非常を招く、非情な自然

キリスト教がもたらした社会的影響を調べる一環として、長崎から天草の方へも足を運ばねばと、やっとその計画が整い、天草へ渡るフェリー乗り場である口之津へ向かう。
16世紀後半にポルトガル船が初めて入港したのがこの港である。
南島原という長崎の先端にある港。そこから天草へもっとも早く移動できる。
と、念願の天草初訪問は、今回の大雨でギリギリ途中で断念することに。
長崎市からその口之津へ向かう途中、どんどん雨が強くなり、時々霧で視界が閉ざされたりこのままいくと帰ってこれないかも・・・の不安が募った。
現地の人にきくと、天草はもう避難勧告も出ているようだから、行かない方が良いとも言われ、港近くまで行ったが海を渡るのは次回の楽しみとして、南島原にとどまる。少し現地の見学をしながら、途中、長崎市郊外の知り合いの施設にも寄り、様子を伺い、顔を見て安心しながら、長崎中心街へ戻ってきた。
その頃には、雨は小降りになり、場所が変われば何事もなかったようだ。
その間も、鹿児島や宮崎では雨が降り続け、土砂崩れなど被害も出ていた。
住宅や道路の危険、農家の不安・・・。せっかく植えた苗も流され、嘆いておられる農家さんの声や避難されている方の不安な様子がニュースから流れて、心が痛む。

あの東日本大震災のときに、東北の知人が「自然は非情なんですよ。心がない」
としみじみと話してくれたあのときの様子が今回もよみがえる。
本当に自然は人間には操作することができない脅威の存在だ。非情であり、また人々の暮らしに非常をもたらす。
しかし、こんなに毎年大雨になること自体、人間がまいた種の結果なのかもしれないとも強く思う。
自然のサイクルが崩れ、自然との共生が成り立ちづらくなってきている。
人工的に何かをしようとすればするほど、利便性を追求したり、人間本意のことを企てようとすればするほど、自然に負荷がかかり、思わぬところに反動が出てくるのだ。
地震が多いのも、大雨が続くのも・・危険なサインであると感じる。

人間には自然は制御できない。
そのことを理解しながら、いかに無事に生きていけるかを日々考え、行動するしかない。

人間の無力さを、また驕りを感じながら、運に身を任せて・・。
いつどこで何があっても悔いがないように、非常事態に備えておく心構えはますます重要になってきている。

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク