おうが
「そうですね。そうなんです。そうなんですか~」
と、受け止め、受け入れ続けていれば、また同じことをあとで言うことになっても、
その瞬間は、自分の発言を認めてもらったということで、老人は満たされる。

これは、他人の方が客観的に向き合えるのかもしれない。
自分の親であれば、感情がまさったり、過去の歴史から、どうしてもその現実を
受け止めきれない・・。

最近、素晴らしい人物の存在を知った。
介護福祉士をしながら劇団を主宰する青年。

介護の現場では老人に演技で接し、気持ちよく安心されて喜ばれ、
演劇の世界では、高齢化社会の重きテーマを扱い、また高齢者を役者として起用し、
演劇から介護の世界を俯瞰し、メッセージを伝える取り組みをしている。

人間は、だんだん現実と想像の境目がわからなくなるのだ、それが認知症だというが
演劇も現実か虚構かわからない世界だ。
そういう点で共通点があるところに、この役者は目をつけた。

老人に対して「演ずること」ができる。
それは「寄り添う」という意味ではないだろうか。
私には、まだそのことが体得できていないから、
すぐ正しそうとしたり、怒ったり、つい真剣に向き合ってしまう。
なんだか一方的に、尽くすことは、
寄り添うことではない・・。

と最近、思えてならない。

年寄りにこうせねばならない・・と言い続けるのは酷なこと。
これは親の老いを認めたくないからの行動ではあるが。

だんだん、お互いにボケる。少なくともこちらはボケたふりして
うまくつきあう。
そんなことが大切になる。

そういう意味で、
私はまだまだ、全然、寄り添っていない。
一見、寄り添うという言葉が美しい感じであるので、だまされそうになるが
実はまったくそうしていない。

演劇と介護。
音楽と介護。
どうやら芸術は介護と相性が良さそうだ。
こちらももっと学ばなくては。

寄り添う・・という言葉は響きは美しいが、やさしくはない。
と最近そう感じ始めている。

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東海地区発の新たなニュースサイト誕生、コラム担当。

名古屋で活躍する志高きPRのプロフェッショナルが、東海地区のビジネス情報、東海地区の企業のためのビジネス情報を盛り込んだ新たなニュースサイト「東海最前線」を発刊しました。
そのなかの、中小企業向けのマーケティングコラム(実例)を担当し、原稿執筆しています。
尚、担当するコラムは東海にこだわらず、県外の話題を書いて、東海地方の企業さんのヒントにしてもらうことを狙いとしています。
東海地区の企業さんはもちろんですが、全国の皆様にも、ぜひ東海地区をはじめとしたビジネスの現場、元気な人、動向・・など知っていただき、ご活用いただければ幸いです。
私もがんばって活動を続け、日本のまんなかからのパワー発信を応援してまいります。
皆様の応援、何卒宜しくお願いいたします!

http://tokai-saizensen.jp/

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小さな感動をブーケのように。

ある方から、わがCDアルバムを聴いていただき、
「泣けてきました。いい曲ですね。全国の人に聴いてほしいですね」
とのメッセージをいただき、
もう何年も経っているアルバム、曲でも、今だにそう言ってもらえる
ことに、この上ない幸せを感じた。

感動してもらえることが仕事、人生。

これが私のやりがいだ。
「感動したよ。」「よかったよ」の一言で、
元気百倍、勇気も百倍となる。

大きな感動を1回よりも、小さな感動をいくつもいくつも、一人でも多くの人と
交流できたらいい。

そう、感動のブーケを創れたらいいじゃない。

最近、ある人に久しぶりに会ったときに かわいいブーケをいただいて
それがとてもうれしかった。しかも赤いブーケ。

誕生日でも何でもない日のブーケ。
そう、私はこのように、
さりげなく日々感動を、ブーケのようにして
みなさんにお渡しお届けできたらいいのだ。

感動は見えないけれど、心の中に咲かせることができる。
そう、心のブーケ、感動のブーケ。

今日も明日もその思いが伝わるように生きていきたい。

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酒と泪と京都と女・・・

先日の投稿に書いた、
十数年前に、京都で知り合った年下の女性のこと。
彼女が働く居酒屋で客として通い、応援してもらい、こちらも激励し・・。
つとめていた店での仕事を卒業し、パートナーとはじめた居酒屋。
もう開店して7年になるとのことであるが、開店当時を振り返れば、自分で
店をやるということについての初々しさと、希望とが じーんと
伝わってきたこと自体が懐かしい。

