生きた時間と経験と、涙と笑い。

年を取ると、涙もろくなるというが、本当にそうだと
思うようになった。
最近は、父親などを見ていてとくにそう感じる。
父が若かりし日、泣き顔など見たことはなかったが
最近は、昔より感情豊かになったのか、感極まることが
多いのか、遠慮がなくなったのか、時折涙を見せる。

赤ちゃんが泣くのは、言葉にならない感情や要望を鳴き声で
表現しているのだと思うが、
成長し、大人になるにつれ、泣くという行為は
過去の経験、時間が思い起こされて・・というケースが
多いことに気づかされる。

長い時間生きてきて、さまざまな経験をする。
その記憶が人間の脳に蓄積されていく。
あるとき、その部分を触発するモノやコト(言葉・音・映像なども含めた媒介)
によって、蓄積された記憶がよみがえり、その媒介と一体になり
涙腺に届く・・・のではないか?
これはあくまでも、私の勝手な想像であるが。

音楽や映画、あるいはインタビューなどを見聞きして、感動して
思わず泣いてしまうのは、自分の中にある記憶とその媒介物が
クロスするのだと思う。

たとえば、先日、35年ぶりのピアノの先生との再会。先生が
演奏するショパンの曲にずっと涙して、鼻をすすらないように
気を付けるのが、大変であった。
ショパンを聴いてと泣くいうことは、これまであまりない。
今回は音に自分の青春時代が重なったのだ。
先生が弾くショパンの音色が媒介となって、自分の過去から
今日までのことがあれこれ蘇ったのだ。

人間が泣いたり、笑ったりするには、過去の経験が大前提だと
思う。経験がなければ面白いとか悲しいとか感じることが
できない。経験があるから、人生に厚みができ、経験があることで
いろんな感情をもつことができるのだ。
日頃抑制されているその感情は、音楽やアートなどの媒介により
解放されたときに、人は泣いたり、笑ったりする。

そう、経験の蓄積があってこそ感情も豊かになる。
経験は人間を豊かにするのだ。

たくさん経験して、泣いて笑って心を浄化する。
その繰り返しで、人生はどんどん純化されていく・・と
いいなと思う。

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