美空ひばりには、まだまだな私。

プロの歌手は涙を流していても、きちんと歌う。
涙声になってはいけない。

その昔、よくレコード大賞などで受賞した歌手が
受賞後に歌うと涙で歌がぐちゃぐちゃになるのを
見ながら、「歌手も人の子だな~」なんて思っていたが、
美空ひばりは、そこを突き抜けていたそうだ。
歌を大切に、魂込めて歌う。その姿には、
絶対的なオーラが漂う。
ひとすじ涙が流れることがあっても、それでも歌う。
泣きながら歌えるという天才であったそうだ。

そのことは、私の中で、教訓になっている。
プロは人前で泣かない。と。

このたび、印刷業界ではたらく女性たちの
前で講演をさせていただき、
皆さんに大変熱心に聴いていただいた。
そして、最後に自作の
「みす・つち・ひと」を
歌った。各地方で、自分のふるさとでがんばっている
皆さんへのエールの意味も込めて。

歌い終わり、講演が終わったとき、客席で目を真っ赤にしている
女性をみつけた。
そのとたん、なぜか自分もぐっときた。
最後の挨拶に、言葉につまった。

??そんなつもりじゃなかったのに。
30年前の自分と、今印刷会社でがんばる女性たちとの
接点、共感と、これまでお世話になってきた様々な
方への感謝の気持ちが高まり、思わずぐっときてしまった。

涙声ほど、恥ずかしいものはない。
こらえた。

あとで考えても、なぜあのとき、涙声になったのか
冷静に考えても良くわからない。

美空ひばりには、まだまだ追いつけない。
プロは、泣かない。プロは演じる。

それはそれとして、それぐらい心に沁みる
ひとときを過ごせたことは、本当にうれしい。

日本の印刷業界で活躍する女性たちの
誇り高き仕事に、ずっとエールを送り続けたい。

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朝の力を信じる。

1日フルにがんばって、がんばって、がんばった日はもう夜になると
疲れ果てている。
もうこれ以上、考えることはできない・・・もうだめだ。
気力はあっても体力が・・・だ。
そんなときは、すぐ休む。とにかく寝る。
疲れているとぐっすり眠ることができる。
時間がなければ3時間でも4時間でもいい。

そして、朝早く目覚める。
頭がしゃきっとしている。
ゆうべ疲れて出てこなかった言葉やストーリーも沸いてきて
仕事がぐんぐんはかどる。

朝ってやっぱり凄い。
朝は頭を使う仕事にはもってこい。
朝は考える、昼は動く、夜は交流。
そんな3拍子の仕事リズムを考えたことがあったが、
改めて、本当に朝の力はすごい。

と、ハードな連日を過ごすなか、
朝の時間について改めて考えさせられた。
疲れたら寝る。休む。

そして、朝がんばろう。

今日も朝が来てよかったな。と思えたらますます
力が湧いてくる。

1日24時間しかない、24時間もある。
これは皆に与えられた平等な人生の条件。
どう使うのかが、充実人生のキメ手になる。

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30年前の自分に改めて出会う。

本日、印刷会社で営業や企画をする女性たちとの
出会いをいただく。
自分が約30年前にやっていた仕事。
それを今、組織の中で奮闘している人達の前で
話をする機会をいただく。
30年という時間はあまりに長いが、その時を越え、
今もその業界の仲間と
出会えることはなんと幸せかと思う。

全国の各地方で活躍する人たち。
印刷業界とは、かっこいい響きでもなく、
女性の出番があるのかい?
など言われそうな地味な業界であるが、
私はそこで働いているときの自分の仕事を、
今改めて天職だったのだと思う。
印刷は、ザビエルが東世界に持ち込んだといっても過言ではない。
印刷は人にメッセージを伝える大切な
コミュニケーション手段・メディアの原点。
デジタルの普及で紙文化の市場は
なかなか広がらない厳しさもあるけれど
印刷とは人類史のなかでもっとも重要な技術であった。

と、今、現役で印刷会社で働く人たちに、
誇り高き仕事についてのエールを送れたらいい。

また、女性でも男性でも、みんな人として
素敵に成長して、協力しながら愛にあふれる世界を
つくっていけたらいい。
と、そんな思いも伝えたい。
30年前の自分は、話を聞く側に座っていた。
そのときの自分を思い出しながら、
ありがたく言葉をかみしめたいと
思う。
約15年前、仲間が呼んでくれた
この新潟の地でそんな素敵な仲間と出会えることが
とても、とても嬉しい。

