ザビエルとファドと、ワインの縁。

先日書いた、ワインのネットショップの話。
そのお店が今月で長期休業に入ると知り、これもひとつの
節目と思い、店の近くまで店主に会いに出かけた。
自宅でネットショップをされており、実店舗はないようなので
最寄りの駅近くのカフェで待ち合わせ。
会ったことがない、メールだけでやりとりして何年・・・ではあるが
ホームページを見てもらい、顔も出ていますと伝えていたせいか、
すぐにわかった。
それから1時間ほど、話した。
ネットというツールがあるからこそ、知り合った。
そして店主はもともとワインが好きで、勉強してから独立し
ネットショップを開店、もう7年やってこられたというが
一人でやってこられたとは、大したものだ。

その間、ご自身がポルトガルへ出かけた際に出会ったあるワインが
気に入って、それも取り扱い始めた。
そのワインこそが、偶然にも私自身もリスボンでそれに出会い、大変気に入った
ものだった。

その1本のポルトガルワインがきっかけで、店と、その店主と
知り合い、お会いしたとき、なぜか初めて会った気がしなかった
のも不思議であった。

彼女は長年の利用のお礼といい、その出会いのワインを持参
し、プレゼントしてくれた。
あまりにその気持ちがうれしく、リスボンで創ったフランシスコ
ザビエルの曲や、ファド風の曲を入れたセカンドアルバムを
彼女に贈った。
いずれも、ポルトガルつながりだ。

またいつか、できれば、早いうちにお店が再開されることを
願っている。

それにしても、たった1本のワインから生まれる出会いがある
ことに感動を覚える。

素敵な店主に会ったあと。店じまいまでに
もう一度、注文しておこうと思った。
少しでも応援したい、改めて思ったのだ。

注文した最後の商品とともに、バラの便箋に書かれた
きれいな文字の手紙が同封されていた。
先日お会いしたときの、透明感のある素敵なその店主の顔が
浮かんだ。

これも、ザビエルがくれたご縁だと思う。
再開、再会を楽しみにしている。

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役者という仕事への興味。

先日芝居の仕事に関わったおかげで、新たな人脈が広がりつつある昨今。
ビジネスマン、行政マン、農家の人たち・・・いろんな世界での交流を
育んできたつもりであるが、この役者の世界は、これまで出会った世界と
違う部分がある反面、アーチスト的な生き方も求めているため、違和感もなく
すんなりとそこに馴染めている。
そして、ビジネスの世界で学んできたことも、この芝居業界に生かせる点も
面白く、自分にとってはこの経験は大切なお宝になっている。

芝居の世界では、お互いに助け合う、というちょっと懐かしいコミュニティ世界が
ある。
関係者同士で告知し合ったり、差し入れ交換したり、お互いにお客として
見に行ったり・・。
お互いに盛り上げていかねばいけない世界なのだ。
もちろん、そこだけにとどまっていても新しい客層を取り込めないため
SNSの活用はじめ、いろんな工夫、チャレンジは必要だ。
それはそれとして、助け合いが大前提。
前回共演した役者たちから、次々と次の出演作についての案内が届く。
このように新たに出会った仲間に、役者自身が営業を行うのが
当たり前。
自分の客を自分で連れてくる。が基本。ある意味自立している。
もちろん、著名になれば別であるが・・。

そんなこんなで、最近、共演した役者たちの舞台に出かけることが
多くなった。すべては作品づくりの勉強であり、情報収集であり、
また役者という仕事を学ぶためであり・・。
いろいろ見ながら、こんな風に自分なら・・・とか、彼と今度
コラボしたいな・・などなど、自分の企画に役立てている。

そして、純粋に楽しんでもいる。
前回、電球工場で働いていた役の彼が、前科者の農家の青年
であったり、彼女に彼女がいたことにショックを受ける高校生の
役であったり・・。
違う役をどんどんこなす彼らの仕事に敬意を表している。

役者という仕事、面白い。
黒子として、新たな企画がふつふつと湧いてくる感じが
楽しくで仕方ない。

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羞恥心とメディアの質。

最近世間を騒がせているあほらしい問題。一体、国民たちの税金をどう思っているのか?
と同時に、他に議論すべき課題が山積みなのに、このことで持ち切り・・・。
そのこと自体にも怒りを感じているが、
公人や私人やとの話題から、国を代表するべき人たちのレベルの低さにも失望。
一体、何をどうしたいのか?みなさん、本当はどう思っているんですか?
と表情に出ないお偉い方々の言葉と腹の違いを勝手に想像したりもする。
自分に、自分たちにとって、
都合のいいとき、いいことになるようにすべてコントロール。権力は恐ろしい。
一方、そのそばには、何かあったら、泣いたり、「記憶にありません」「祈っております」
と、意味不明の存在。だから、女は嫌いだと思わせる特徴をいくつかお持ちだ。
ま、それはそれとして、
このなんのこっちゃの事態をマスコミが追いかけ、重箱の隅つつきをネタにしている。

マスコミも堕ちたもんだ。
ジャーナリズムというならば、真実を究明する姿勢、行動こそが必要なはず。
もっと正義感をもち、国民を代弁し、世論をつくるぐらいの気概はないのか・・。
権力にすっかり巻き込まれている、手名付けられている印象。
そんななかで、誰誰が、ツィッターでこういった、FBで反論したということ
自体をネタにして、報道していることが大変気になる。
マスコミのネタはソーシャルメディアか?
じゃ、要らない。
もっと、真実を求め、自ら情報を集め、持論で勝負せよ!と言いたくなる。

今、世の中に出ている多くの人たちのなかには、羞恥心を忘れ、
謙虚さを忘れ、自分の都合の良いように、まさに利己のために
生きている人が多くて・・情けなく、憤りも感じる。

これからますます、物事をしっかり見極める力を身につけることが
必要だ。

無関心にならないように。

それにしても、恥ずかしい。。

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本日、愛の元気人3月分オンエアです

ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」3月分は本日3月25日18時~19時
オンエアです。
今回のにいがた元気人ゲストは、絵画教室ウニアトリエ代表の加藤和彦さんと、
新感覚なお蕎麦屋さん、そばDAYS店主の中山義和さんです。
新潟に新たな風を吹かせる、お二人のチャレンジをぜひお聞きください。

尚、本日の放送で、本番組はまる7年を迎えることができました。
皆様の応援、ご協力に心より感謝申し上げます。
FM KENTO 愛の元気人

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地球の裏のタクシードライバーから。


3月もあと1週間を切った・・・と、せわしない朝を過ごしていると、見慣れない名前の差出人からのメールが舞い込む。
正直、最近、不快極まる迷惑メールに手をやき、届くメール確認も慎重になっていたが、このメールは違う。
名前は、Miguel Angel Kaczka。
パッと見て、あ、これはアルゼンチンからだ、しかも聞き覚え、見覚えのある名前だと判断する。
本文を読んで、その判断が正しかったとうれしくなる。
この差出人は、添付にある、ブエノスアイレス在住のおじさま。そう、タクシードライバーのミカエルさんだ。
彼には2回会った。2回とも尊敬するタンゴ歌手のお墓に連れていってもらった。
その彼から、初めてのメールだ。確かにそのお墓に行った運転手ですと書いてあり、またこの町に来たら、いつでも案内を
させてくださいね。という文面だ。
最後に会ってから1年近いと思うが、なぜかメールが届いたことが、とってもうれしくなった。
地球の裏に住んでいるタクシードライバーが、何をきっかけに私にメールをしようと思ったのかと想像する。
その墓地を今日通ったのかな、何か帳簿のようなものを見てあ、1年だなと思い出したのか・・などなど。
今はブエノスは夏を過ぎ、秋に向かう頃だ。
全然忘れていた方からの思いがけない遠方からのメールはとてもうれしい。
すぐ写真を添えて返信をする。
決して高級車じゃなく、どちらかといえばちょっと古い車であったが、元銀行勤めをしていたミカエルは英語ができて
とても助かった。
ああ、ブエノスアイレスの空気を思い出し、懐かしくなった。

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慣れてはいけないこと。

またもや、ヨーロッパでテロ事件が起きた。
フランスも、ドイツも、ベルギーも、そして今回はイギリスも。
「テロに屈しない」と声高に叫んでも、敵はするりと包囲網を
切り抜け、各地で恐怖をまき散らしている。
テロ。
あの2001年のNY同時多発テロから、16年になるが、
ここ最近、同時ではないが、テロは確かに多発している。
いろんな要因がある。
以前より、社会がより憎悪に満ちているのだ、その表現が
このような形になってしまうのだ。と、思うと現代社会は
とても悲しいと胸がつぶれそうになる。
が、このことに慣れてはいけない。
「また、テロか」と日常的なものとして感じてはいけない。
あってはいけないことが、起きているのだ。

ひとつ事件があると、それを反復報道されることで、
テロは人々の脳裏に刷り込まれていく。
この報道を見て、とらえ方は人それぞれであることにも
注意が必要だ。
犯罪を見て恐れる人と、興味を持つ人もいる。
知れば慣れる。
知らなければ、真似はされない。

今の情報化社会では、知ることが容易で、真似も可能。
だから、あってはならぬことにさえ、人は慣れてしまう。

どうか、人間が鈍感で無神経な動物に退化しないように。

テロの報道を見ながら、心からそう願う。

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都会で寛容さを忘れ、島で気づく。

最近、父との時間に関する話題が続くが、今回も。
(やはり自分にとっては貴重で珍しい経験だったせいかもしれない)

泊まった宿で荷物を預けた。
1時間ほどしたら戻ってくるので、とお願いして散歩に出かけた。
そこは島。晴天で春うらら、島歩きには最適だ。
島半周の散歩を終えたら、荷物を宿で受け取って、
高速船に乗って移動という計画。

散歩を堪能して、宿に戻ったら、預けたはずの荷物がない。
ただ、フロントに預けただけなのにどうしてないのか?
船に乗らなければならないのに・・・。
ホテルスタッフいわく、間違えて、船乗り場へ送るお客さんの
荷物と間違えて車に積んで、違う港へ向かってしまった・・とのこと。
「へ、そんな。次の船に乗りたいのに・・」
「申し訳ないです。
 今、連絡しましたので、戻ってきます。ちょっとお待ちください」
といわれ、船の時間が迫ってくるので、ちょっと焦る。
ホテルのミスにも少し立腹もしていた。
(自分自身がこの宿と島に慣れていないせいもある)

すると、父が何がおきた?という感じで、説明すると
「そうか。しょうがないな。」とたばこを吸い始める。
そう、父にしてみれば、毎日が日曜日みたいなもので、
時間に追われる生活をしていない。
私にしてみると、1時間に1本しかない船。
父にしてみると、1時間待てば次の船が来る。
という感じだ。
「まあ、しょうがないわ。完璧な人間なんかおらんで」
と、たばこをくゆらせる父から出た言葉に、正直驚いた。
そして、自分の普段のオンタイム暮らしが当たり前で
完璧を求める暮らし、さらにはなんでもビジネス的に
見てしまう自分が恥ずかしくなった。

そんなに急いでどこへ行くの。
という感じかもしれない。
台風や波が高い日は船が出ないこともある。
船は出ればラッキー。そんな島だ。
そこで、かちかちせかせか・・・という自分が恥ずかしくなる。

荷物が無事戻り、船にも間に合った。
荷物のこの件で、完璧な人間でない自分を改めて知った。

寛容さ。
都会にいると。忘れそうになる。
いや、すでに忘れているのかもしれない。

父と島へ行き、いい勉強になった。

人に、自分に寛容であれ。これからの教訓のひとつだ。

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悔いのないように。ただそれだけ。

先日の投稿で、
亡きお母さまのことを今も思い出し、毎晩起きては
ああしてあげればよかった、こうしたらよかったと
胸を突く思いになる・・という知人の話を書いたが、
他人事とは思えないことがある。

先日、父と一緒に1時間ほど散歩に出かけた。
ふたりで一緒に歩いたことなど、ほとんどなく、
いつも一人で、もしくは同世代の人と歩くことが
多いため、自分の歩くペースについてこんなもん
と思っている。

ところが父と一緒に歩いたとき、
自分では少しゆっくり目に歩いていたつもりが
父にはしんどかったようで、
「おまえ、歩くの速いわ」
といいながら、がんばって一緒に歩いてくれた。
父にしたら、運動のつもりでがんばっていたのだろう。
ただ、もう80歳だ。昔のようにはいかない。
椅子があると、休憩したくなる。
時々休みながら、がんばって歩いた。
最後のゴールのところに向かって父は
椅子をもとめて一生懸命歩き、ちょっとよろけ、
ころびそうになった。
その父の足元の不安定感に驚き、思わず
謝った。
いつの間にか、私はいつもの速さで歩いており
父はそれに必死についてきていたのだ。

あれから、毎日毎晩、父がよろけそうになる
あの光景を何度も思い出し、
ころんでいたら・・・と思い、申し訳なく
思う。
もう絶対に自分のペースで歩いてはいけない。
あまり長時間歩かせてはいけない。
と心に誓う。
もちろん運動も必要なので、ゆったり楽しく歩けるように
心がけよう。

