安楽死を選ぶ準備は?

あるドキュメンタリーコンテンツを見て、神経難病と闘う人の最期の選択について衝撃を受けた。
いずれ人工呼吸器をつけて生きることになる、という宣告を受けたその患者さんは、自分の力で生きられない、自分の言葉で感謝も言えないようなカラダになるなら生きていたくない・・ということで、安楽死を選択された。
現在、日本では積極的安楽死というのは認められておらず、外国で日本人がその処置を受けられるのは、スイスのみということで、彼女は自分でそのことを調べ、スイスのその民間団体にコンタクト、登録し、実際にそこに家族と出向き、そしてそこで本当に自らの人生を終えた・・。スイスに到着して3日で帰らぬ人となった。


一方、同じ病と闘いながら、人工呼吸器をつけて生きることを選択し、家族に助けられて行き続ける患者さんの例も併せて紹介された。

この2つの生と死への向かい方を見て、自分だったら・・と考えざるを得なかった。そして、思わず、そのスイスの団体のことをネットで調べた。

人にとって、人生をどう終えたいか・・は人それぞれ。でも、今の医学は生き延びさせようとして、延命処置などを施すが、それには賛否ある。
できれば、死ぬ権利も与えてほしいと私自身も思っている。

今はおかげさまで元気で、健康でしたいことを思い切りできる状態であるから、
安楽死は自分にとって選択すべき方法でも何でもないが、いずれ、何か起きたらそんなことも考える必要があるのかもしれない。
もちろん自分のことだけでなく、家族の死についても・・。

それにしても、安楽死で旅立つというのは何とも悲しいものだ。
しっかり意識をもって、愛する人にお礼を言うことができるが、その数分後、
致死薬によって、息絶えるのだ。それを見守る、家族はどんな気もちか・・。
本人が望んだ方法だからということと、もう苦しまなくていいから・・という気持ちと、一方、あっけなく逝ってしまったことへの喪失感は・・・。
涙なしで、見られない光景であった。

それにしても、スイスという国はいろんな意味で先進国だと思う。
人が人としてきちんと人生を送ることができるように、法律もインフラも整っているようだ。すべて住民の意志で決定されるというのも素晴らしい。

安楽死。日本では、自殺ほう助で有罪となった人がいるが、日本はいざというときに、もしかしたら不自由な国なのかもしれない。

自分で期限を決めてそれまで生きるか、最後まで与えられた時間を生ききるか。
どちらもありだと思いたいし、どちらの勇気も素晴らしいと思いたい。

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