善戦する人は美しい。

長きにわたり、癌と戦っている知り合いに会いに行く。
前回お会いできたのが、約1年前。
「これから抗がん剤治療生活に入ります。冬眠です。しばらくお会いできませんが
春になったらお会いしましょう」
と握手して別れた昨年の秋。そう、その人の地元でのコンサートの日だった。
その後、メールと電話で時々様子を伺い、
手編みの帽子やストールを送ったり、なんやかんやで月日が流れ、やっとの再会。

一年ぶりのその方は、相変わらず気丈で人への思いやりを忘れず、
明日は検査だから自分は食べられないが・・・と人への食事に気づかい、
その人がホストとなって 旬のサンマやその人が好きなお料理をオーダー。
食事をする私たちの目の前で梅干し入りお茶を飲み、にこにこ笑って座り、
1年ぶりに話をする。

癌が体内に住んでいる。と普通に話し、もう付き合い方がわかったような口ぶりにも
さすがだと思う。
「でもね、樹木希林さんが亡くなったのは、残念で、考えさせれる。自分はどうなるんだろうと」
としみじみ・・。

わずか1時間半あまりの再会であったが、その方はやっぱり自分の人生を
精いっぱい戦っておられる・・といつもどおりの、変わらない明るいファイトに
感動・・。

一方。石破さん。こちらも、よくがんばられた。
誰もできないこと、しないことを自分の良心に誓って、自分の政治家生命にかけての
挑戦だったと思う。
こちらも自らとの闘いだ。

たとえは違うかもしれないが、
この2つの例は私のなかでは重なる。

人のために、社会のために生きる人。
自分に与えられた道を精いっぱいに生きる人。
自分と戦える人。

それこそが、まさに「よく生きる」ということだ。
戦うときは戦う。
戦いもせずに、負けることなかれ。

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ラストは涙なし、笑ってGO。


8年半前からはじまった、ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」。
毎月1回新潟駅南にあるこのスタジオに通い、新潟のさまざまなゲストを迎え、
いろんなネタを話し、音楽を流した。
雪降る日、嵐のような暴風の日、熱中症になりそうになってふらふらと
スタジオに到着した日。
企画からゲスト探しから、シナリオ作成から本番まで・・。
いつもそのことが頭から離れない、そんな8年だった。
今回、ついに番組終了という節目に。
いつか終わる、いつか終わろう、いつまでやるか?
どんなことでも、はじまりがあれば、終わりがあり、終わりがあるから、また新たに始まる。
だから終わることは、いつもハッピーエンドでありたい。

「愛の賛歌」で始まるこのわが番組、
いよいよ9月29日をもって102回目の放送、そして最終回。

昨日は、その収録。
いつもどおりゲストを迎え、いつもどおりインタビューをし、
いつものコーナーをまとめていく。
思いを込めすぎると感極まるので、思いを入れすぎず、
最後という意識をできる限りもたないで・・。
とはいえ、最後のゲスト選びはよく考えた。
いつか出たいと言ってくれていた青年が上越から駆けつけてくれ、
この番組をもっとも応援してくれた新潟の妹さんに出演いただいた。

ずっとリスナーで居続けてくれた番組の恩人が、今、目の前で話していると思うと、
ぐっと胸に迫る瞬間もあり、心のなかで「おいこら、泣くんじゃない」と
自分に言い聞かせ、ウサギ目の笑顔で番組も終盤に。

そしていよいよ、エンディング。シナリオに長々と書いていた
感謝の言葉もあまり思いを込めると言葉にならなくなりそうで、
その手前で、うまく収めた。
「これからも、愛の元気人は新たに挑戦を続けます。
みなさんありがとうございました。
ナビゲータは新潟応援団 マーサでした。チャオ」

最後の一言まで、涙を流さず、笑顔でいけた・・。

8年間、スタジオの外から話している自分の姿を見たことがなかったため、(当たり前であるが)
リスナー&ゲストに撮影してもらった。スタジオのガラスが反射しているが、懐かしくかけがえのない1ショット。
こういう風に見えていたんだ~。初めての発見。よくゲストさんはこう撮影して帰っていった・・・と
そんなことも思い出す。

収録語、放送局のみんなが、「お疲れ様でした」の声とともに、
パン!パン!とクラッカーでお祝いしてくれた。こちらも一生忘れないサプライズに。

この経験は次に生かす。
放送は9月29日。それまでまだ番組は終わらないけれど、まず、収録終了。

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不安を打ち消す生き方。

生きることは、不安との闘いだと思う今日この頃。

この先どうなるんだろう。
世界も、日本も、自分自身も・・。

すべて不確実だ。不安定だ。

でも、これは自分だけがそうなのではなく 気づいているかどうかは別として
みな同じはず。

不安なまま生まれ、そして不安に向かって生きる、そして不安なまま死んでいく。
そのなかで、少しでも安心できるように、自分の心の置き場所をみつけ
それぞれ努力しているのだと思う。

どうせ生きるならば、不安がっていても仕方ない。
楽しいこと、うれしいことをどんどん作っていくように心がける。
楽しい瞬間、うれしい瞬間がたくさんあれば、生きる喜びが不安に勝るはず。

人生は不安と安心のシーソーゲームだと思う。
なるべく、安心な気持ちに傾くように、善行を重ねよう。
思っているだけでなく、行動する。
不安を解消するには、音楽はとても良い。
心を落ち着け、情熱を沸かせ、人生を豊かにしてくれる、
不安な気持ちもいつしか消える。

不安な人はいない。
打ち勝つには、鈍感になるか、努力するか。

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人が優しくなれるとき。

普段、やさしさが表に出ない人もいる。
思っていても言葉や態度、行動に出ない人もいれば、
そんな気持ちになれない時もある。

でも、少しだけ意識して、
人が人にやさしくなれると、みんながもっと幸せに
明るく、元気になるのだと思う。
普段の暮らしでは忙しかったり、つい自分中心になってしまい
人のことまで構っている余裕もない・・・のかもしれない。

でも、目の前に本当に困っている人がいたら、
手をさしのべたい。
どんな小さなことでも、そんな気持ちでいたい。

人にやさしくする。他人様にはそんな姿勢でいるが、
身内になればなるほど、もしかしたら やさしさが
足りない、そんなこともあるのかもしれない。

最近、ある夫婦の話を聞いた。
奥様のお母さまが最近亡くなった。
長年の施設暮らしではあったが、最後の肉親が亡くなり
心身ともに疲労困憊、死後のさまざまな用事に追われているときに
その奥様がある朝、突然倒れた。
旦那さんは、普段から優しいタイプの人ではないが、
このときばかりは違った。
献身的に一生懸命動いてくれた。すぐ救急車を呼び、病院に駆けつけ
看病・・・・そして奥さまは無事復帰された。
奥様いわく、
「そんなに優しくされたことがなかったぐらい、今回はありがたいと
思ったわ。」

そう、いざというときにやさしさが出る人もいる。

人間には情があり、そのなかにやさしさの感情があるのだと
思う。
やさしさは人間らしさ。愛の表現だ。

できれば、いざというときだけでなく、日ごろからそんなことを
意識できる人間でいたい、ありたいと思う。
もちろん、いざ!というときにも・・・。
すぐ、腹を立てたりしてしまいそうなときにも、ちょっと一呼吸おいて・・。
無配慮な言葉が、やさしさを消してしまわないように・・気を付けて・・。

やさしさは最も必要な人間らしさだ。
もう少し意識して、今日も丸く過ごしたい。

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コミュニケーション能力を高めるには?

コミュニケーション力はいかに身に付くか、つかないか。

もし、自分がいきなり一人で見知らぬ国に行き、そこで
生きていかねばならない、となったら、どうするか。
しかも言葉も十分に話せなかったら、、、。

それはそれは必死で勉強するだろう。
そして自分を知らない、自分も知らない相手に
どうわかってもらうか、試行錯誤するだろう。
命がけで伝えようとするだろう。
そして、
挫折や失敗を繰り返しているうちに、少しづつ理解してくれる人が
出てきて、毎日が変わってくる。
・・と、そんなことを想像する。

知らないところへ行く、そこで学ぶ、そこで生きるという
ことはコミュニケーション力を養うのにとても大切だ。

一方、生まれ育った小さな村で、そのまま生涯を生きることになると
何も言わなくても自分のことを知っている人ばかりで
なんとなく、それを当たり前として、人生を過ごしていく。
田舎になればなるほど、むしろ余計なことは言わないようになり、
わかっているつもりが、実はそうでもなく・・
また自分をわかってもらおうとする努力も必要なく・・
そして、いざというときに
伝わらなかったり、もめごとに発展したりすることもある。
ずっと同じところにいると、わかっているようでわからないまま、
コミュニケーション力も身に付かない。

そんなことも考えられる。
もちろん人生の価値観はそれぞれであり、
生まれ育った村や町でそのまま育っていくのももちろん良い。
一方、外に出たら世界も広がり、人に対する見方も変わって
行動も変わって、自分の成長にはとても良い。

最近、自分は外へ出る人生を無理やり選んでしまったことを
本当に良かったと思うことが多い。

知らない人しかいない町で生きること、その術を身に付けること
はとても大切だ。
そして、言葉は本当に大切だ。
決して詭弁、雄弁は好きではない。政治家の言葉も好きではないが、
そうではなく、普通に社会で生きる人間として、
伝えようと努力する姿勢こそが大切だと思える。

努力しなければ、伝わらず、
努力しなければ、人生は寂しい。

努力すれば、伝わり。
努力すれば、心豊かになる。

お金があるよりも、心豊かの方が幸せかもしれない。
すべて、コミュニケーションにかかっている。

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敬老の日に思う、意味ある長寿。

9月17日。グラン・ルー20周年の記念日が、今年は敬老の日と重なった。
昔は、敬老の日といえば9月15日だったのに、毎年日付が変わる祭日はありがたみが
なんとなく薄らぐような気がする・・・。

それはそれとして、今年も各地で敬老会が開催された。
行政関係部門も毎年、いろいろ大変だ。
100歳以上のお年寄りの数も毎年更新されているようで、日本は世界でも
有数の長寿国になった。

敬老・・・。老人を敬い、大切にする日。
それはそれで大変良いことと思うが、なんとなく最近は、毎日が敬老の日のような
感じもして・・。お年寄りが街にあふれ、いつもお年寄りに囲まれて・・・
そんな日本社会・・・。

これから、ますます高齢化社会が進むと、この敬老の日の位置づけはどうなるのか?
と思ったり、今度は貴重なお子様の日の方が大切にされるようになったりするのかも
と思ったりする。

元気なお年寄りはいいけれど、お年寄りばかり元気で、これからの社会
どうするのか?どうなるのか?と、正直ちょっと不安にもなる 敬老の日・・。

若い人が元気に生きられる世の中こそ、大切なのに。
いやいや、もちろんお年寄りも元気にいてほしい気持ちは変わらないが・・。
複雑だ。

敬老の日は、老いも若きも長寿について、
一緒に考える日になればいい。

人生は時間の長さだけでなく、内容、姿勢、自分との向き合い方が
大切だ。

そんななか、年を重ねていきいきと挑戦を続けている方は本当に素晴らしい。
そんな方は敬老の日だけでなく、いつも、毎日、尊敬したい。
私自身、どうせ年をとってしまうならば、
いくつになっても、ピアノと歌ができるおばあちゃんを目指したい。
長生きするならば、80歳になってもベートーベンやショパンが
弾けるようになっておきたい。かっこいいおばあちゃんがいい。
単に元気だけでは、あまり意味がない・・と思っている。

単に長く生きているだけでは、意味がない。
人に迷惑をかけずに、最後を迎えるむつかしさも考える。

うーん。敬老の日は、年々考えさせられる日になりつつある。

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おかげさまで20周年!ありがとうございます。

本日9月17日をもって、グラン・ルーは開設20周年を迎えました。
長きにわたってのご支援・ご協力・ご愛顧・・・すべてのご厚意に心より感謝申し上げます。
「心の観覧車をつくる」をテーマに20年間、コミュニケーションクリエイターとして、愛の元気人として
オンリーワンの生き方、仕事を目指してまいりました。
この思いはぶれることなく、これからも継続してまいります。
そして、
観覧車は20年でひと回り、さらにお世話になった方への恩返しのステップへと進んでいきたいと
考えます。

そして、
「人生は、観覧車のように生きる」をテーマとして、今日から心新たな一歩を歩んでまいります。

20周年にあたって、ただいま各地でそれぞれのイベントを企画進行中ですが、東京方面での実施に
つきましては今しばらく企画にお時間をいただきますこと、ご了承くださいませ。
追ってご案内させていただきます。

これからも、グラン・ルーは回り続けます。
今後とも、おつきあいのほど、よろしくお願い申しげます。

改めまして、出会いをいただいたすべての皆様に心より感謝申し上げます。
大変ありがとうございます!!
                                
★今回掲載の観覧車の篆刻は、作家 沈 強さんによる「昌 グラン・ルー」です。
特別の思いと感謝を込めて・・・
                                今尾昌子

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会わねば一生の悔いになる。

「あ、元気かなあ。今度名古屋に引っ越したので、近くになったしね。
会いにいかなくちゃ、元気かなあ、と思って」
と、十数年前ごろに、京都の居酒屋で知り合った金ちゃんのことが気になり、
数年ぶりに突然電話する。
「うわ~、今尾さん相変わらず元気そうで。」
「金ちゃんは?」
「あんまり調子良くなくて。でも、今尾さんと話してたら、元気になってきたわ。」
そして、二人の共通の話題である、今は亡き、居酒屋「明るい農村亭」のマスターの思い出話と
マスターが生前好きだった京都志津屋の名物サンドイッチの話になり、その懐かしさに二人で
大声で笑いあって、
「じゃ、今度京都行ったら連絡するわ」。
と笑って電話を切った。

あれから半年ほどの時間が流れた。
いつでも会えると思いながら、そろそろ行かなくちゃ、と暑さ静まりかけた頃。

知らない番号からのメッセージ。
金ちゃんのご家族からのような文面だ。ちょっと固まりそうになった。
彼女の携帯の履歴をたどってのご連絡のようだ。
「突然すみません。・・・・・金田は9月2日亡くなりました」

頭の中が真っ白になった。
「ああ、しまった~」
先日も京都に行った際に、金ちゃんのことも頭をよぎったのに、
時間がなかったので、次回必ずと思っていたのに・・。

それから、そのご家族らしき方とメッセージを送り合う。
一緒に京都で居酒屋を営んでこられた。
そのお店が開店したころ、一度行ったことがあった。それからご無沙汰してしまった・・。
でも、自分にとっても懐かしい衣笠の店でもあり、
また行かねばとずっと思っていた。

ああ、あと2か月でも前に連絡して、会いに行くべきであった。
本当に悔しい。

どんなことでも、やり直しや修正はできるけれど、
相手が亡くなってしまっては、もう絶対に会うことができない。

こんな気持ちになったのは久しぶりだ。
ずっと「金ちゃん、金ちゃん」と何度も心の中で叫んでみる。
かわいらしい、ぽっちゃっとした顔が浮かんでくる。
調子悪いといっていたのがシグナルだったのかもしれない。
本当に悔しい。

「近いうちに、必ずお店に行きます。ごめんなさい。今ごろ・・」
「ありがとうございます。やつがかいた、手書きのメニューとか
いろいろあるんですよ。見てやっていただけたら、きっと
やつも喜ぶと思います。お待ちしています」

話したことのない人と、亡くなった人を通じて会話しているのも
不思議だ。

金ちゃん。もっと早く会いに行くべきだった。
今は、とても悔しい。

やっぱり、会おうと思ったら、無理してでも会いに行って
おくべきだ。相手がいくつであろうと。

私より年下の金ちゃん、あまりにも 
「あんた、逝くの早すぎやで~。」
金ちゃんが、ニコニコ笑っているような気がした。あかんて。

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新ユニット結成 デビューはマジックビンゴライブショー?!


この写真は、新ユニットのメンバ―の写真。
司会業が専門のみぽりんと、コミュニケーションクリエイターのまーさ。
この二人は、同じ地元であるにもかかわらず、まったくお互いに存在を知らず
つい最近、偶然か必然か?とにかく衝撃の出会い。

そして、お互いの持ち味を生かした新たなエンターテイメントを実現ということで、
みぽりん(M)のMCと、まーさ(M)のMUSICと、まさにMづくめのアラフィフ新ユニットを結成。
早速、とあるパーティーで、マジックビンゴライブショーなるものに挑戦してみた。

ちまたで今話題のマジックビンゴ!(実は私は今回初めて知ったが)にBGMを入れ、
途中にミニライブを入れ、全員ビンゴに向かうまでを音楽と楽しいMCでもって盛り上げていこう
という初のエンターテイメントだ。

と、練習もなく、当日会場へ。会場を見ながら打ち合わせ。
お互いのさまざまな経験も生かしながら、こうすれば盛り上がる、
ああすればこの会の主旨に合うと知恵を出し合い、笑顔の本番へ。

結果はまずまず。会場も盛り上がり、目的は達成。

この調子で、新ユニットは本格稼働を決意。
さて、この新ユニット
POTATO ISLAND GIRL の頭文字をとって、PIG!
POTATO ISLAND とは、二人の出身地の町名 「芋島」に由来する。
ちょっと田舎臭さを残しつつ…大人になったわれらのハッピーパワーで
岐阜・愛知をはじめ東海地区を盛り上げていこう!

という決意である。

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気が付けば2019年も生きるつもり。

あっという間に9月が来た。
語尾にBERが付く月は、牡蠣が美味しいんだよ~と、英語の授業で
習ったのももう昔昔であるが、
このBERの月がやってくると、もう今年も終盤・・という気持ちになり、
気持ちも引き締まる。
そして、今年は早めにと思い、
来年の手帳やカレンダーを入手した。
昨年、出遅れて好きなデザイン・カラーを選べなかった反省から
今年は早めに・・。

来年のカレンダーや手帳を改めて手にとって、
ああ、来年か~。
来年も生きるんだ~。
来年のとある月のページを開いて、来年の今ごろの自分を想像してみる。

ああ、来年も生きるんだ~。

人は無意識のうちに、次のことを常に考え、動こうとしている。
本当に不思議だ。

好きな手帳、カレンダーをもう調達したのだから、来年もがんばるしかない。
これが使えなくなることがないように、無駄にならないように。

次のものを準備すると、人間、身の引き締まる思いになるものだ。

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