おかげさまで、なんだかBUSY

コロナ感染の話題ばかりがメディアが取り上げている。
どうする?どうなるんでしょう?いくらもらえるんでしょう?それって?

なんだか、ピンチを切り抜けることに対して、受け身というか、他力本願をあおるというか・・
おかげさまで私の周囲は、皆さんとても忙しく動いている。
コロナの影響はあるけれども、影響をうけないよう、最小限になるように
攻めに入っている会社、このときだからこそ、世の中を元気にしなければと提案をしかけようという仲間、元気な活動をし続けている人達が多い。
食品を作っている人も、モノづくり工場も、福祉業界も、薬品関係も、
普段と変わりなく、めまぐるしく動いている。
そこにコロナ対策も加わるため、尚忙しい。

と、やることがたくさんあることは、とてもありがたい。
まだ動けるからだ。
ほんとうに都市封鎖になったり、身動きがまったくとれなくなると、事情は変わってくるだろう。
でも、ほんとうに今は毎日、おかげさまで元気に、やることが途切れない。

長距離動かない分、これも宝の時間と思って、どんどんインプット。
いつか読もうと思っていた本や、練習すべき曲や、そうそう、今こそ
クリエイティブな時間を作らなければ。

と、思えば思うほどに日々忙しい。でも、心は忘れてはいけない。
そして、

今、自分ができること。

が大切だ。

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マスク!の存在

欧米人がマスクをつける習慣がないということを、以前書いたことがある。
マスクをするよりも、手洗いやうがいをしっかりする方が効果的であると
されており、またサングラスなどで目元を隠すのはいいが、口元を隠すのは
どうもよくない・・という習慣があったらしい。

しかし、このたびの新型ウイルスが欧米でこんなにも広まってしまった要因のひとつは、マスク未着用ということもあるようだ。
現実、今、世界ではマスク争奪戦であるが、こんなに欧米人がマスクをしている光景をこれまで見たことがない。
逆に、マスクをしているアジア人を妙な感じだと彼らは思っていたはずなのに、
今は中国で生産再開されたマスクが欧米で高い値段で販売されている。
(フランス行きのはずのマスクが中国の空港で突然、超高値で転売されアメリカ行きに変更されたというニュースもあったほどだ)

一方、NYのメディアは「アベノミクス」ではなく、「アベノマスク」とこのたびの日本政府のコロナ対策について失笑、批判。
情けないやら、ほんとうに疑念だらけであるが、この言葉だけには笑えてしまう。笑うしかないということもあるが。
とにかく、今、マスクが世界のキーワードである。

そんななか、自宅のマスクを補充しようとネットで探し、検索してすぐ出てきた「マスク」が高値過ぎることもなく、妥当であったため、迷わず注文。
そして届いて、商品を見てびっくり!
このマスクは、いわゆるお顔のパック~フェイスマスク~であった。
あ、マスクという言葉にやられたな~。とびついた私はなんて・・・と思いつつ、でもきっと間違えて買った人は他にもいるはずだ。

マスクが必要な日々はつらい。これから暑くなってどうするんだろう?
高いお金をつかって支給されるマスクは、なんとも風通しのいい布製?
でも、それじゃ菌も入り放題だし・・。

マスクのない、普通に呼吸できる暮らしに、早く戻りたい。

が、今はそんなことを言っている場合ではない。
いろいろ注意と工夫で乗り切りたいものだ。

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コント王に心からの哀悼。

小学生の頃から、ずっと大好きだったドリフターズ。突き抜けたあの笑いは、言葉を越えて、年代を越えて、どんなときもありがたい存在であった。
家族で喧嘩をしていても、どんなときでも土曜の夜になれば、「8時だよ!全員集合!」がすべてが許され、和みが生まれ、ばかばかしいことで笑うことで、ま、いいかという気持ちになれた。
老いも若きも、テレビを囲み、笑った時代。
あの番組は1週間、よくがんばったね。ごいうご褒美的な存在だったのかもしれない。
今も時々、再放送をすることがあり、迷わず、みる。
おかしくて笑うだけでなく、笑うことの大切さや、そのばかばかしさを生み出す源泉について考えたり、いろんな企画のヒントにも大いにさせていただいた。
一番勉強になったのは、コメディアンという存在、仕事、生き方だ。

