敬老の日に思う、意味ある長寿。

9月17日。グラン・ルー20周年の記念日が、今年は敬老の日と重なった。
昔は、敬老の日といえば9月15日だったのに、毎年日付が変わる祭日はありがたみが
なんとなく薄らぐような気がする・・・。

それはそれとして、今年も各地で敬老会が開催された。
行政関係部門も毎年、いろいろ大変だ。
100歳以上のお年寄りの数も毎年更新されているようで、日本は世界でも
有数の長寿国になった。

敬老・・・。老人を敬い、大切にする日。
それはそれで大変良いことと思うが、なんとなく最近は、毎日が敬老の日のような
感じもして・・。お年寄りが街にあふれ、いつもお年寄りに囲まれて・・・
そんな日本社会・・・。

これから、ますます高齢化社会が進むと、この敬老の日の位置づけはどうなるのか?
と思ったり、今度は貴重なお子様の日の方が大切にされるようになったりするのかも
と思ったりする。

元気なお年寄りはいいけれど、お年寄りばかり元気で、これからの社会
どうするのか?どうなるのか?と、正直ちょっと不安にもなる 敬老の日・・。

若い人が元気に生きられる世の中こそ、大切なのに。
いやいや、もちろんお年寄りも元気にいてほしい気持ちは変わらないが・・。
複雑だ。

敬老の日は、老いも若きも長寿について、
一緒に考える日になればいい。

人生は時間の長さだけでなく、内容、姿勢、自分との向き合い方が
大切だ。

そんななか、年を重ねていきいきと挑戦を続けている方は本当に素晴らしい。
そんな方は敬老の日だけでなく、いつも、毎日、尊敬したい。
私自身、どうせ年をとってしまうならば、
いくつになっても、ピアノと歌ができるおばあちゃんを目指したい。
長生きするならば、80歳になってもベートーベンやショパンが
弾けるようになっておきたい。かっこいいおばあちゃんがいい。
単に元気だけでは、あまり意味がない・・と思っている。

単に長く生きているだけでは、意味がない。
人に迷惑をかけずに、最後を迎えるむつかしさも考える。

うーん。敬老の日は、年々考えさせられる日になりつつある。

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