若者に、どう響いている?

世の中は、選挙期間。
また、候補者の就活イベントシーズンがやってきた。

町を歩けば、大きな声で街頭演説。選挙カーからも大きな声。
関係者にとっては、選挙はいい仕事になると聞いたことがある。
それはおいといても、各地で開催される演説。
中身で勝負といっても、中身もどうなんだろう。
足の引っ張り合いも見苦しく・・。

若い人たちは、どう見ているんだろう。
香港の若者たちは、緊迫した状況のなかで、力を合わせて、政治に向かい合って
いる。危機的だからこその結束であるが、自分たちのために政治に関心をもち、行動に移している。
日本の若者は、今、一見平和で、無事に生きていられるこの日本に対して
不満がないのか、あるいは先の不安を想えば、なるようになるとしか考えないようにしているのか、もちろん個々人の差はあろうが、政治への関心は低いようだ。
今回の候補者の公約などを分析したある大学生らが、「面白味がない、きれいごとばかりだ」と評していたという記事を新聞で読んだが、全く共感してしまう。

先日、あるイベントで、政治家が招待されてか参加しており、そのときの挨拶が印象に残った。
抽象的な言葉の羅列で、そのスピーチに心ひかれるところがなく、残念に思った。言葉が多く、力は籠っているが、何も響いてこない。それと同じように、今、街で必死に活動をされている候補者やその応援団にも心動かされない。

再び、選挙の演説。最後は「お願い」の連発も、日本独特のスタイルかも。
海外の政治家のスピーチはお願いはしていない。内容はともかくとして、有権者がその気になるように、スピーチで勝負している。パフォーマンスももちろん含めて。お願いはしていない。堂々としている。
日本は、政党ありき、組織ありの選挙だから、スピーチの内容は問われないのだろうか?
お願い演説のオンパレードと当選したときの万歳。いつまで、こんなことをやり続けているのか?

若者たちは、どんな目でその現象を見ているだろう。

若者が関心をもたないようになっていることへの責任を問いたくなる。
未来を生きる若者たちが、自分たちが何とかしなくちゃいけない!と立ち上がるような元気な日本にならないと・・・・。

雨の音に消されないよう必死に叫んでいる、テレビでよく聞くおえらい方の生演説の雑音を背中に聞きながら、速足で帰路に着く。








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