人を下げる発言に注意。

コミュニケーションの仕事をしていると、言葉のむつかしさや、重み、また一言の影響というものについて、つくづく考えさせられることがある。

先日、あるイベントで、司会者が演者のパフォーマンスを悪く言う、見方によってはその演者の心を傷つける発言をしている現場に出くわした。見方によっては、司会者はその場を盛り上げようと、演者をダシにして、笑いをとろうと思ったのかもしれないが・・。その発言は、聞く人によっては司会者の言葉に左右され、聴衆・観客の印象も左右され、演者のパフォーマンスの評価を下げる可能性もあるため、大変気になった。
司会者とか、ナビゲーターとか、講師とか、会話、言葉で仕事をする人は、決して演者をけなすような言い方をしてはいけない。もし十分に表現できていないことに気づいたり、個人的にそのパフォーマンスが自分の好みでなくても、「良かった」「素晴らしかった」とプラスの発言をして、演者も会場も盛り上がるように仕向けなくてはいけない。と私自身はいつも考えている。

どんな場でも、誰かを傷つけたりする発言は、絶対にしてはいけない。

人を上げることはあっても、絶対に下げてはいけない。

今回そのステージを見て、演者がかわいそうになった。そんなつもりでやったのと違うだろうし、司会者の発言と違う印象を自分はもったため、その司会者に不快感と疑念と、プロとしては少々怒りも・・。

下げてはいけない。絶対に上げること。

人は褒められて、認められて、成長するし、相手のことが好きになるし、応援しようという気持ちにお互いになるものだ。

さまざまな世の中でいう、「プロ」という人たちに接しつつ、それが本物かどうかの見極めもしている・・。自分ももちろんされてるだろう。
いずれにせよ、みんなをハッピーにできる人が、プロ!である。

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独立するオトコの笑顔。

久しぶりにお会いした紳士。
何年かお会いしないうちに、大きな人生の転機を自ら選択された。
長年つとめた会社を早期退職され、この6月から独立、起業開始されるとのこと。その前にお会いにきてくださったこと、個人事業主としての名刺をくださり
これからの仕事に賭ける思いを語ってくださった・・。

はじめての出会いからさまざまな出来事が頭をよぎった。
ずっとサラリーマンを続け、定年までその任務をまっとうされるものだと
思っていたが、そうではなかった。

組織の人間関係も、もう卒業とも言われた。

顔つきが変わっていた。
以前より大変若々しい。自分らしく自分を見せているというか、自分そのものが
自然に出ているという印象。

これまでやったことのないこと、初めてのことにどんどん挑戦していきたいとのこと。
年を重ねると初めてのことをするには勇気がいるという人もいるかもしれないが
これは素晴らしい。

これからは、これまでのキャリアを生かし、自分が生まれ住む、地域の活性化のために、という仕事をされるという話が胸を打つ。

「やっぱ、ここが好きなんですよね。」

この一言が印象的であった。

一つの仕事、サラリーマンという職業を定年まで続ける選択もあるが、何かきっかけがあれば、組織を飛び出すことは賛成だ。
年や経験を重ねていれば、何も考えないで・・ということもないだろうし。
大きな富や名声のためではなく、自分のための、そして自分の人生のしあげ、周囲への恩返し・・。これはとても自然な流れだと思う。素晴らしき選択。

とても、すがすがしく、自然体で。
ああ、いい男の生き方がある!と思った次第。

男もどんどん自分らしく好きなように生きてほしい。
オンナだけが・・・ではなく・・。

最近、自立し、自分らしく生きる人との出会いが増えている。

そして、笑顔の自然な男性に出会うことが多いのが、うれしい。


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「その分」で、プラス発想。

最近、何かあると、「その分、〇〇でがんばろう」と、心のチャンネルを切り替え、プラス発想で明日の方向を見据えるようにしている。
「その分」は自分をチカラを与えてくれる、元気の着火点だ。

たとえば、「○○をしてしまった」、「〇〇の才能がない」「あのときはよくなかったな・・・」・・など、いろんな反省や自己分析や・・・。自分と向き合いのはなかなかつらいときもあったりする。そんなときは、
「その分、こんなことができる」「その分、こんなことをがんばろう」といった塩梅で、自分を認め、励ます。
人間生きていれば、毎日いろんな事態と感情が入り混じる。何もない人はいない。でも、いちいちへこたれていられない。
「その分」の一言は、私にとって、元気が湧いてくるありがたい言葉。

これを心のなかで連呼することで、他人とつまらぬことで比較することもなくなり、自分は自分の道を行くぞ!と思うようになる。

「その分」何ができる?まだまだいける。人生は毎日、道半ば。どうせ生きるなら、「その分」で切り替えていこう。

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風薫るふるさとの町で、うちわ職人に出会う

わがふるさと岐阜市のもっとも美しい場所は、岐阜城がそびえる金華山のふもと、長良川の風物詩鵜飼いの船着き場と眼前の旅館街。最近はきれいな観光地として整備され、内外からの来客も増えている、「河原町」というエリア。
岐阜城の真下にあるので、空襲の影響もほとんど受けなかった場所で、昔ながらの面影が程よい感じに残されている。
岐阜に住んでいるときには、この町のことは知らなかった。一度、離れてこんな素晴らしいところが・・と発見し、知らなかった自分に驚いたほど。

久しぶりにその河原町を歩き、以前立ち寄ったことのある、うちわ屋の前を通り、懐かしくなり再び、店の前のうちわに目をやる。色とりどり、透かしも岐阜らしい水うちわも、種類大きさともに豊富であるが、ひとつひとつのうちわにこもった人肌も感じ、店先から離れられない。

鵜飼いも今月から始まり、また暑くなるので、うちわは季節商品として、またお土産としても喜ばれるため需要が高まる。鵜飼い船の船着き場からほど近い場所、旅館の前にあり、鵜飼い見学客は必ずこの店の前を通ることだろう。

そんな好立地のお店。風も強く、平日の午後でもあり、店先で団扇づくりをする職人さんが目に入った。仕事されているので、話しかけたらいけないなと思いつつ、つい、店頭のうちわについてあれこれ、聞いてしまう。

その職人さんは店主だ。そして、なんとこの団扇づくりをただ一人でされている。30年以上やっておられるとのこと。以前はお母さまも一緒に作業されていたが、高齢のため、今は店主おひとりががんばって、うちわを毎日作っておられる。

今は四代目。明治後半に、京都の団扇屋さんから、この地に出てこられての創業だそうだ。鵜飼いはその当時もあったはずであるが、鵜飼いの歴史とともに100年商いを続けておられるようだ。

その店主は、なんと私と同世代で、いろいろ共通点もあり、話が弾んだ。
話を聞きながら、この仕事をお父様亡きあと、受け継いで守っておられることに頭が下がり、胸がいっぱいになってきた。店主は話しながら、団扇づくりの手を止めない。ちょうど、話をしていてもできる工程のときにお邪魔したというラッキーなタイミングであったのだ。

ひとりでやる仕事。誰も助けてくれない。
10連休なんかあっても、休んでもその分かえってくるのは自分。

なかなか次の世代に残すことが難しいお仕事のようだ。工業製品が増えている今日、昔ながらの天然素材を提供する仲間の存続も厳しくなっているなかでの
モノづくりとのこと・・。

気づけば20分以上もお話しをお聞きしてしまい、貴重な時間を申し訳なかったと思いつつも、こうして大切に手作りの仕事を、静かにされている姿を見て、
心から尊敬の念が湧いてきた。
この人が作ったうちわで、風を仰ぎたいとも思った。

以前にも買っていたのだが、お話しをきいて、改めて岐阜には素晴らしい工芸品が存在していることを学び、応援しなくてはと心から思った。
あと何十年されるのか、わからないが、ずっとずっと応援したいと。

ひとりで仕事をする人だから、余計に共感したのだ・・。

メディアに取り上げられたことも数多いが、その影響も経験されており、
今は静かにペースを崩さずに・・・ということが大切なようだ。

どうぞ、お元気に鵜飼いシーズンを乗り切っていただきたい。

思い出すだけで、うちわを仰ぐだけで、長良川のいい風が吹いてくる。

ふるさとには、今だからうれしい出会いがある。


平日の静かな河原町
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小さな感動を届け続けたい、わが音楽の旅

地元での活動もいろいろ広げようと模索しながら約2年。
昨日の地元ホールホワイエでのリレーコンサート出演に続き、
今日は、恒例となってきた岐阜新聞でのロビーコンサート。
毎回、会場が満席になるほどの方にお出かけいただき、
楽しんでいただいている。おなじみの方も、新しい方も。新聞を見て来て
下さる方もおられたり、ぶらり中に入ってこられる方も・・・。
地元紙というメディアの「リアルな場」をお借りしながら、私自身が
誰かの感動メディアになれたらと思う。
それは大イベントでなくてよく、小さな活動でも、続けることで
届くこと、伝わることがあると思っている。

そういう意味では、まだまだ活動の場、拠点を増やしていきたい今日この頃。

ひとつひとつの出会いを大切に、そこで笑って、泣いて、ああよかったと
思っていただけるように、自分なりに工夫し続けたい。

何事も人のためではなく、自分の人生のため、自分の旅のため。

新たな人に出会うため、新たな場所を開拓する。それが自分がはじめているグラン・ルー流音楽の旅なのかもしれない。

本日、おいでいただける方に感謝を込めて。今日のテーマは「新時代に幸せを呼ぶ」~お客様参加型で楽しく進行したい。互いに、素敵な心の旅になるように。

以下の写真は、昨日開催のジャコバンピアノ音楽祭のリレーコンサート風景より


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平地も上り坂も、アンダンテ

音楽用語の話は前に触れた。車やお菓子、カフェの名前など、心地よさ、耳障り、シアワセ感などが想起できる言葉であるので、とても納得。私も何かネーミングを考えるときには、音楽用語は候補に入れたいと思っている。

先日はpoco a pocoと言葉について書いた。

今日はandante。アンダンテ。歩くような速さで。という意味。もともと速度を表す言葉であったが、17~18世紀ごろには音楽用語として使われた。おそらくそれ以後もよく使われているのではと思われる。その速さは1分間に四分音符♩が63~76ぐらい入るぐらいの速さを指す。メトロノームで試してみるとすぐわかる。

この歩くような速さがなかなか快適だ。
最近、歩くことを日々意識し、楽しんでいるが、そのときも速歩や強歩もいいが、ゆったり景色を楽しみながら、歩くというこのアンダンテが心地よいと思うように思えるようになった。できる限り、このアンダンテ感覚をもつことで、気持ちもリラックスできる。

しかし、まだまだ若いのだから、平地だけでなく、上り坂もらくらく歩きたい。
できれば、昇坂もアンダンテで鼻歌混じりで進みたい。

アンダンテは、ゆとりの人生におすすめのテンポ。

アルデンテも、もちろんいいけれど・・・。

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若者は「映え」から「ちる」へ

インスタグラムはもうアメリカでは数年以上前から話題になっていたが、日本ではこの2~3年か。猫も杓子もいっては大変失礼であるが、そのメディアの特性が活かせるかどうか吟味なく、とりあえず流行っているからととびつくお店や生活者もいるような、とにかく街でも店先でもインスタの文字を見ない日はない。

何を見てもいちいち写真を撮る今日。ネット上に膨大なデータがたまりたまって、世の中はデータの巨大なゴミ箱状態になっていないかと、ふと自分のスマホも確認する。

とりあえず、撮る。がすっかり生活習慣。いいか悪いか・・・。

さらに、自分が撮った写真を人に見てほしい人はFBやインスタにアップするのが生活習慣。とくに写真のみならば、後者を多用する人が多いだろう。
見た目きれいなスィーツ、変わったファッション、インパクトある現場・・
「インスタ映え」という言葉もすでに古くなりつつあると思っていたが、やはり若い人の間でその傾向があるとのこと。
最近は人のためではなく、自分の癒しのため、自分が好きだから・・ということで写真を撮り、それを眺めるのが良いらしい。
もともと、そういうものじゃないの?と思うが、改めてSNS時代に生まれた若い人たちには、この自分のためのさりげない1枚の価値が最近、新しいと思われているようだ。
その現象を「ちる」と呼ぶそうで、これは「映え」の対局にある言葉だそう。
CHILL OUT という言葉から来たようであるが、落ち着くという意味だそう。人目がどうではなく、自分が好きな一枚でリラックスする。今、この感覚で写真撮影をするのがクールらしい。

SNS疲れもあるのだろう。

日本人はみんながやるからやる。という選択をとる国民。でも、このみんなの中で周囲に合わせてがんばって生き続けるのは難しい。とくにSNSと切り離せない若者にとってはとくにそう感じる人もいることだろう。

大人になってくると、それがわかるのか?いや、大人でも今だに「映え」を目指す人もいる。

そこで目立たなくてもいいんだけど。

スマホの登場で、人は簡単に自分が主役を主張できる時代になった。しかし、その実態は??よく考えて、ツールの機能と向かい合いたい。

拡販もつながりも・・・そろそろ もっと深い、シンプルな世界に向かわない?

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突き抜ける生き方を。

古い映像に出会った。20年ほど前のものであるが、スペインの伝統武術あるいは芸術である闘牛。その牛を操る、数少ない女性闘牛士の存在。
マリパスという女性だそう。当時、オンナには絶対無理といわれた仕事に対し、彼女はひたむきに努力し、その資格を得ていく。当初同じ道を目指していた兄弟たちを乗り越え、結果、その家では彼女だけが闘牛士になる。尊敬の念を持ち、彼女の仕事を支え、活躍する彼女を応援する男性たちも時間をかけて多くなってきた。闘牛士は勝負に勝って賞金を得て、それを関係者に渡す。さまざまな協力者たちの生活も闘牛士の力量にかかっている。勝たねば食べていけないという過酷な仕事・・。
そういえば、最近は女性の騎手が日本でも話題になっているが、、。

いろんな職業で、当初オンナには無理と言われた世界に女性たちが進出している。最初にその壁を突き抜けるパワーには、本当に頭が下がる。

男女の壁は、なかなかなくならない。これは、もしかしたら、永遠になくならない。もしかしたら、一番の敵という見方があるのかもしれない。寂しいことであるが。
そのさもしい現実を越えて、性差を乗り越えて、やり抜いている女性たちは立派だと思う。もちろんその逆も然り。

つまらない縛り、既成概念のままでは、世の中は変わらない。
性に限らず、年齢、さまざまな障害も同じだ。自分がもっているマイナス要因を乗り越えて、立派に目的を達成する意気込み、生き方、その努力、プロセスこそが心うつ。

会うたびに、「突き抜けてくださいよ」と励ましてくれる友がいる。

うーん、まだまだその域にいっていないが、この女性闘牛士の素敵な活躍を見て、カルメンのメロディとともに、闘うのは結局自分なのだ。という結論が浮かぶ。突き抜けたときに、新たな世界ができる。
マリパス、今も現役のようだ、動物愛護の流れ、まだまだ変わらぬ男性社会の闘牛の世界で生涯の仕事を頑張っているらしい。勇気付けられる。いつか、一度遭ってみたい勇敢な女性だ。

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フリなし人生がいい!

役者という仕事は、自分と違う人間になりきって、ひとつの物語の中を生きる、それを観客に見てもらうという仕事。
やりがいはあるし、とても難しい仕事で、周囲の役者さんたちを見て、その仕事に向かう努力には、本当に感心しきり・・。

一方、フリをするというのはまったく違う。

実際とは違う自分を演じるということでは一見同じかもしれないが、やはり違う。たとえば、言いたいことがあるのに、

本当は怒っているのに、そうでもない顔をして、喧嘩にならないようにする場合、あるいは体調が悪いけれど、そうも言っていられないので元気のふりをしてなんとか仕事もやり通す、あるいは、本当は反対意見だけれど、立場上やむを得ず賛成意見のようなフリをして、その場をしのぐ、知らないくせに知っているフリして・・・ということはよくありそうだ。


そう、フリというのは、どの場しのぎ、対処療法のひとつにすぎず、またこれはちょっと疲れる。
できるかぎり、日々、フリをせず、素直に自分のありのままで生きられたらいい。でも、この競争社会では、ときにはそうしないとやっていけない。
フリをし続けると、本当に自分が見えなくなったり、あとでつじつまが合わなくなるかも・・。

できる限り、自分を生きるときは素のままで・・そういう自分も時にはお腹が痛くても、笑って話していることもあるのだが・・。

まあ、ウソなく、自然体でいくとしよう。

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自動〇〇に、感動するか?

すでにAIの世界は、運転の世界にも、介護やの場面でも、日々の家事、製造や流通の現場でもお目見えして、人手不足の解消や、安心安全な世の中への対応にいろいろ貢献し始めているようである。
そして、このたびはアメリカの大学の記念行事で、ロボットが楽器演奏をしたというニュース。
すでに公的空間に設置されるピアノには、自動演奏の装置もあり、無人演奏は別に目新しくないが、あくまでもBGMとしての存在・・・。
わざわざロボットが楽器演奏するのを、お金を払って聴きに行く・・・はまさかしないだろうと思っている。

音楽には、技術と感性両者の表現が必要だ。技術的にはロボットはうまく演奏するだろう。間違えることもなく、安定したテンポで粒ぞろいの音で・・。でも、音楽は生の人間が心を込めて演奏するからこそ、感動する。ときには間違えるのも人間が演奏するからで、それもありだ。
また、人によって時によって、演奏が違って聴こえる。これが演奏にはとても必要なこと。

もし、将来、福祉施設に介護ロボットが老人の世話をし、演奏ロボットが音楽療法だ・・と演奏をしてくれたとしても、成果は???。

生身の人間が生身で演奏している姿に人は心動かされる。

もちろん音はないよりあった方がいい。

でも、自動演奏がメインの社会になることはないし、あってほしくない。

自動ドア、自動運転、自動接客、・・・・。
どこまでいくのかな。正直、この世界の発展については、
あまりうれしいと思っていないが・・・。
お世話にならないようにできる限り、末永く、自分周りのことは、自力でできるように鍛えておきたい。

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