泣き笑いこそ、人生だ。
ピエロのごとく、常に何があっても人を笑わす。哀しみの淵にあっても人は笑うことができる。
笑いの力は絶大だ。

そんな笑いを半世紀近く提供し続けた、志村けんさんが、今回の新型肺炎で亡くなってしまった。これこそ、嘘?冗談?「またまた~」と突っ込みを入れたくなるようなことが、現実におきるとは。

あまりに衝撃的なコメディアンの死。
世界の要人やショー関係者からも哀悼のメッセージが届く。
志村さんは世界のコメディアンだったのだ。

遺骨を抱えたお兄様の映像をみて、胸がつぶれそうになった。
コロナウイルスに感染してしまうと、親族であっても看取ることができないだけでなく、葬儀も難しく、気が付けば遺骨との対面・・・だということを今回初めて知った。衝撃を受けた人は多くいることだろう。
過信してはダメ。
みなさんにテレビでこの姿を見てもらって、コロナは怖いということを知ってほしい・・・とのお兄さんの言葉があまりに重く・・。
志村さんが人々を笑わせたテレビで、今は彼が哀しみを伝えることになるとは。

おコメディアンとは真剣勝負の職業である。
恥ずかしいとか、やれないとかそんな次元ではできない仕事。
カラダを張り、アンテナを張り巡らし、人の気持ちを察知して・・・。
どんなに繊細な仕事であろか。
人間が生きる限り、食べることも必要であるが、
笑いは心の最高の栄養なのだ。

大好きな笑いの王様が、あっけなく逝ってしまった。
心からの感謝を込めて。そして彼が遺した教訓をみんなが活かしていかねば。

いい人がこの時期に立て続けに、いなくなっていく。

心よりご冥福を祈りつつ・・。


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ニューオーリンズのジャズミュージシャンを応援!

写真はジャズのメッカ、ニューオーリンズの著名ホールに所属する、そこで演奏活動を行ったり、音楽家の育成を行っているミュージシャンたちの集合写真。
昨日、メルマガで届いた。インパクトある1枚で、また懐かしさもよみがえる。

新型コロナウイルス感染は世界中に広がっており、アメリカは今や世界で
最大の感染地となってしまっているが、ニューヨークやワシントンから離れた
ニューオーリングでも例外ではなくなってしまっている。
この町で年に一度のパレードがあるが、2月に開催された。どうやらそこでの人々の濃厚接触から感染が広がったようで、今やこの音楽ホールはじめ、町中の
ライブハウスでは活動禁止となっている。
ミュージシャンは演奏して生活が成り立つ。多くの聴衆がいなければ、この
ホールの運営も立ち行かない。
今回は、このミュージシャンたちを救う基金の案内。つまりドネーションの募集だ。
以前、巨大なハリケーンが個の町を襲ったことがあった。その前にたまたまNYのビジネスショーで知り合ったクリエイターがニューオーリンズへの移民であり、彼女のことが心配で災害援助の寄付を少額ながらさせてもらった。
以後、彼女との関係は続き、彼女がこのジャズホールを私に教えてくれた。
眼の前でドラムを、トランペットを、ピアノを・・操るジャズメンのパフォーマンスにアメリカの悲しくも誇り高いジャズの歴史を強く感じ、感動した。
あるドラマーからは、ドラム用のスティックをプレゼントされたこともあった。
などなど、思い出深いこのミュージックホール。ニューオーリンズ・・・。

音楽家のことは絶対に助けなければならない。
今回も少額すぎるが、すぐ寄付をさせてもらった。ワンクリックでできる。
ベンリな世の中だ。
金額の問題ではない。太平洋を越えて、今アメリカジャズの発祥の地での
活動が続くように、早く再開できるように・・の思いを伝えたい。ただそれだけ。

つまり、コロナが早く終息するようにという願いである。

今自分にできること。小さなことでいいから、重ねていきたい。

こちらの基金詳細はこちらhttps://www.preshallfoundation.org/legacy-program-emergency-fund

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すべて見直し、出発。

新年度である。
これまでであれば、学校も企業も、個人も桜咲くこの季節に、心新たに
それぞれが向かう道を歩み始める。胸膨らむ新たなスタート。

だが、今年は違う。見えない敵と闘いながら、試行錯誤が続く、不安な
はじまり。
今後、世界はどうなるのか、見えない。
ゴールが見えないから、シナリオも描きづらい。
今できることは、まず我慢すること。待つということ。
そして、その間に今後の世の中の動きを自分なりに冷静に見据えながら
どう生きていくべきか?について、よく考えること。
当然、いろんな見直しを迫られる。
国も、企業も、家庭も、個々人も・・・。

この2か月で見えてきたことは、
人間が生きるためには、食べることが一番大切。
だから食に関するビジネスは重要。
しかし、外食産業は今しばらくか、今後も先細りしていく可能性がある。
毎日食べていかねばならないが、贅沢はしなくなってくる。
アウトドアの娯楽、外出にもおのずとブレーキがかかってくるだろう。
だんだん人々がそんな意識に変わっていくはず。

毎日食べる、そして命を守る。これが生きるためにまず必要なこと。
余暇・趣味にお金をかけることは二の次だ。

経済成長と騒いできた20世紀後半から今日までの道のり。
それがこのタイミングでガラリと変わる・・・そんな兆しが世界から見える。

今は、派手でなく、バブルでなく、
長く無事に普通に生きていく方が、いのちにとって重要だという価値観になってきている。
消費を無駄に増やす必要はなく、いろんな意味でサイズダウンしていくこと。
これから、こちらの生き方にシフトしていくだろう。

生きることへの価値観も、いきがいも変わっていくのかもしれない。
経済ファーストではじまった、あるいは利権ファーストで進んできた
オリンピックがこの時期にブレーキがかかったことも、ひとつの見直しの
機会なのではないか。

見直す。自分たちのこれまでの考え、ふるまいを。
生きていくということについて、さまざまなつながりを今一度見直し、
新たに生き直すことが大切だ。

やっぱり、見えない力が働いているような。
ウイルスも見えないが、何か違う力を感じつつ、
自分の小ささを改めて感じ取り、謙虚になって、生きたい、新年度のはじまり。

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学友のために祈る。

コロナ騒動のなか、消されないでなんとか真相究明してほしい事件。

大阪のあの学園の件で、自ら命を絶たなければならなかった方の奥様の
手記。最近、ご本人の遺書や手記が公開され、話題になり、多くの人々の
支持を受けている。
この事件は、ほんとうに心痛く、怒りもこみあげる。
この国を信頼できないと思える要因にもなっている案件ではないかと
おそらく良心ある方はそのように思っておられるのではと推察する。
手記を読み、その方のことを知り、驚いた。
なんと同い年で、同じ時期に同じキャンパスで学んでいた人だった。
学部も違うため、接点・面識はなかったが、今回の情報から、その
ことを知り、より一層心が痛んだ。
ああ、真面目に勉強され、世の中に役立つために選んだ仕事でこんなことに巻き込まれたのか・・・。
お会いしたことはないが、報道で見る遺影を拝見し、その方が同時期に
同じキャンパスで学生生活を送っていたことに勝手な縁を感じた。

正義感のある方が、こんなことになってしまって・・。
自死についていろいろな意見、見方はあるだろうが少なくともご本人
いはその方法しかなかったということだろう。
それだけ追い詰められていた・・・。それはあの筆跡を見てもわかる。
もし、自分が同じ立場だったら。。。と考えさせられる。

