一日でも長く・・・

介護職に従事されている皆さんから学ぶことは多い。
いわゆる利益優先のビジネスとも違い、子育てと違い、
日々人生の終末に向かっていく高齢者のケアをする、
この仕事というのは、何がやりがいなのか・・と感謝とともに
そのことが不思議に思えるときも正直あった。

そして、おつきあいするなかで、皆さんは高齢者本人だけではなく、
実は家族のためにという思いで、お世話してくださっているということが
手にとるようにわかるようになり、感謝の気持ちがさらに増してきた。

また、この介護職についておられる方(とくに女性から感じることが多いが)は、この仕事が好きという気持ちでやっておられる方が多く、仕事とはそうでなければならないということを改めて学ぶ。

あるヘルパーさんとの会話。
「1日でも長く、こうやって自宅で過ごされるといいですね」
という何気なく言われた言葉が、大変印象に残った。
1日でも長く・・・か。

子ども相手であれば、健やかなる成長、輝ける未来のため・・であるが
老人の場合は、一日でも長く・・・が大切なのだ。

そういう気持ちで親に接してくださっているのであれば、子としても
もっとそうしなければ。

ついつい、いつまでもいると思って、若いときと同じように全力で対面して
しまうが、1日でも長くを念頭に、もっと大切にしなければと思う。

どんな人とでも。大切な人ならば・・・この1日でも長く・・・。
今日もそんな気持ちで過ごしたい。
自分たちを支えてくださる皆さんに感謝を忘れずに。

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どんなときも、「がんばろう」

本日1月17日は、阪神淡路大震災が起きた日。
なぜかこの日をずっと忘れないでいる。
あれから、26年。

当日の朝、クアラルンプールのホテルにいた。
これから関空に向かって飛行機に乗るため、空港へ向かう直前。
部屋のテレビに映ったのは、高速道路が倒壊しかかった様子。
「どこかで見た光景・・??!!」
関空までは無事に戻れた。京都に戻る人は交通機関がストップして戻れず、
東京に住んでいた自分は羽田行の便に乗り継ぎ、無事戻れた。
しかし、あのとき天災は、ある日突然来るものだということを、生まれて
初めて知った。

あれから26年・・・。
その間、東日本大震災翌日に、神戸出身の仲間が亡くなり、
7年前、赤穂で行ったコンサートに来られたお客様が、この阪神淡路大震災の
日のことを思い出し、泣かれていたことを思い出す。
神戸ゆかりの皆さまにとって、この日はいかなる朝であっただろう・・・。

今も、いろんな天災が繰り返されている。

そして、コロナ・・・。

本日はコロナ禍のなかの記念日。
ご遺族の思いは変わらないことだろう。
神戸の町はきれいに復興し、活気を取り戻した。
そんななかのコロナ。

地元の皆さまは、今日、さらにこんな時もがんばろう。
という思いと強くされていることと思う。

改めて、亡くなられた方々に哀悼の意を表したい。

26年間、かたときも忘れることなく、生き続けてきている皆様。
伝え続けている皆様・・・。

一緒に祈りを捧げよう。

六甲の山に灯る文字。「がんばろう。1.17」
そうだ。がんばろう。

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嬉し涙にかえよう

いろんな経営者との出会い、交流をいただく。
上場企業の社長さんも、中小企業の社長さんも、みんな大変。
今はとくに、苦渋の決断に悩むトップも多いことだろう。

これまでに、なんどか社長の涙を目にすることがあった。
そんなに回数はないけれど、その記憶は消えない。

社長という仕事は本当に大変だ。
社員ももちろん大変であるが、会社を回して、従業員とその家族の
生活を担わなければならない。
社会的責任の重さに耐えうるには、かなりの精神力が必要だ。

社内の人には相談できない・・。
社員には不安や迷いを見せてはいけない。
家族にも話せない方もおられるだろう。
ときとして、社長は孤独な職業だ。
そんな社長さんたちと、よく話をする。
ありがたいことに、よく話を聞いてくださり、
助言を求めてくださる。
喜んでいただける。
誰にも相談できないことを話していただけることは
私にとってもありがたい。
信頼されての・・お仕事だ。

