二言目には「関西ですか~??」

新潟の人との会話で、よくある場面。
名刺交換をしてから、1分もしないうちに、無口に見える新潟の方が
私の顔を見て、
「関西の人、ですかあ~」
と言われる。顔を覗き込むように言われるのが、印象的だ。

関西出身ではないので、
「いえ、岐阜生まれですわ~。ま、そのあと京都で長く住んだのと
子どもの頃から、吉本新喜劇で育ったので、ま、関西人みたいなもんですわ」
と答えると、
「へえ、そうなんだ~」
という顔をされる。

新潟の人にとっては、佐渡が関西文化の影響を受けていることもあるかも
しれないが、関西は、東京とは違う、特別なところ?なのかもしれない。
東京はビジネスの憧れ、東京に出て成功する・・・。一方、関西は
異文化の町、ちょっと珍しい、でも実は好き・・という感覚なのかも
しれない。

ということで、関西人というイメージがあるようなので、
そのままでいくことにする。

人って、会話のなかで二言目に
「東京ですか~?」
とはなかなかならないし、大都会という別世界のイメージもあるかも
しれない。
一方、
「関西人ですか~?」
は、台湾人が
「日本人ですか~?」
と聞くのに、ちょっと似ている気がする。
いずれにせよ、聞かれるということは、
相手に興味をもっている
ということだと、この問いかけ、とてもありがたく思っている、

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「気楽」をもっと。

父が運転免許を返納してから、足が痛いと言い始めてから
「俺の人生は、もうおしまいや~」
というのを聞いてから、
返納をすすめた責任というか、悪いことをしたような気持ちが入り混じって
なんとか父が楽しむこと、父が行けるところをもっと増やせないかと
思ってきた。
職人であったため、人との交流がそんなに得意ではないため、
自分からは新しい世界に入っていかない。
いろんな人に教えていただき、先日知った包括支援センターに足を運び
今の父に合う支援内容を確認し、
認知症予防のために、デイサービスを利用できるようにした。

そして、まずはお試し。
その施設が気に入らなければ、どうしようか・・。
と思ったが、意外にも気に入ったようで、
「通わなしょうがないやないか~」
という父らしい、ネガティブ的な物言い、でも実は喜んでいる
という反応で、安堵。
なんとか、週に2回、これから通ってくれそうだ。

母は多く喜び、多く怒る。喜怒哀楽激しい人生。
父にも、もっと「喜楽」を体験してほしい。
83歳になれば、十分いっぱい喜怒哀楽を経験してきただろうが、
体力が落ち、自信がなくなってきている今、
小さなことでよいから、「喜楽」をもっと届けたい。

そんななか、父が通える場所が増えたことは
本当にありがたい。

改めて福祉関係のお仕事をされている方に感謝したい。

父の笑顔を増やす。私にできるささやかな親孝行・・・と
勝手に思っている。

そういえば、父が毎日通っている喫茶店は「きらく」。
・・・。無意識に選んでいるのだろうか?

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GOGO WEST!55歳に向けての最高のギフト

54歳の締めの仕事は、1週間後のディナーショーにつづき、山口での一大イベントへの出演。
そう、サビエル大聖堂での聖歌奉納としての演奏と、それに続く、クリスマス市キックオフイベント
祝賀祭への出演。
1年前、まさに53歳最後の日に、初めてたずねた山口市のフランシスコザビエル大聖堂。
「今尾さん、ここでコンサートできたらいいっすよね。」
と背中を押してくれた山口市出身の青年実業家。
その後、彼が私の背中を押す以上に、自らが、一生懸命動いてくださって・・・。

そして いよいよ12月1日は山口デビュー。そしてサビエルに歌を捧げることができる。
サビエルゆかりの街で、なんと教会で、サビエルのことを書いた曲を大勢の人の前で
歌えるなんて・・・。
こんな贈りものがあるだろうか。

55歳に向かって、GOGO WESTだ。

約450年前ザビエルが足を踏み入れたその地に、彼への思いを届けられるとは・・・・。
ギフトとは、生きる勇気をいただくことなのかもしれない。
チャンスというギフトは、最高だ。

山口市クリスマス市サイト

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起業する人を心から応援する!

毎月、何名かの起業された方にお会いする機会をいただく。
自分で、自分の使命、自分の夢に向かって
起業される人は、本当に素晴らしい。
自分は起業というほどでもない脱サラであったが、
お会いする企業さんはみんな素晴らしい。

どの人に会っても、その人がうまくいくようにと
心から声援を送りたくなる。

立派な組織に就職した人も、自分の夢を捨てきれずに
組織を離れ、自分の事業を興す。
なぜか、そういう人とは、心根の会話ができる。
もちろん、会社を守るために、挑戦をする人も同じだ、

志を持ってがんばる人を、一生応援し続ける。
社会を内側から動かすのは、権力をもっている人ではなく、
志をもって、しっかり地に根を張って生きていこうとしている人達だ。

一度しかない人生。
挑戦する人を、心から応援したい。
そして、自分自身も、挑戦を続けたい。

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毎日新たな出会いをひとつ以上。

毎日、外に出れば、新たな出会い。
これが最近、楽しくて仕方ない。
仕事での出会いが、生涯のおつきあいになることもあり・・。
東京で時間で追われて、目先の話で時間を過ごすだけでなく、
地方ではちょっとゆとりの会話や、その人の背景が見えるような会話にも
なることが多い。
へえ、こういうところにこういう人が、こういうわけでここで働いているんだ。
この仕事がこんな風に好きなんだ~。やりがいなんだ~。
と、新たな人に出会うと、いつしか、取材をしているような感じで、ついつい
聞きこんでしまう。
時にはどこにもぶつけることができない怒りをぶちまけてくる方も
おられるが、しっかり聞かせてもらい、共感を示すことで、やがて
がんばるしかないか~と前向きになられ、最後は握手で別れることになる。
ああ、来てよかった、出会ってよかったということが、外に出れば毎日ある。
なんだか、出会いが楽しくて仕方ない。
また、人生は観覧車という考えも、今だに目新しく受け止めてもらえる。
まだまだ世界は広い。

毎日外に出て、新たな出会いをもっと、もっと。
どんな人も、それぞれの人生を背負って生きている。
みんな頑張っている、自分ももっと・・・と
勇気や元気をもらえる毎日・・・。ほんとうに幸せだ。
待っていては何もない。自分から出かけていくことだ。
毎日、ひとつ新たな出会いがあれば、それだけで生きている価値がある。

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アメリカを見習いたい点

隣の大国の中間選挙。日本でも盛り上がった。
自分の国のことではないのに?経済への影響が気になるからだろう。
いいも悪いも、大統領のおかげ?で、高い関心が集まった選挙戦。
私自身も、どうなるか?と気になっていた。
結果は・・・。
民主党が健闘した。
今後のゆくえは、もちろん気になる。
とにかく世界があるべき方向へ、平和と自由に向かって進めばよいと
思う。自分(国)第一主義は、感心できない。

ここで、今回つくづく思ったことは、
アメリカには二大政党があって良いということ。
戦いになる。ちゃんと戦いになる。
日本ではこんな状況にはならない。

それから、女性が活躍できる社会だということ。
そして、若者も選挙に動いた。
ここも、見習うべき点だ。

対立軸がちゃんとあるということが、そのバランスが社会の発展には重要だ。
日本は、今は勝負にもならない・・・。
フェアに見えない、見えない力で、一党だけが権力をふるっている。

アメリカの今後に期待したい。
移民の人たちのゆくえも、気になる。

アメリカは、やっぱり民主主義の国であってほしい。
そして、日本も遅れを早く取り戻さねば・・。

アメリカを見ていて、久しぶりにほっとした。

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車社会で原始人!

京都から東京での都会暮らしでは、自分の足と公共交通機関で動くというのが基本であり
歩くのも全然苦にならず。東京駅から神楽坂までもよく歩いたし、一日一万歩はざらで、
二万歩歩くと良く歩いたな~という感覚。
20代・30代はNYやパリに行けば、歩かにゃそんそん!と朝暗いうりにホテルを出て
一日10時間以上歩き続け、貪欲に町をリサーチしていた・・というわが青春時代。
歩きすぎると、足の裏が熱って、靴の底がすり減っていくような感覚になったこともあった。
疲れ果てて、ホテルに戻って・・・というパターン。
あるとき、パリ郊外にあるナポレオンの夫人ジョセフィーヌの住まいであった宮殿まで
行ったこともないし、当時ナビもないのに、地図片手に地下鉄とバスを乗り継ぎ、歩き歩いてやっと到着。。。
パリ市内から、何時間もかかった・・。なんて大変非効率な
経験もあり、とにかく「足で稼ぐ」が自分のモットー。そのプロセスとドキドキ感が魅力である。
自分の足で到着ときの感激は、たまらない!

とはいえ、現実の世界に戻ると、とくに新潟や岐阜などでは、車社会である。
ちょっとどこかへ歩いていくと言うと、皆さんに「はー?」「車、のってきゃー」と、
憐れみをもって言われてしまう。
そしてよくお世話になる。とくに雪国の人には車に乗せてもらえたから、10何年も
仕事ができたようなものだ。なんせ、「足」がないと、確かに不便ではある。
本当に皆さんにお世話になってきた。

車は便利。でも、私は乗らないと決めてきた。18歳になったら免許!とみんなが自動車学校へ
行く習慣に逆らった。なんで?車なんかなくてもいいじゃん・・という感じで・・。
自分に合っていないのもある、どうせなら、運転手を雇えるぐらいまで頑張ればよい。
とも思った。そうはなっていないが・・。いずれにせよ、生涯 運転をする気がないと
決めている。
だから、このままでいい。足を鍛えて、いくつになってもどんどん歩きたい。
年老いて、免許返納して途方に暮れるより、今から車に頼らないで生きていく術を
持っている方が良い。
と思っているが、車社会では、私は使えないおばさんになる。
でも、その分、人より早く出発して、
車での移動ではないことが遅刻の原因にならないよう、時間通り到着できるようにと常に心掛ける。

原始人だ。亀かもしれない。もしくは東海道を歩いた旅人のようだ。それがいい。道中を楽しむのだ。
いい、この感覚で、町を見ながら世界を見ながら歌いながら歩くのが、自分にとっての効率が
良い。

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もし、あなたが私が認知症になっても・・

認知症と戦う夫婦のドキュメンタリーを見た。
旦那さんが、認知症になった奥さまのお世話をされ続け、そして愛妻に手紙を
書き続ける物語だ。
手紙を読むことができない奥さまに向かって旦那さんは2000通に近い手紙を
書き続けている。奥さまに語り続けている。
おそらく、その語りかけにより、今はまともな会話ができない奥さまとの
元気だったころの会話を取り戻しておられるのだろう。
旦那さまは、毎日奥さまの世話をされる。食事から排泄から・・。
まるで子供をあやすように、子供の世話をするように・・。
そして散歩に出かける。
元気だったころの奥さまは、旦那さんと手をつなぐことは恥ずかしいと
絶対応じなかったが、今は、すすんで手をさしのべ、ふたりは手をつないで
散歩をする。旦那さんは、この散歩時間が今は一番楽しいと感じておられる
とのこと・・。
認知症は良くなることが難しい病気のようで、症状は悪化する。
以前は、旦那さんの名前をしっかり呼ぶことができたのに、今はもう
それもかなわなくなった、旦那さんを「お母さん」と笑顔で呼ぶそうで・・。
そのうち、自分の存在すらも忘れていくのではないかと旦那さまは
つぶやく・・。

このドキュメンタリーは涙なしでは見ることができない。
いつ、自分が相手がそうなるかもしれないから。
決して他人事ではない。
そうなったら、そうなったで仕方ない。もちろんすべきことはするのだろう。
でも、そんな日はできれば来ない方がいい。

旦那さんは、今となっては愛妻のお世話をする生活、
一緒にいる時間が少しでも長く続いてほしいと
の気持ちでその思いを、手紙にも綴っておられる。

愛とは・・。
夫婦とは・・。

やっぱり元気なうちから、悔いないように感謝して、大切にして
いかないと・・。
わからなくなってから、後悔しないように・・。

人生は永遠ではないが、愛は永遠。
そうありたい。
と、その話を、相方にする。
「しょうがないじゃん」
とひとこと。

人はそう言い、そう思いながら、
その時そのときで、現実を
受け止め、受け入れて生きていくのだろう。

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そんなに売りたいの?いつまで買いたいの?

今はテレビも、ネットも24時間、買い物情報が満載だ。
とくにテレビでは、健康・美容・長寿に関する情報が多い。
アメリカでも、ネットをしない高齢者はテレビ漬けになっており、その人
向けの通販番組は健闘していると聞いたことがあったが、日本もその流れにある。
家にじっとテレビ見て健康器具買うよりも、外を歩けばいいのにと思うが・・。
またパソコンを開けば、過去の閲覧歴により自分が興味ありそうと勝手に向こうが
思う情報が飛び込んでくる。はっきりいって、うざい!

とにかく、今、私たちは
寝ても覚めても、広告に囲まれて暮らしている。
みんな、それだけ売ろうと必死。買おう、買ってみようかと思ってしまう
瞬間を狙っている。

そして年末に向けて、クリスマスに向けて、この季節は一年のなかでも特に、
消費意欲をかきたてるプロモーションがいっぱい。

子どもの頃は、クリスマスもお正月も一年を代表する一大行事であった。
子ども会でもらえる、バタークリームの小さいケーキが本当にうれしかったことを
今も思い出す。

今はいつでも美味しいものを食べ、欲しいものを手に入れることができる
生活になっているため、昔よりハレ感はなくなっているようだ。
でも、それでもやっぱり楽しみたい、特別な日という感覚は今も変わらないようだ。
無理やりギフトという感じでもある。

24時間いつでも買える時代。
これはいったいなんだろう。
常に売るためのあくなき仕掛け。情報発信。それを受信し、行動する生活者。
そんなに心動かされるものがあるのだろうか?
買い物っていつまでもしたいだろうか?

何かからの逃避なのかもしれないが。
買い物しか楽しみがない人も多いのかもしれないが。

一見豊かなこの社会に、つまらなさ、想像力の貧しさを
感じてしまう。

いつまで所有、消費を核に生きていくのだろう。
最期までモノを求めるのか。
今改めて注目しておきたい。

ものを手に入れることも、クリックひとつの消費ではなく、
素敵な思い出になるようなそんな経験がいい。

昔はそうであった。

ゴミをこれ以上増やさない行動、暮らしを・・。

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瞑想、座禅どんなスタイルで?

一日の短いひとときでも、心静かに自分と向き合うことは
とても大切である。
心豊かに、深く生きるために、ぜひ毎日、自分との対話時間を
もちたいものだ。

知り合いのクリスチャンの方は、毎日、瞑想をしているという。
確かに彼は、いつも落ち着き、ゆとりがあり、世の中に対しても
どこか俯瞰した見方をする、そんな力も備わっており、私にとっては
気高き宗教者的な感じがする尊敬すべき方だ。

そして、最近再会した、禅僧との会話で、座禅の話が出たが、
目をつむって瞑想するのが、ヨガなどをする人の瞑想。
一方、座禅は本来は、目を開けていてもできるものだと聞き、
驚いた。
目を見開いての座禅とは?知らなかった。
たとえば、室内のどこかで座禅を組んでいて、突然雨が降ってきた。
そうしたら、すみやかに洗濯ものを取り入れたり、雨戸を閉めて
また座禅に戻る。ということができるのも座禅のスタイルのひとつだそうだ。
つまり、世の中と遮断するのではなく、世の中の動きも見据えながら
自分と対話ができる。この対応力こそが、本来大切なのだ・・そうだ。
納得できるような気がする。

また、そうこうしていたら、Eテレにてタイで出家された、日本人僧侶が
手動座禅の話をされていた。
手を動かしながら、そのひとつひとつのアクションを感じ、自分が
今生きていることを感じながら、自分と向き合うスタイルだそうだ。
この手法、初めて知った。

ということで、座禅にもいろんな手法がある。

いろんな形が合ってよい。自分がやりやすい、
気づきやすいスタイルが良いのだろう。
世の中がどんどん狭くなり、生きづらい面も多い。

だからこそ、自らがしっかり生きるために、
自分に向き合う時間を大切にしたい。
そして、無になる状態になる。宇宙と一体になる。
そんな安らかなひとときが得られると、
その度ごとに、成長できるのだろう。

まさに追われる生活から脱するために。
大切にしたいひとときだ。

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