今、本件に関しての署名活動が行われていることを知る。

これまで、ブログでこのような話題を取り扱ったことはないが、
学友であるならば、話は別だ。ここに署名のリンクを貼らせて
いただく。

https://yahoo.jp/box/ckM5gK

コロナ対策も、オリンピックもどうもすっきりしない。

すべて根幹は同じせいかもしれない。
まずは、真相の究明の徹底。
正義は報われなければ、ならない。

偶然にも手記を公開された勇気ある奥様は、同じ名前であり
勝手に親近感がわく。
どうぞ、最愛の人のために、がんばっていただきたい。
応援者はたくさんいると思う。

今、この国はほんとうに・・・心配だ

正義が報われる社会にならないと・・。

コロナより、人間の方が厄介だ。


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「会いに来ました!」に泣き笑い

半年前、父の入院先の病院にひとりの看護学生さんが、実地研修に来られており、父の担当になり3週間ほどお世話になった。
つらい病院暮らしのなかで、この学生さんが関わってくれたことは父にとってうれしいこと。プロの看護士さんは手慣れた感じで、父を扱うが、学生さんは不慣れな分だけ、丁寧で親切で、ひとりの人間として父に接してくれる。その優しさが父の心に沁みたようで、その研修期間は父のリハビリへの意欲もわき、刺激にもなったようだ。
もうすぐ研修が終わると聞き、その学生さんにお礼のお手紙を書き、父から渡してもらった。またいつか会えるといいと勝手に思って・・・。
でも、研修で来られているし、個人的に会えることは難しいだろう。でも、感謝は伝えておこうという気持ちで・・・。


その後、父は病院から施設に移り、新しい生活をはじめた。
やっとそれにも慣れてくれたかと思った、3月後半のある夜。
見慣れぬ名前の方からのメール。
なんと、その看護学生さんからだった。
もう学校を卒業したので、やっと連絡がとれるようになったとのことで、
手紙のお礼と、父のその後を気遣うメッセージ。
連絡がきたことに驚き、すぐ返事をする。そして、父に会いたいと言ってくれたため、施設に来ていただき、面会いただく。
4か月ぶりほどの再会。父は大変喜び、笑顔と涙で顔をくしゃくしゃにした。
「元気ですか?どうですか?」
入院時代に二人でしていたであろう、日常会話の延長がはじまり、父は大変うれしそうに話している。
この学生さんは、この春からさらに次のステップに向かって、次の専門学校に通い、正看護師への道を目指すらしい。
「元気そうで安心しました。また会いに来ますね。」

まさか、こうやって再会できるとは。お礼状書いておいてよかった。
この学生さんが早く自分で選んだ道でお仕事できるように、心から応援させていただこうと思った次第。

感謝の気持ちが伝わり、思わぬ再会になること。なんとうれしいことだろう。

普段、あまり気乗りしない歩行器を自ら使い、大切なお客様を玄関までお見送りする。

こんな父は見たことがない。本当にうれしいお客様であったのだろう。
いい思い出づくり。どんな小さなことでもいい。それが生きる糧になったり、
幸せの種になる。

まさしく、人生は観覧車だ。父の観覧車も回す手伝いをしていこう。

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言葉を理解する力が国力にも。

どうやら、日本の若者には、普段使わない言葉の意味がわからない、響かないことがあるようだ。
これは、デジタル社会や個人主義社会と関係あるかもしれない・・・。
ふとそんなことを考えてしまった。

たとえば、このたびの、東京での外出の自粛要請について。
「自粛」という言葉ではあまりピンとこない。危機感がもてないそうで、
普段通り、外出をしてしまう若者がいる。
メディアのインタビューの一部を耳にしたが、
「禁止じゃないので、いいかなと思って・・・」
らしい。自分ごとには思わないようだ。言葉の意味が理解されていない。
残念ながら響いていない・・・。AIDMA的にも残念なこと・・。
禁止されないと行動できないのか。これはまさしくゼロか百の話だ。
また言われたらやる。は、自分で考え、自分で判断してではない。
禁止されたから、やれといわれたから・・ということで動くのであって
自分から考えて行動するということが、察して動くということが、苦手なのか
そういう感覚がないまま育ってきているのだ・・。正直恐ろしい。

また、自分だけよければという自己本位なところはないか。
自分が好きに動くことで、周囲に迷惑をかけるかもしれないから・・
という世間への配慮はないのか?