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負けへんモードで小刻みにカウントダウン、で今を乗り切る

どんなに暑くても。いつまでも
うずくまっているわけにはいかない。
エイや!と元気に飛び出して、今日のミッションに
取り組もう。
もちろん無茶はいけない。
適度に切り替えをして、適度に休みつつ、
でも、元気なんだから、
調整できる体力があるのだから、
気力から負けてはいけない。

夏は外界と闘う季節だ。
特に今年はそんな厳しさがある。
正直、自分にとってはリゾートな気分にはなれない。

早く
秋の涼しい風が吹き始めるのを待つのみだ。
だから、今は秋へのカウントダウンを指折り数えることとしよう。
まずは、お彼岸をターゲットにする?
これは長い。
では、まずはお盆だ。
1か月後ぐらいなら、第一段階のカウントダウンもできる。
そして、その次は・・・といった感じで
細かく、目標をもって細かくカウントダウンして
生きて行こう。
そうしているうちにも、時間はおのずと経ってくれる。
その間に
すべき仕事がある。取り組むべきことがある。

夏の暑さなんかに負けへんで。

苦いコーヒーと、強いアールグレーの紅茶を両方飲んで
今日という日のはじまりに、スウィッチを入れる。

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歩くサウナは、ノーサンキュー。

この頃、身の危険を感じる。
先日の長時間かつ広範囲の豪雨。
まさかそこに降りますか?誰も予測できなかったこと。
さらに、
その後襲ってきたのは、この酷暑。
京都も岐阜も名古屋も・・記録的な暑さだ。
つい、実家の老人の安否が毎日気になり、毎日電話して、
鬱陶しがられるが、本当に心配だ。

外を歩き続けることができない。
名古屋の屋外は、歩くサウナ状態。
あ、このまま歩いていたら ダメかも~と
思える以上な暑さだ。
いや、まだクーラーがある場所にいつでも飛び込める
家に戻ればエアコンがあるのだから、贅沢を言っては
いけない。
被災地の皆様を思うと、本当に心が痛む。

地球は壊れたのだと思う。
東日本大震災の後、被災された知人は
「自然には感情がないんです。」
と津波を運んできた海に向かって怒っていた。
そう、非情である。

でも、一方、なんだか天が罰を与えているようにも
思える。
人間のこの身勝手さに。
地球温暖化はすべて人間が撒いた種だと。

こんなに豪雨・猛暑酷暑・地震・・と続くと
心の安寧は得づらい。

サウナの中では暮らせない。
この夏は危険だ。

こんな状態で、2年後の夏はいったい全体?
オリンピック、本当にやるの?

と改めてこみ上げてくる。

殺人の夏にならないように。

祈る、生活をセーブする。少し静かに
人間の暮らしを見つめ直す夏にしなければ・・。

小さな命が暑さで亡くなった。
各所で被害が続く・・・
野球選手も気を付けてほしい。
応援される方も・・。

とにかく、被災地の皆様のご苦労を思いながら
早く早くサウナの夏が過ぎ去ってほしいと
今日も祈る。

みなさま、どうぞくれぐれもお気をつけて
お過ごしください。

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喜んでもらえると、嬉しい。

人が喜んでくれることがうれしい。
毎日、何かそんなことがあると、とても幸せだ。

たとえば、
大相撲の名古屋場所。
あるルートでチケット入手をしたはいいが、仕事で行けなくなった。
では・・・と 妹に義母さんと行くようにすすめる。

85歳を越えた義母さんが、たいそうお喜びで、1か月以上前から
相撲のことばかり、毎日楽しみに待っておられるご様子。
なんとか脳トレにもなればと思ってのギフト。
そして長年同居してきたお姑さんと嫁とのこんな思い出も良いかなと
思った。

妹から愛知県体育館からの写メールが届く。
会場の様子から、義母さんの横顔まで・・。
なんだか嬉しそうな様子が伝わってきて、
なんだかしわくちゃのおばあさんの横顔を見ていたら
こっちが泣けてきた。

東京にいたら、相撲は観に行こうと思えばチャンスは多い。
地方ではそういうわけにはいかぬ。
年に一度の名古屋場所に、嫁姑が仲良くお出かけとはいい話だ。

自分はいっぱい経験をさせてもらってきた。
今はそのおすそ分けを周囲にと思う。
嫁としてがんばってきた妹にも、お世話になってきた妹の義母さんにも
お世話になってきた皆さんに、恩返しをしなければ。

とにかく
人が喜ぶことがうれしい。
もっとそうなりたい。

あなたがうれしいと、私もうれしい。
この関係は、人生にとって最高だ。

行けなくなってよかった、名古屋場所。

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太陽と土のかほりの宝箱に感激。


「おやじとつくった野菜を、今年もそろそろ送りますわ~。〇〇日、受け取れますか?」
京都弁が聞こえてくるような、メールが届く。
ああ、先日の豪雨の被害もなかったようで、一安心。
汗をかいて大切に育てた作物が台風や洪水で収穫できなかったら・・と、思うと
農家の方の仕事は、ほんとうにリスクが高い。
京都も最近被害が多いため、心配していたが、連絡をいただいたということは
無事に収穫されているということだ。

このメールの主は、新潟で知り合った京都人。
お父様と一緒に暮らし、仕事の合間に農業も手伝うということで、
最近、実家に戻られた、親孝行の息子さんだ。
その二人で収穫した夏野菜の宝箱が届く。

大きな箱を開いて、
「あ!」
色とりどりのいろんな野菜がぎゅっと詰まっている。京都新聞にくるまっていたり、保冷剤が入っていたり、
送るためにいろんなお気遣いをしてくださったことも心に沁みる。

ひょんなご縁で知り合ったこの京都のまーさんから届く夏野菜を、
ひとつひとつ丁寧に手に取り、形や色や香りをたしかめ、
ああ、おひさまの、土の香りがするなあとしみじみ眺め、写真を撮る。

でも、ナマモノだから早くいただかないと・・。
もったいないと思いつつも、あつかましく早速いただく。

農業はお父様の生きがいだそうだ。
土に触れ、何かをつくる、育てるということは、老化防止や体力づくりにも
良いことだと思う。
孝行息子のマーさんは、そんなおやじさんにつきあって、
休みの日も一緒に畑に出向いておられる。

ありがたい。ありがたい。
この父子の畑仕事の様子、京都弁の会話を勝手に想像しながら
美味しくいただく。

食べておしまいでは、もったいないので、今回もこの写真を
いろんなところで使わせていただくとしよう。

土に働きかける仕事は尊い。
食べるしか脳がない私は、お恥ずかしい限り。

どうぞ、お元気に長生きされ、美味しい野菜を作り続けて
いただきたい。

手仕事の贈りものにまさるものは、ない。

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空青く、海蒼く、心に沁みるわが聖地。

このたび、世界遺産に登録された、潜伏キリシタンの里のひとつ、長崎市の外海地区。
市内から離れているから、(だからこそ、潜伏の地になったのであるが)これまでは文学や宗教、
歴史に興味がある人ぐらいしか訪れなかった。
これからは様子が変わるかもしれないが。
それはそれとして、私はこの場所が大好きで、大好きで 永遠のあこがれを持ち続けている。

かの遠藤周作もたいそう気に入っておられたようで、ここを舞台にあの「沈黙」が生まれた。
実際に足を運んでみると、小説を通じて知った禁教時代の苦難の様子が偲ばれ、
苦難を乗り越えたからこその、静かな深さと穏やかさを感じることができる。

最近、やっとみつけた遠藤周作の沈黙の碑。おお、ここにあったのか。
先に書いた、出津教会などド・ロ神父のゆかりの地の高台に、それはある。
「人間はあまりに哀しいのに、
主よ、海があまりに碧いのです」

沈黙に出てくるこの言葉が、石碑に刻まれている。

主よ。の呼びかけは、遠藤氏の神への問いかけであろうが、
読むほどに
「人間があまりに哀しいのに、
空があまりに碧いのです」
このくだりが深く刻み込まれる。

そして、ここに立つと余計に
この言葉が全身全霊に染みてくるのだ。

喧騒の世から離れ、ここにくると、
人間と自然の本性が見えてくるような気がするのだ。

そして。ここに来ると、
ずっと立ち尽くしていたくなる。
そんな気持ちにもなる。

この記念碑の近くに、遠藤周作の記念ミュージアムがある。
氏がもっとも好きだった最高の場所に立っている。

空は青く、海は蒼く、
この美しき世界に、私たち人間は包まれて存在する、生々しい存在。

世の人よ、もっと穏やかにあれ。
海も空もそう言っている。
そんな気持ちになってくる。

映画以上に、現実の「ここ」は感動的だ。

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人生、不思議なことがあるもんだ。

本当に偶然か?と思うことが最近続いている。

たとえば、岐阜ではじまった仕事のひとつ。
あるSCのお手伝いをさせていただいているが、その施設名が
自分のニックネームと同じである。
「『マーサ』を『マーサ』が?ええ??まじで?」と。
もともと知らなかったのに、最近磁石のようにどちらからなのか
わからないが吸い付いてきた。
同じ名前なので愛着も湧いて、実に不思議だ。

それだけで終わらない。
ある仕事で、たまたま数分だけ出会った女社長さん。
同世代かちょっと下かな~と思った。
名刺交換をしていなければ、もう会うこともなかったかも
いれない。が、なぜか名刺交換をした。

そのあと、やりとりがはじまり、お会いすることになった。
そしていろいろ話していて、同郷も同郷、同じ町内の出身で
数歳年下の人であることが判明。
6歳違うため、学校で一緒になったことはないが、
間違いなく、私の生まれた町内の出身ということで、
知っている景色、近所の人たち、昔あった喫茶店などの記憶
が重なる。
仕事で出会う人と、そんなところで普通は共通の話題にならない。
しかも名古屋で出会った。岐阜で会ったわけではない。

とにかくその彼女は
小学校、中学校ともに後輩であったのだ・・。
さらに、自分がつくった「みのり愛」という曲を、
彼女は別の仕事で聴いたことがあり、知っていた。
「ええ?それをつくった人ですかああ」

同郷ということで、また言葉・コミュニケ―ションを仕事に
するという点での共通点から、
もしかしたら、新しいユニットが結成できるかもしれない。

この出会いは偶然だろうか?
ここんところ、そうとはいえない事象が多く、
何か不思議な偶然が現れるたびに、
「きたきたきた~」
という感覚になる。

生きていると、不思議なことがある。
やっぱり、何かに導かれているのだと思う。

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価値観が変わる?今更ながらの隠れユニクロ

多くの人が感じていることであるが、ユニクロはすごい。
世界にこのブランドは確かに通じる。
そこそこの品質で、そこそこのセンスで、手軽な価格で。
素材がいいから、着心地が良いから、買いやすいから、世代を超えて
国を超えて、みんな買うわけだ。ファストフードならずファストファッション
を普及させた立役者。

とはいえ、さすがにアウターからすべてこのブランドに身を包みたい
とは思ったことはないが、
インナーウェアは実は少し前から注目している。

でも、インナーといっても、全部ユニクロでいいとは思っていなかった。
とくに女性の体にとって、美しさを維持するためには・・・と若いときから
教えられたブラなどは、細かいサイズ表示があってこそのパーツだと
思っていた。ブラを付けるなら、サイズを細かく図るのが当たり前。
できれば専門店でプロにサイズを測ってもらい、自分に合うものを
選んでもらうというものだと思っていた。
アンダーバストがいくつの、何カップ。カップは浅め、深めといろいろ。
デザインによっても、その付け心地は違う。
高級ブラは、レースであったり刺繍であったり、見えないところにも
気を配るのが本当のおしゃれだ・・・と教えられてきた。
ではあるが、なんだかワイヤーが痛いとか、なんだかもっと楽な
下着はないものか?
と思っていた矢先のユニクロのブラ。
デザインもそんなに種類があるわけではない。
サイズも、SMLだ。へ?ブラにそんなサイズ表示でいいの?
気が付けばS+というサイズもあるが、それでもアバウト的な
感覚のサイズだ。

どうせ体に合わないだろうと思って試着してみる。
??意外といけるじゃん??しかも、安すぎる。
正直、これまで自分が知っていたブラの世界との価格の違いに
びっくりする。
試しに・・・と買ってみる。これまで買っていたブラが何枚
買える?という金額だ。これなら何枚かまとめて、と思って
しまう。ショーツとのペアでもまとめ買いするだろう。
そんな価格。一枚は安いが、まとめて買ってしまうので、
気がつけば客単価はそこそこいってしまう。

さて、買ったそのブラ、使ってみると、これまで専門店で購入して
いたものと、そんなに付け心地が見劣りするわけではない。
こんなもんだと思えば、これが良くなる感じだ。
これまでのブラの価値観は何だったのだ?とつくづく思えてしまう。

いやー、ブラはSMLで買う物ではなかったのに。
若い人たちは、昔のブラの買い方、選び方をもしかしたら
知らないかも?もうそういう細かい、面倒な選択はしないのかも。
ユニクロので十分と思っているのかもしれない。

もちろんカラダの美を考えたこだわりの設計上にある商品と、
大衆向けの商品。
同じブラでも、まったく違うステイタスではあるが、
でも、毎日つけるものだから・・と思うと、
ユニクロで十分。と思う人も多いのでは。

いやはや、今さらながら、私のなかでブラなるもの
についての価値観が揺らいだ・・というぐらい
ユニクロの商品力はすごい。

インナーを選択する女性も両極化しつつあるのかもしれない。

今さらながら、ユニクロはやっぱりすごい。
まさにインナーだけ愛用する、「隠れユニクロ」は
いたるところにいることだろう。

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