父はおかげさまで元気で生きている。
だから、取り戻せる。
あとで悔いが残らぬように、どんな小さなことでも
気を付けていこう、もっと寄り添おうと思う。

人は悔いや反省をもちながら、生き続ける存在だと
思う。
せめて、今できることはきちんとやっていこう。
老いた親を転ばせてはいけない。

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カレンダーから消したい1日。

毎日が何かしら、誰かしらの記念日である。
毎日、世の中でいろんなことが起きているということである。
その記念日は、誕生日や出会いの日、結婚記念日などなど、うれしい記念日は
何度も祝いたく、何年経ってもかけがえのない幸せの日であるが、
哀しみの記念日は、年を追うごとに・・・悲しみが薄らいだり、なくなったりすることは
なく、むしろその日が来るとその日のことを思い出して、つらい気持ちや悲しみが増す
という一面もある。

3月11日。今年もマスコミ各社が報道番組・特集を企画、「あれから6年・・・」と
報じていたが、あの日のことは忘れてはいけない。東北のみなさんを応援し続けなければ
ならない・・という気持ちはもちろんあるが、自分自身が直接被災していなければ、
意識しなければ忘れてしまうこともあり得る。
当日、東北の知り合いに、メールをした。
返事がなく、全国からたくさんの連絡が入ったのだろうと思っていた。
すると、連休中にメールが入り、
「いつも、心を寄せてくれてありがとう。今年はとくに七回忌で、落ち込んでおりました。
3月11日という日をカレンダーから消したいぐらいです・・」
との内容に、衝撃を受けた。

応援するしかできなくて、ほとんど何もできなくて、
この深い傷は、一生消えることがなく、この記念日を迎えるごとに
新たな悲しみも沸いてくるのかもしれず・・。
カレンダーからこの日を消したいという気持ちは、これまで思ったことも
なかった。
だから、経験していない者はその怒り、悲しみ、辛さをすべて理解できないかもしれないが
少しでも、その日以後の応援やがんばりや、新たな出会いから、がんばってきてよかったね。
と思っていただけるように少しでも応援をし続けたいと思っている。

この知人は以前、「自然には感情がない」と津波を運んだ海を見てつぶやいたが、
カレンダーにもある意味感情がないのだ。何があろうと、刻一刻と時は流れ、
1年経てば、また同じ日がやってくるのだ。
悲しいからといって、消されることはなく・・・。

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亡きお母さまに捧げる、一冊の本。

現役~会社経営・町づくり~を引退後、自らががんに侵されながらも、
お母さまに寄り添い、お母様とともに暮らし、100歳で亡くなるまで
献身的に介護されてきたMさん。
最愛のお母さまが亡くなられて半年以上経過し、その後お元気にされているのかと
心配していた。
久しぶりにお会いし、Mさんが好きなお花のアレンジメントをご仏前にもと
お渡しし、その後の様子をいろいろとお聞きする。今もお母様のことを毎日
思い出すと、最近はじめたという短歌に込めた思いとともに、噛みしめるように
話しはじめられるのをお聞きし、胸が熱くなる。
時間の経過とともに、静かに思い出とともに寂しさがこみ上げてくるの
かな・・・。Mさんの口から出てくる、お母様への悔いの言葉に、あれだけ
お世話されていたのに、それでも亡くなってしまうと、もっともっと・・と
思えてくるものなのかな・・。とこれからの自分の親への向かい方を想像する。
しばらくすると、Mさんが、バッグから1冊の印刷物を取り出す。
「これは、母のこと、わが家のことをまとめた一冊です。
本当は母の100歳の記念日を目指していたのですが、自分の体調が思わしくなく
結局今になってしまいました。これは身内だけに配ったもので少ししか
刷っていないのですが、いつも気にかけていただきましたし、ぜひお読みいただければ
・・・」
と私に渡された。
「へえ?そんな大切なもの、他人の私がいただいてよろしいんですか?」
「はい、よろしかったらぜひ読んでやってください」

その本を開いてみると、Mさんの家族のことが、子供でもわかるように、
写真や資料も入って、読みやすく構成されている。
「姪っ子たちから、『おばあちゃんのことがよくわかりました~』って言われました。
よかったと思っています」とMさん。

出来上がった際には、お母様にお供えされたことだろう。
Mさんは、どこまでも親孝行の人だと思った。
その自費出版の一冊は、ページ数はそんなに多くないが
ずっしりMさんの思いが感じられ・・。

真似をすることはできないし、私は私のやり方でよいが、
家族を大切にする。という当たり前のことをきちんとできるかどうか
そして、大切なことを後世に残せるかどうか・・
については、お手本とさせていただこうと思った次第。

今、Mさんの健康状態が何より気がかりだ。
まだまだ一緒に、世の中のあるべき姿について、人としてすべきこと
について教えを乞いたいし、Mさんに元気の素をお伝えしたい。

人生、思いを一冊に残す。
やっぱり、本づくりはいい仕事だ。

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