その彼女に約束しつつも、再会する機会を逸し、
彼女は帰らぬ人となった。

パートナーから報せていただき、お店をたずねる。
店主である彼は彼女本人のように、お店の玄関で私を出迎えてくれた。

これまで、彼と話したことはなかったが、そのときは
もう何度もお会いしたような感じがした。
でも、そこに彼女本人は、いなかった・・。

パートナーは彼女の最期について、遺影を見せながら
話してくれた。そして彼の携帯に保存されている彼女の
さまざまな写真を見せてくれた・・。

どこか近くに行って、もうすぐ帰ってくるのではと思うような
感じがした。

なぜ亡くなったのか・・。
どうやら お酒が原因とのこと・・。
うら若き40代の女性が・・。でも、それは実は想像していた
ことと変わりなかった。

やっぱりそんなことで・・。
仕事柄もそうかもしれないが、酒を飲むことが常習になり、
飲まずにいられない何かもあったのかもしれない。

そして病んで、帰らぬ人になる・・・。

なぜ、そんなことで・・。

ふと、彼女が飲むときの気持ちを想像した。

彼女が周囲の人にメールで送ってきた1枚の写真が
遺影となった。
本人のご希望のようだった。

その1枚は、なぜか横顔で・・。
「なんで、遺影が横顔なん?」
周囲がみなそう突っ込んだそうであるが、
何か彼女の生きざまを思うに、それがなんだか
わかるような。

河島英五の歌をちょっと思い出しながら
でも、
今回はやっぱり
「酒と泪と女と京都・・。」

マスターはおすすめの品で
営業時間外の客をもてなしてくれた。
遺影を前に、ゆっくりいただいた。
彼女がそこに立っているようでもあった。
マスターと
最後に何度も何度も握手した。
がんばってといったら、あかんのやけど、
でも、がんばってね。
と声をかけた。

相方さんがこれからも、京都で彼女を想って
がんばっていかれるお店。
京都にいたら、時々たずねて、声をかけたい。

ほんまに・・・。なんで?あかんて・・。

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細胞から湧いてくる涙は、、。

またもや台風の到来。そんななか、わが人生、初めてのラジオ番組「愛の元気人」
最終回の放送。
毎月最終土曜日の18時から19時の1時間。
これまで、編集段階で確認をし、あとはなかなかリアルタイムで
自分自身が聴けないこともあったが、さすがの最終回。
パソコンの前に座って、じっと、聞き入る。
この緊張感は、最初の放送のときと同じだ。忘れていたあの感覚がよみがえった。

収録のときとはまた違う、放送時間。
ああ、この言葉が音楽が、今、流れているんだ。
新潟の人も、県外の人も、世界の人も
聴いてくれているかもしれないんだ。
放送とは誰が聴いてくれているかわからない、この広がり感がすごい。

自分が考え、つくり、自分で話す。
ああ、8年半。よくがんばったな。途中でゲストどうしよう、ネタがない、
コミュニケーション相談どうしようと焦ったこともあった、
いつまで続ければいいんだろうと迷った日もあった。
そうそう、番組を始める前に、東京のアナウンサーの学校にも通ったことも
今となれば懐かしい。

自分なりにいろんなことをやってみた。
そして、このラジオ経験のおかげで、MC力は間違いなく身に付いた?感じがする。
講演やライブにも役立ったと思う。
いろんな方にも喜んでいただけたこともうれしかった・・。

この番組を始めることができたのは、新潟のみなさんのおかげだ。
8年半もやらせてくださって、スポンサーの第一印刷さん、そしてFM KENTOさん、
そして制作の青木さん、ご協力いただいた新潟のみなさま・・・。
いろんな顔が浮かぶ。
この番組とともに、歩んだ新潟時間。
やってよかった。
終わって寂しいという声もいただき、私自身もそう思うが、
一度終わって、また新たに始める。
それが成長、発展へのステップと信じ・・。

最終回もいつもどおり、チャオ!でおしまい。
そう、再見と同じだ。さよならではない。

最終回。聞きながら、細胞から涙が沸いてきた。
心の汗が、感謝から感動から・・。
達成感の汗かもしれない。ー

この貴重な経験を生涯忘れないで、さらに新しく、
前進をしていこう!

みなさま、本当にありがとうございました!!

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「愛の元気人」102回 最終回 本日29日オンエア


長らくかわいがっていただきました、ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」9月分が9月29日18時~19時オンエアです。
FM KENTO
8年と半年の期間でしたが、新潟県内・外の皆様に応援いただき、ここまで続けることができました。
大変ありがとうございました。本番組のうち、インタビューコーナー「にいがた元気人」のバックナンバーは今後も今尾昌子の公式サイトからお聴きいただけます。

「愛の元気人」は、これからもさらなる発展・挑戦を続けます。今後ともよろしくお願いいたします。
では、最終回、どうぞお楽しみください。
ゲストは、第一印刷所の金子純さん、 シンワメッキ工業の滝見直晃さんです。
ご出演ありがとうございました!

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何をクロスするか。

十字架はカタチ的には、+のカタチであるが、クロスという意味からすると、×(かける)である。
足すのではなく、掛け合わす。

最近、クロスな生き方、クロスな仕事について考える。

人はひとつの仕事だけをしなくてもいい。
そこに固執しなくてもいい。
できることが2つ、3つあるなら、それを掛け合わせて誰もできない
面白い仕事をつくってもよいのだ。

ずっとそのことを考え、小さな挑戦を続けているが、このたび
介護福祉士をしながら、劇団を主宰している俳優・監督なる青年の生きざまに少し触れ、
触発された。
介護の現場で演技をし、演技のなかで介護を取り上げるのだそうだ。
そして、介護と演劇は相性がいいと。
演ずるということでの人の幸せの在り方を追求しているのだろう。
実に共感できる、いい生き方だ。

さて、私は?
コミュニケーションクリエイターという仕事を20年経った今、それを分解し、
構築し直すいいタイミングだ。
人をつなぐことができる、人に元気を与えることができる・・・それを
どんな方法で?_
言葉で文字で音楽で、笑いで・・。

これを高齢化社会の中で生かせる新たなクロスを実現できないだろうか。
最後は、何のために。自分は何のために生きるのか・・のための
クロス発想である。

この掛け合わせは、人生のあらたな化学反応を試みるものでもある。

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