笑いの工夫という無限の創造性

なぜ、東京にいる間にもっと通わなかったのだろう。と思う空間のひとつが、
寄席、演芸場。
一昨年前、引っ越し間際に急に浅草通いをして、ああ、もっと早くから都内の演芸場巡りをすべきであったとちょっと後悔。
もっとも、若いときには、この分野に興味もさほど湧かなかったのかもしれないが。

まんなかに拠点を移してから、ふたたび吉本や松竹やと 大阪のお笑い文化に接する機会も増え、なんだか懐かしく、ほのぼのして、人間の幸せの源泉はやっぱり笑いだと再認識するようになった。
新喜劇も大好きで、いつかそんな作品づくりに関わってみたいと真剣に思いつつ、やっぱり一人でできることをもっと究めた方がいいとか、真面目なセミナーでももっと笑いを取り入れて、新しいことができないかとか新たな妄想も生まれ始めている。
そんななか、寄席に行き、ピン芸人たちの芸を見ながら、自己表現という仕事について勉強させてもらっている。
今回、思わず泣いてしまったのが、パペット落語で知られる(多分、知る人は多いだろう)鶴笑さんの芸。
話術ももちろん素晴らしいが、パペット人形を使って、BGMをフルに使いながら、汗をかきながら、俗にわかりづらいと言われている演目「桜山」という、想像するにちょっと難しく、ある種残酷な作品を面白おかしく、演じまくる。
何に感動したのか、なぜ、どこが心の琴線に触れたのかわからないが、私は彼の演目を見て、泣けてきた。
多分、笑いの世界、想像の世界を自分なりに作り上げている、その一生懸命さに心うたれたのだと思う。
見えない世界を心のなかで見えるようにする仕事は、やっぱり尊い。
そして、誰もやらないことを考え、カタチにするということが素晴らしい。
鶴笑さんは、今、目指したいアーチストの一人だ。
そう、落語家は立派なアーチスト。感動のオンリーワンを目指そう!

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