燃えるパリへの哀しみと・・。

なんたるショック。
未明のニュースに目を疑った。ぶるっと震えがきた。まさか・・・。
わが愛するパリのシンボル。京都でいえば清水寺に相当するのだろうか?
屈指の観光地でもあり、世界遺産の先駆けとしてもあまりに有名な、ノートルダム寺院が燃えている映像だ。
津波のとき水が怖いと思ったが、今度は火が怖いと思った。
 すべてが違いすぎるが、あのニューヨークの同時多発テロを思い出してしまった。そしてあのときの衝撃は自分がそのタイミングにNYに向かっていたからということも関係しているが、このノートルダム寺院の火事については、ああ世界のみんなの宝物がめらめらと燃えていく・・ことへのショック・・。
何百年も持ちこたえてきたのに、こんな短時間に灰と化してしまうとは・・。
なんだか歴史の火葬のようで・・・。

3月に駆け足でフランクフルトからパリに日帰りで出向いたとき、そこには足を向けなかった。そう、ノートルダム寺院はいつでもある、ずっとある。そんな存在であった。むしろ、移動式観覧車にばかり目が行っていた。
こんなことになるなら、ああ、行っておくべきだった・・。もう一度、あの堂々たる素晴らしい眼前にそびえたつ、ゴシック建造物を、しっかりこの目に焼き付けておくべきだった。
まさか、燃えるとは・・。映画の話ではないかと思えるほど・・・・。

と、日本に住み、何百回も観たわけではない私がこんなにショックに思うほどであるから、パリ市民からすれば、キリスト教の信者さんからすれば、いかほどの哀しみであろう。心からお見舞い申し上げたい。

かのナポレオンもここで戴冠式を行った。有名なその様子を描いた作品をNYかパリの美術館で観たことがあった。それだけではない。フランスを代表する国のリーダーたちの大切なセレモニーはここで執り行われてきたのだ。

凱旋門は市民の暴動で痛めつけられ、今度はまさかのノートルダム寺院の火災。
神様が人間に反省を促したのだろうか?
「みんなちゃんと仲良く、平和な社会に向かった生きなさい。そうしないと全て破壊されるよ」と、いうことをこの事故(まだわからぬが)をもって示したのだろうか?
争っている場合ではない、一致団結し、思いやりの心をもって、まさに博愛の心を持って生きるようにと諭したのだろうか・・。

と、そんなことも思えてくるような、今のタイミングでのこの火災。
わがグラン・ルーにとっても、この寺院は大変重要な存在だ。
パリといえば、観覧車に気づく前に、ノートルダムだったのだから。
ああ、パイプオルガンは無事であろうか?

現地で聴いた荘厳の響きと燃える火がなんだか一体になって・・・。
気づきなさい。目覚めなさい。と、人間の驕りを鎮めるための強烈な哀しみを
与えられたのか・・。

すべては私の心の中の妄想だ。本当に悲しくて、今でも駆け付けたい気持ちだ。
過去に撮った写真はどこに?気が付けばあまり撮っていない。いつでもそこに
在るから・・・と思ってきたから・・。
パリの人々にお見舞いを。世界遺産なのだから、大切にしなくては。
みんなの憧れ、パリがずっとパリであるように。みんなで努力しなければ、協力しなければ・・。これは他の都市も同じことだ。

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク