ほんとうに、アウフヘーベンするのか?

かのヘーゲルが残した弁証法「AUFHEBEN」という考え方。日本語で「止揚」という。
歴史はまさにこの止揚する。異質なものを受け入れ、すべての経験を受け入れ、どんどん発展していく
という考え方。
たとえ、混沌という状態であっても、いずれは時間とともに、いい結果が得られるという
長期的な視点ではあるが、前向きな考え方だ。
私はこのアウフヘーベンという言葉が20代から好きで、音楽の形式でいくと1,2,3、
1,2、3と進んでいくので、メジャーなワルツだと思っていたし、
わがグラン・ルーも弁証法的な観覧車になりたいと思っていた。
そう、単にくるくる回るのではなく、らせんのように、周りながら上昇していくイメージだ。
ある政治家は、最近この言葉を使った。
しかし、行動はそのとおりではなく、単に言葉のかっこよさとか、思いつきで使ったのか
とにかくその言葉は似合わなかった。とても残念だ。

それに関連して、最近、親しい人とこのアウフヘーベンについて語り合う。
「これまでの歴史だったら、混沌があっても、次の明るい時代が来たし、希望も
もてたけれど、今のこの状態だと、世界にはもう破滅しかないのかも・・・。」
とても残念であるが、その見方にはとても共感している。

少なくても、社会全体が良くなろうと思えば、ひとりひとりが自分のことだけを
考えるのではなく、周囲を大切にしなければ、思いやりや気遣いが大切だ。
このことなしに、個人主義、ご都合主義、自分さえよければ・・の人が
増えていく以上、社会は破滅に向かうのだと思う。
アウフヘーベンという言葉が死語にならないように、
ベートーベンやモーツアルトが今日も人々の心を揺さぶったり、落ち着かせたりするように
過去の哲学者たちが遺した考え方を大切に現代に生かすようにしなければ・・。

アウフヘーベンも、まず自分からだ。
謙虚に、感謝の気持ちをもちながら、ポジティブに挑戦を続けていくこと。
まずは自分から。

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働き者のトシ子さん・・・。

「うちのトシ子が~」「うちのトシコも~」
長年お世話になっている方との会話で時折、こんなやりとりが
今となっては懐かしい。
その方のお母様もとしこさん。そしてわが母の名も「としこ」であるから
お会いしたことはないけれど、その方のお母様に勝手に親近感をもって
いた。
どうやら、その二人のとしこさんの共通点は、気丈で働き者。
子供がそばにいなくても、しっかり元気にがんばっている。
とにかくよく動き、よく人の面倒を見る・・・。
元気印のおかあちゃん。
がんばっているし、強気だけれど、本当は子供に帰ってきてほしいと
思っている・・・(と思える・・)

その知人のお母さまとしこさん・・・。
お気の毒に、東日本大震災で被災され、悲しい経験をなさった。
それから・・・いろいろご苦労があった。
震災が人生を変えた・・と間接的にお聞きして、心が痛いこともあった・・。
東北の話題に接するとき、時折、お会いしたことのない、としこさんの
ことを思い出すもあった・・。

出張先、仕事が終わって、スマホを見ると
メッセージが入っている。
「うちの母トシコが今朝・・・。87歳の生涯でした」
一瞬、見間違えたか、自分の親が亡くなったのかとも思うほどに
あわてた。
あ、Sさんのお母様が・・・。そうか・・。

お会いしたことがないのに、歩きながら涙があふれた。
旦那さん、息子さんはどんなお気持ちか‥・・・と。

トシコさん。働き者のお母さん。
心からご冥福を祈ります。

うちのトシコさんもいずれ・・・かなと思うとたまらないが
避けては通れない。
生きることは・・・切ない。

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今さらながら、コミュニケーションの原点へ。

人はいつから、うつむくことが多くなったのか。
手のひらの中の、自分の狭い世界と対話することを
好むようになったのか。
顔を上げれば、目の前に、素晴らしい世界があるというのに。

コミュニケーションの原点は、人と向かい、人と交わり、人とともに生きる。
ということだと思う。
今は、その「人」はどこに?
目の前の人ではなく、手のひらのなかの見えない人とやりとりすることに
違和感を感じない人が増えている。

人とつきあうことは、生身同士であり、ときに面倒で ときに腹も立つ
かもしれないが、生身だからこそ、関係が修復できたり、もっと仲良くなったり
できる。顔の見えない言葉は、本来、通じ合うのが難しいはずだ。

そんななか、最近社会を驚かせている猟奇事件。
SNSで知り合い、短時間で連続殺人まで成し遂げてしまった犯人。
この人物のことを、ある評論家は
「すごいコミュニケーション力の持ち主だ」
と言っていたが、その言葉には複雑な思いがある。
ある意味当たっているが、だからいいわけでは、決してない!

コミュニケーションはそんなところで使うべきではない。
コミュニケーションは人が幸せに生きるために、助け合うために
ある人間だけに与えられた伝達という行為なのだ。

いま、社会全体がコミュニケーションの意味を間違って
解釈しているむきもある。

人間として、ちゃんと生きる。
人間として、ちゃんと通じ合える関係をつくる。
この基本を今一度、問い直したい。

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易い方に流されることなかれ。

小手先で生きてはいけない。
もっと道を究めるための努力をしなければならない。

この社会は、とりあえず・・の選択や誘惑が多く。
簡単に用意された選択肢を選ぶことで、
「とりあえず」生きることもできる。
この「とりあえず」ばかりやっていたら、
人生はどうなるのかな。
と最近思うことがある。
目の前のにんじん、すぐ手が届く簡単なもの
を求めることに慣れるのではなく、
たとえ今はしんどくても、自分の目指す道を
きわめていく方が、人生としては生きごたえがある。

情報が多すぎて、それこそ、とりあえず
困ったらリサーチ、気になったらリサーチが
できてしまうが、
このこと自体に慣れてしまうことも危険だ。

自分の人生、楽しいとラクをするはちょっと違う。
真に楽しい道は、苦労もあるからその満足感を
味わうことができるはず。

易き方向に流され、やすい人間にならないように。
焦りそうになるときほど、そのことを
心に留めつづけたい。

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「しか、ない」より「も、ある」が断然幸せ。

よくコップに入った1杯の水を例えに、物事の価値観について
言われるが、
「こんな少ししか、入っていない」
「こんなにも、入っている」
どちらの目で物事を見ることができるかにより、
自分自身の幸せ度が変わる。
人間は、欲深い動物だから、
「たった、これだけ?」
「これしか、ないの?」
と思いがちであるが、それよりも、
「こんなにある」(十分である)
という目線をもつ方が、明らかに幸せだ。

仕事のさまざまな面で、目標数値をもって臨むことは
とても重要ではあるが、いつもそこからばかり現状を見ていると
しんどくなることもある。

最終的には
現実をまっすぐに見つめ、
こんなにある、こんなにできた、こんなにある。
と、この一点に感謝のきもちを傾けるのが
気持ちいい。

ないものねだりよりも、今あるこの状況を
自分へのギフトとして有難く受け止め、
そこでベストを尽くそう。
と思えば、心がとても軽く、すっきりする。

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ともに歩き、新たな楽しみをみつける。

免許返納した父を元気づけたいと思う今日この頃。
しかし、本人にしてみれば・・・他人が思う以上に、
この切り替えは大変だと思う。
週に一度ぐらい、たとえ1時間でも2時間でも
父と二人で一緒に過ごすことを心がけようと
決めた。

今週行った岐阜新聞でのミニコンサートには
毎回両親も訪れる。今回からはご近所さんの
車に乗せてもらっての参加。
帰りは父と二人で移動する。
40年ぶりに一緒に岐阜の懐かしき街並みを歩き、
バスに乗る。
その昔、父が送迎してくれた道だ。
いつも車で通っていた馴染みの道ではある。
クルマからは見えなかった、歩道の風景を
楽しみ、ゆっくり歩く。
シャッターが下りている店のことを
「昔はここは・・・だった」と言いながら、
「あれ?ここ、こんなだったか」
すべてたわいもない会話。それが結構新鮮だ。
「もう、疲れたわ」
バス停1つ分歩き、バスに乗る。
路線バスにも慣れていない父が行政から
支給されたICカードを初めて使う。
帰りは、駅のスーパーで、夕食の食材探しに
つきあう。
今日は何を食べたい?明日は?
父はトン汁をつくるといって、豚肉を買う。
自炊しているなら、問題ない。と父の
毎日の暮らしを知りながら、安堵の気持ち。
自分で好きなものを選び、自分でつくれるのは
元気な証拠だ。
ささやかなお買い物であるが、売り場を楽しんで
見ている父を見て、昔を思い出す。
買い物後、一緒に駅のカフェでコーヒーを飲んで
たわいもない話をして、駅で別れる。

時代とともに、年齢とともに暮らしが変わる。
生活パターンも変わる。
いつも後ろ向きにならないように、新たな発見を
楽しめるようにと思う。

もっと歩きやすくなるように、折り畳み用の
ステッキ買ってあげようかな。

これまで会話が少なかった分、
これまで一緒にいる時間が少なかった分、
少しだけ近づいて、心は寄り添い、自立を促して・・・。

明日はどうなるかわからないから、
今を大切に。
一緒に歩こう。一緒にバスに、電車に乗ろう。
私自身が運転しないのが、申し訳ないが
その分、違う世界を一緒にみたいと思う。

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心揺さぶられるライブとの出会い。

ロシア文化に精通されている歌手ヤーマチカさん。本名は山之内 重美さん。もともと
ある会合にてお会いし、それがもう20年以上前のことになる。

そこから、キレそうで切れない赤い糸?のように、ずっとご縁が続いており
東京でのライブにもおいでいただき、私も伺った。

そして、今回は故郷京都でのライブと聴き、伺った。
なぜ行こうと思うのか。私だけでなく、他のお客様は?

いろんな理由がありそうであるが、私にとっては同じ表現者として
考えさせられることがあまりに多く、いただくヒントも多く・・。
ロシアの歴史や文化についての「語り」をお聞きしながら、演奏を聴くという
他のミュージシャンにはない独自性があるのがとても良い。
まさしく、オンリーワンだ。
私より年齢も10歳以上年長であるが、とてもフレッシュで、パワフルで・・。
そして麗しい。
その理由もステージを観ていたらわかる。

この方のステージからは、「伝えなければ」という強いメッセージを感じる、
単に歌が上手いとか、声がきれいということではなく、
ひとつひとつの歌詞に深い、熱い思いが強く込められているのを感じる。

ロシア語の勉強もされ、訳詞なども手掛けておられるので、言葉を
とても大切にされているのだと思う。
そして、彼女が歌い始めると目の前には、その時代のロシアの社会の様が
浮かんでくるのだ。
情景を見えるように伝えているのも、素晴らしい。

しかし、もともとなんでロシアか?ここはもっとお聞きしたいところであるが、
自分が選んだロシアという国とそこに生きる人たちを、音楽という手段を通じ
伝えることで、今ここに生きている私たちに、強いメッセージを与えているのだ。

今回のライブのテーマは

ロシア浪漫 Vol 14
ロシア革命百年の光と影

~制度は変えられても、人間の本性を変えることは難しいのさ~

という重厚なテーマ。
このことを、現代に当てはめてみようという意図ではないかと感じた。

とにかく勉強になり、右脳と左脳の両方が喜ぶ稀有なステージ。

何度も涙をハンカチで拭いながら、拝聴した。

自分のテーマは?ロシアではないけれど??
そのことを考え続けながら、帰路についた。

素晴らしい文化アーチスト、ヤーマチカさんの
ますますのご活躍を心から祈っている。

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何を集め続けるか?

いろんなコレクションがある。
昔、切手やコインを集めるという趣味もあった。
町のデパートには、その売り場もあったと記憶する。
ある人は、「ぼくはね、ふくろうに関するものを集めているんだ」
と言われていたのを思い出す。縁起がいいらしい。なるほどと
思い、その後はふくろうの時計とか置物を見ると、その人を
思い出す。懐かしい感じがする。

私の場合は?
まず、集めているというか、捨てられないのは、変わった紙袋など。
デザインや素材が気に入ると、ついコレクションに・・・。
気が付けば、引っ越しのときにも悩むほどの量のペーパーバッグ類。
これはたぶん、物自体のコレクションというよりは、その紙袋を
入手した店や時間、町の思い出になっているのだ。
あとは、ポストカード。絵葉書をこれは、かなり集めてきた。
気が付けばボストンバック1個以上ある。
これも、どの町を歩き、どの美術館に行き・・・1枚のはがきから
自分の軌跡が見えてくるというものだ。
これは捨てられない。かなり小銭を使った。
と、ここまではモノのコレクション。

モノで集めるだけでなく、先に書いたふくろうのように、
「テーマでのコレクション」はその人の人生を表す。
私の場合は、やはり「観覧車」に関するもの。
ステーショナリーから雑貨小物・・。
ときにショーで使うこともあるが、観覧車ときけば飛んでいく。
以前、観覧車の本を書いている作家さんと出会ったこともあった。
観覧車のグッズを交換した記憶がある。
さらには、観覧車自体をみつけたら、写真に収めておく。
これも大切なコレクションだ。もっとも意識して保存しきれていないのが
今思えば残念ではあるが・・・。
つい最近出会った、観覧車。
デパートの屋上にある日本最古の観覧車。
秋空のもと、古き良き時代の思い出を乗せ、美しく建っていた。
もう人は乗せていないが、さび付かないように週末のわずかな時間
廻っているそうだ。
これからも、観覧車のある場所を求めて行こう。この行動、思い出自体を
コレクションしていく・・・というのも楽しいものだ。

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1日3分NY時間。

今年は、「プロジェクトN」と銘打って、いろんな活動を試みている。
一番は、NAGOYAへの移転。そしてNIIGATA,NAGASAKI
など愛着ある町との交流、接点強化、さらには、ふるさと岐阜の名づけ親
NOBUNAGAに関わる演奏活動の開始、表現は「NOSTALGIC」
な世界観を大切に・・。
そして、総じて自分のこれらの挑戦が新たなパワーになるように・・(NEO)

と思ってやっているが、わが感性の、元気のふるさとNYにはしばらく
足を運べていない。
が、距離感を感じることなく、毎日このNY気分を味わっている。
これはネット社会のおかげ。
WEBブラウザーを立ち上げるとまずは、NY TIMESのトップページ
が登場、次に数々のNYからのメルマガ。
それぞれのアプリを活用すればもっとディープな情報も得られるだろう。
ときに、届くNYからのDM。美術館からの寄付のお願いなどなど・・。
どんな情報でも、自分がNYとかかわっているような気分になれる。
今、一番わくわくするのは、よくピアノ練習に使っていたスタジオからの
メルマガ。
ブロードウェイの舞台に立つ夢を見る人たちが見ている。
オーディション、ボイストレーニングのレッスン・・・などなど。
とりあえずチェックする。
NEW ORLEANSからトロンボーン奏者からのメルマガ。
新しいアルバムとプロモーション動画の案内。
同じ町のアーチスト仲間から新作ステーショナリーの案内などなど・・。
「あ、みんながんばってるな。やってるな」
海外の「N」とは、こんな風にしてつながっている。
まだまだある、私の中の「N」。

1日3分刺激を受け、現実を生きる。
これはコストなしでもあり、おすすめのモチベーションアップ術だ。

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今から、春を待つ!

晩秋の夕暮れ、移動中にメールが入ったようだ。
信号待ちになり、スマホを見てみると、
先日、コンサートでお世話になった方からだ。

明日から、1年4か月ぶりの抗がん剤治療に入るので
しばらく会えません・・・・春になったら・・・。
という内容のメッセージに信号が青になっても
立ちすくんだままになる。

そうか。明日からか。いよいよ・・・か・
ずっとこの決心について、会うたびに話をされていた。
これをやれば、また元気になれるから。
また復活できるから。
と。

その治療前の一大イベントが、先日開催いただいた
コンサートであった。
「念願のマーサのコンサートもやったり、妹の
家にも遊びに行けたし・・・・」
治療までにやっておきたい、おかねばと思うことを
やったから。という悔いなし・・の気持ちも
伝わってくる。

私はすぐメールではなく、電話をかけた。
メール送ってすぐの電話にいささかびっくりされていた
様子。
「春まで、待ってますから。絶対に、また美味しい
ごはんを一緒に食べたいですから。」
スマホの向こうに、笑顔が見える。

覚悟、決意、いろんな強い気持ちがみなぎっている
感じがした。
病気をされている方には、言ってはいけないのに、
やっぱりこの方には
「がんばってください」
とエールを送ってしまった。
わかってもらえる人だから・・と思いながら。

まだ冬が来ていない。白いものも空から降ってきていない。
なのに、
私はもう春を待つ。
春よ早く来て。

彼女の元気なカムバックを心待ちにして、
その人につくった「想人」を口ずさむ。

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