少なくともお年寄りよりも、若い人の方が、感染させてしまう可能性が高いという点で、より気を付けてもらいたいのであるが・・・。

どうなったらどうなる?をよく考え、そうならないために自分たちはこうしよう。すべて人から指示をされなくても、考えて動く・・・そんな人になっていってもらわないと、日本という国が今以上に心配になる。

察する、想像する、人に迷惑をかけない判断と行動をする。
真剣に取り組まないと、日本全体が大変なことになる。
コミュニケーション力は、国力にも大きくかかわることを今回痛感している。
デジタル社会は思考を停止させることがある。
大人も気を付けなければならない。
そういう意味でも、今、この国は非常事態である。


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ドラマは作られる。

映画や劇作は、人が考え作ったものだ。多くは人生とは、人類とは、人間社会とは、、、について、ときにダイナミックに、ときにロマンチックに描かれ、見る人読む人はその世界に浸り、感動する。しばし、もうひとつの人生を生きられるのが、最大の魅力。長きにわたり、読まれ続け、語り継がれている理由はそこにあると思う。

ドラマだからよくできているなあ。ハッピーエンドのとき、勧善懲悪のとき、あるいはもうこれ以上ない悲劇のとき、これはドラマだから映画だからとわかりつつ、とことんその世界に浸ったり、いやこれはドラマだからと恐怖心を鎮めたり、、、。そんなことが出来るのが、これまでのドラマ。

しかし、今日は現実の世界がドラマ以上なことがあるため、その想定外にただただ驚く。これは本当に自然発生的な出来事なのか、あるいはもしかしら何者かに作られた世界なのかと、、、。

今回の新型ウイルスの広がり方は、まさに嬉しくないがドラマチックだ。またオリンピックを延期した途端に感染者が増え、都市封鎖が始まろうとしている。あたかもシナリオ通りの展開にも見える、見え透いているが、出来すぎたドラマかではないかと思ってしまうのは私だけだろうか。

ドラマは人々を感動させてくれるものだけでいい。困らせたり、傷つけたり、悲しみの増大に寄与してはならない。

しかし、世の中、出来すぎている。そのシナリオライターは誰?

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疑うことはいいことか?

あるお客さんとコロナウイルスのことや、オリンピックのことなど、目まぐるしく変化する世の中の見え方について軽く話しをする。
メディアに対しての見方、とらえ方など自分の考え、自分が普段感じていることをお伝えすると、
「なんでも鵜呑みにしてはいけないんですね。」
といわれる。
逆にその言葉を聞いて、自分が普段から、いろんな情報をその背景やいきさつやその媒体の特性などから見て、自分なりに解釈したり判断していることが、当たり前と思っていたが、情報の受け留め方とは、そうではないこともあるのだということを知り、驚いた。
ついつい、いろんな情報を得るなかで、どれが正しい、どれがホンモノ?これは?とついつい、疑いの目をもって見るクセがついてきているようだ。
素直にそのまま受け入れることを、していない。いつの間にかそういうことができなくなってきている自分。

メディアは権力を監視するという機能が元来ある。しかし、今の世の中はどうか?そのことについて疑念があるせいか、ついつい、どんな報道でも鵜呑みにしない体質になってしまったようだ。

疑うということば。疑うとは疑問をもつということ。
ほんとかな?の目をもつこと。
この目は実は大切だ。

人を疑いたくはないけれど、おかしいものはおかしい。臭う者は臭う。
何が真実だ。何があるべき姿か。ここを忘れずにいないと、権力を監視できなくなっているマスコミの後ろにいる権力者の思うツボになる。

コミュニケーションは送り手の問題も大きいけれど、受け手がしっかりしなければ。
それはおかしい!間違っている。それでいいのか?
その疑問視は重要だと思っている。

最近、ますますその疑念は高まっている。
もちろんいいもの真なるものには、きちんとまっすぐ素直に受け留めたい。
でも、責任をもってNOといえる目はやはり大切だと思っている。

真には心を持って、偽には疑をもって、、、、。受け手であるときには、これをマイルールとしたい。



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