社長が見せる涙。
悔し涙だったり、なんともいえない、やるせない気持ちだったり・・。
張りつめていたものが 押し出される感じだろうか。

涙は出した方がいい。
浄化される。
男泣きにも、じっとつきあう。
そして、前向きに進める。

コロナの今、ほんとうに涙が思わず‥という社長さんは多いかもしれない。
想定外の対応であって自らもどうなるかわからないのに、弱音を吐かずに断行していかねばならない。怖さもあるだろう。
なんとか応援し続けたい。
悔し涙が、うれし涙に代わるように。
あのときはしんどかったけど、よく乗り越えたな~と。

日本の、世界の社長さんたちに、今こそ、心からエールを送る。

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今こそ、プレゼン力!を学び活かす!

言葉がすべての職業の方に。
プレゼン力がすべてなのだといいたい。

たとえば、国の前リーダーのプレゼンは好きではなかった。
プレゼンから透けてくる素顔の部分が、共感できない何かがあったし、
作り芝居のような きれいごとだけの言葉で、何も入ってこない
と思っていた。

しかし、今から思えば、あの声の高さは それなりに良かったのかもしれない。
また、前を見て話していた点も、学習されての姿勢かと思われる。
でも、共感はしなかったけれど・・。

今、コロナの影響で、報道にていろんな国のリーダーがメッセージを発する場をよく見る機会が増えているが、声の高さ、ハリ、強さ、メリハリとリズムがまず人に聴かせるかどうかの決めてになることを改めて知る。
もちろん、内容が決め手であることは言うまでもないが。

まず話し方、目線、声でもって、人は聴いてみようかという気持ちになる。
汚いだみ声で、下を向いて話しているようでは、聴く気にもなれないし、
それが自分の言葉でなく、誰かが書いた原稿を読むだけでは、まったく、なんの
価値もない。
まず記者会見前には、せめて、うがいをして、発声練習をして、鏡で自分の顔付き、目の輝きをチェックしてから臨む・・ぐらいはしてほしい。

前にも書いたが、メルケルさんの演説は心に響き、ドイツ語がほとんど理解できなくても、その語気で伝わってくるメッセージがある。
台湾の蔡さんも、そしてニュージーランドのアーダーン首相の言葉も、とても
伝わる。
言葉の中に、命と愛を感じる。そして使命感を感じる。
優しいけれども、力強い。この人についていこうと自然に思える。

今、政治家たちの演説を見聞きしながら、プレゼンについての学びをしている。
一番、人の心に響くは、生命をかけて一生懸命やっている姿。真剣勝負している人には共感が生まれ、感動を呼ぶ。
音楽をやっているおかげで、そのことがプレゼンにも通じると確信している。

まあ、人のことより、まずは、我が身からはじめよう。
とにかく、今はプレゼンを勉強するには、サンプルが溢れている。
そう思いながら、世界を視るのは興味深い。


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子どもはどう見ているだろう

たとえば緊急事態宣言下の日本。
自分は仕事をする立場で、生活者として、親のことを思う立場でと
いろんなことを思いながら、生きている。
他の方も、それぞれの境遇や環境のなかで、その現実をとらえて
生きておられることだろう。
さまざまな叫びや怒りもごもっともと思えるし、違う意味での
緊急事態宣言下ではないかと思う今日この頃。

さて、次代を担う子どもたちは、
今のこの世の中をどう見ているだろう?どう見えるのだろう?
そんなことも、最近気になっている。

世界的に見れば、コロナ、そしてそれに向かい合う国のリーダーのこと。
そして、それを熱狂的に信じて行動している人たちのこと。
大人はそれぞれの立場で、考えをもちながら、行動をしている。

純朴な子どもたちは、この大人たちのふるまいをどう見ているのだろう。
子どもたちに、リーダーとは?の定義はどうインプットされていくのだろう。

最後まで自分は正しいと言い切る大人を見て、
責任から逃げていこうとしている大人を見て、
親は子供に何を教えるだろう。
たとえば、
隣の国では、この国の選挙は不正があるんだ。と親が子供に教えるような家庭もあるかもしれないが、子供はそれをきいて、どんな風に育つだろう。

人として、お互いを大切にし、認め合い、協力しあえる。
そうでなければ生きていけない世の中のはずであるのに、
分断をあおる大人を見ている子どもたちは、どうなるんだろう。

日本も同じこと。
自我の目覚め、社会性、行動範囲が広がるなかで、子供は社会人としての
素地も習得していくが、周りに正しい大人がいなければ、正しく育つのか。

今、環境破壊とともに、人間破壊が心配でならない。


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言葉足らずの愛を、助詞で唄う。

今年最初のライブでは、なんとか新作を発表したくて、
それでも時間をかけてじっくり・・は難しく
壮大な曲づくりはできなかったけれど、歩きながら口ずさめる程度の
小品を本番前にざっと書いた。

今の私の関心テーマのひとつである、「老夫婦のコミュニケーション」。
それを見ている目線で、歌詞を書いてみた。
それぞれ考えていることがあるだろうに、会えないまま、
ネットも使えないから、伝えることも難しいまま、
半世紀以上一緒に暮らした日々が、止まった時間となって
日々が流れる。

そんな状況を娘が見ているという目線での作品だ。
最近、父の施設に持参する手紙の中に、母の直筆も入れるようにして
いることからヒントを得た歌だ。
歌詞はこんな感じだ。(一部抜粋)


「言葉足らずのてがみ」

父は 父の 父が 父も
  
父に 父を 父と 父よ。

母は 母の 母が 母も

母に 母を 母と 母よ。

思い通じると いいね。  

笑って過ごせる 日々を  

楽しい思い出 並べ 
   
生きた道のり 立ち止まる。♪

・・・・・

言葉が上手く出ない夫婦。
何が言いたいのか よくわからない。
でも、主語を言うだけで 思いがあり、
また助詞が変わるだけで、いろんな風景が広がる。
今、離れて生活して1年半になる両親のそれぞれの
言葉足らずとあふれる思いを歌にしてみた。
昨日のミニコンサートで、こちらも即興演奏で初披露。
あたたかい拍手をいただき、こちらの心があたたまった。

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本日岐阜新聞ミニコンサートです。

今年初めのミニコンサートです。(岐阜新聞本社ロビー 予約制 本日満席)
会場で配布する資料を公開します。
細かいプログラムは、会場でアドリブ変更する可能性があるため、
テーマのみを記載しています。演奏するオリジナル曲の一部は歌詞を配布しています。


演奏曲の一部はネットでも公開しています。
La Grande Roue:Poem & Songs (mahsa.jp)

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張り合いが生きがい

本日は岐阜新聞社でのミニコンサート。こちらでも、緊急事態宣言が発令される
とか・・であるが、今のところ、予定通り準備をしている。
東京から引っ越す少し前から、隔月ではじめたこの演奏活動。
自主企画とは違い、地元の公的な場所で、ひとりでも多くの、知らない方に
聴いてもらえたら・・。と、ささやかな地元へのお礼の気持ちから・・。
面識のないお客様が新聞を見て、おいでになることもあれば、ご紹介から足を
運んでくださる方もあり、コロナ前の演奏会は満席となり、賑わっていた。
笑い声も手拍子も響いていた。
状況は変わった今。それでも母親にとって、この演奏会はいきがいのひとつだ。
誰を誘うか、何を着ていこうか、演奏会が終わったあとのお楽しみは・・・。
雪の可能性もあるということで、タクシーの予約手配を手伝いながら、
彼女にとって、お出かけ、そして娘のコンサートは楽しみのひとつだということを再認識する。
そういった機会があると、気力もみなぎり、元気になる。
今の時期、かなり限られてくるけれど、小さなイベントはとても大切だ。
母にどれだけの機会をプレゼントできるのかわからないけれど、
今できることは、張り合いある暮らしをしてもらうためのサポート。
日々のなかで、小さなハレをたくさん作れたらいい。
そんな気持ちで、今日はコロナに負けない冬を元気に生きるレパートリーを
届けたい。

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やれるだけ、ありがたい。

コロナとの共生。我慢が必要。仕方ない。
そんななか、雪の立ち往生に巻き込まれている皆様のことが気にかかる。
早く早く救出されるように、祈るのみ。
自然は本当に恐ろしい。
雪は美しくもあるが、生きる上での敵でもある。

各地の成人式も、PCR検査をした上での実施や、ドライブスルー、ドライブインなどこれまでなかったスタイルでの実施が話題になっていた。
一生に一度の成人式・・迎える人々にとって、このコロナ時代の記念日は
生涯忘れることはないだろう。

予期せぬことがくりかえし起こり、次々と困難が立ちはだかる。
いつ、自分にもそれが・・と思うと、決して安心はできない毎日だ。

そんななか、明日12日には再び、岐阜新聞本社でミニコンサートを実施する。

https://www.gifu-np.co.jp/info/lobby_concert/


昨年1月後、何か月も休止になっていたが、その後、主催者も万全なる
コロナ対策をして、人数制限のなか、お客様にもご協力いただき、こちら側も体制を整えて、なんとか継続している。
もともと音響の不要の会場であったが、ビニールカーテンの設置で音が聞こえづらくなるため自前の機材も持ち込むようになった。
お客様参加型のやり方も考えてやらねばいけない。
「一緒に歌いましょう~」とはいいづらい。

と、いろいろあるけれど、とにかくこのような場でも、演奏できる場があることがありがたい。
オンライン演奏もあり・・ではあるが、お客様の環境によっては、それができない方もいる。また生の方が絶対いい。

ハイブリッドの発信ももちろん検討しながら、このように演奏する場をもてるだけで、やれるだけで、本当にありがたい限り。

今できることを、やり続ける。
やれるだけ、ありがたい。
元気で、ありがたい。

(写真は昨年のコンサート再開当時の様子)

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FOOD INSECURITYに目を向ける

コロナは人々にさまざまな影響を与え続けている。
ニュースは毎日、感染者数を日課のようにトップニュースとして取り上げて
いるが、心配なのは、ここには発表されていない方の数。
医療のお世話にはなっていなくても、生きるのに困っている方は多い。

年末から年始にかけて大人食堂という活動が、東京でも行われたようであるが、
生活に困る方を支援される取り組み。おそらく各地、さまざまな形で支援をされる方がおられると思う。本当に頭が下がる。

職を失い、食べるものにも事欠くという方が大勢おられるということは本当に深刻だ。会食云々など、無縁の世界だ。

ニューヨークでは、コロナで活動できない劇場で、その劇場のスタッフたちが
食糧支援の活動をされていると聞いて、あたたかい気持ちになった。
NGOの取り組みとして、地元のお困りの方に寄付で集まった食料品を
栄養バランスを考え、袋詰めして、毎週各家庭に届けているとのこと。

コロナで対面で人に会えない。コミュニケーションできない、自宅に籠りっきりのお年寄りはこのサービスを本当に楽しみにされており、週に一度の支給に幸せを感じておられるとのこと。
劇団のマネージャーは、心の栄養を提供する劇団の仕事と、体の栄養を提供するこの食糧支援は同じだ。とてもやりがいを感じているという。いい話だ。

FOOD INSECURITY~食料不安。この言葉がNYでは日常語になっているとのこと。
日本でも同じだ。困っている人を見たら助ける。
これは当たり前のこと。

外食の時短と、この食糧支援。どちらも食だ。食べること。
生きるとは食べること。
贅沢なしで、普通に食事をさせていただける日々があることに感謝するしかない。
まだまだ自分は何もできていないと実感。小さなことからはじめよう。


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