ふれない、ふれあい。

仕事でも、オンライン活用が増えてきた。
つい半年前まで、オンライン会議システムを商品とする企業たちは、少し先行的なイメージであったが、コロナの影響で需要が急上昇、現実的なサービスとして競走が激しい業種のひとつとなった。
ネット上でちょっと登録をしただけで、すぐに営業メールが入る。
訪問して営業するスタイルとは違い、顔の見えないセールスがネットの裏にいる。ネット上では対面より断りやすい点もある・・。ネット社会の営業のむつかしさも感じつつ、商品・サービスが必要であれば、需要は高まる。押し売りをする必要はない。ただ、ネットだけで理解できるかどうかを人間がフォローするという役割だ。営業も触れない時代に突入・・・。

先日もオンライン相談会を実施。
なかなか会えなかった企業さんと半年以上ぶりにモニター越しに会う。
画面越しではあっても、会えたことに感激、盛り上がる。それはそれでいい。
時々、画面が固まったり、音声が途切れるが、まあまあ、やりとりはできるし、
笑顔は好感できる。ふれない、ふれあい。

オンラインの可能性と限界。
とくに音楽やアートのことを考えると、このことを考える。

ふれない、ふれあい。

このディスタンス感。人間関係はこれから、どのように構築されていくのだろうか。
このオンラインコミュニケーションが当たり前として育っていく子供たちや、
次世代のビジネスマン・・・。
組織はどうなっていくのだろう。
家族は??。そこは心配しなくてよいだろうか?

ふれない、ふれあい。

人間に一番大切なことは、寄り添うことだ。ふれないで、寄り添う。

お盆の帰省ができないでいる人が多くおられることだろう。
ふれない、ふれあい。

この夏を、この厳しい1年を過ごして、人々が求めるコミュニケーションって何なのか‥が見えてくるかもしれない。

ふれない、ふれあい。

そこには、真の思いやりと、優しいコミュニケーションが求められるだろう。




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とことん寄り添う、生き残り作戦。

金融機関の不調はずっと言われてきている。業界では合併・再編成が進み、いかに経営をスリム化、効率化するか。得意先の法人と同じ悩みを自らも抱えながら、総合的な企業支援がさらに必要なコロナ禍を過ごしている。
そんななか、信用金庫の存在が気になる。
もちろん、全国一律というわけではないだろうが、地元の中小企業にとことん寄り添い、自分ごとのように関わり、伴走している信金さん。
たとえば、私の相談会を企業さんご紹介いただき、参加いただく・・・そこまではみんなするだろうが、その相談会に信金の渉外担当、支店長レベルの方も、同席され、一緒に話を聞かれる。
真剣にメモもとられる。信金内での報告の義務もあるのかもしれないが、こちらがお伝えした内容を踏まえ、企業さんと一緒になって、「さあ、どうする?」と一緒に知恵をしぼり、経営の課題解決をサポートし続けていく。その1つのステップとして、相談会も活用されているのだろうと思う。
中小企業の経営者も、その信金の支店長を心底信頼されている様子が伺える。そうでなければ、一緒に相談会に来ることもしないし、言うことも聞かないだろう。
自分事ののようにとことん寄り添い、資金繰りのことだけでなく、事業がうまくいくようにトータルに応援してくれる存在だからこそ、利用するのだろう。
コロナで苦しむ中小企業に求められることは、やはりとことん寄り添うことだ。
私自身も、限られた時間のなかであっても、その姿勢を貫き、少しでもプラスにお役に立てる知恵を出したいと思っている。
企業さんをとりまく、さまざまな支援期間とともに、寄り添いの気持ちを大切に、この苦境を乗り越えようとがんばる中小企業をとことん応援し続けたい。

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夜型と朝型のリレー。

午前3時あるいは4時。そんな時間でのメールにすぐ返信がある、あるいは先にメールが届いている。
そんな時間帯にやりとりできる相手に出会った。
「夜型の4時ですか?朝型の4時ですか?」
という投げかけに、その方は「夜型の4時ですよ」との答え。
自分で会社を立ち上げ、原稿書きや企画の仕事をされるなか、この夜型の生活が
標準になられたようで、もちろん朝取材があったりすれば、それには対応する。
アポイントがなければ、夜明けとともに休み、午後から仕事を再開。というサイクルとのこと。五木寛之など、作家の暮らしみたいで憧れたこともある。

私の場合は、朝型の4時だ。
独立して20余年、ずっと朝型で、そのスタート時間は当初より早まっている。
深夜、未明からでも開始時間はともかくとして、目覚めてすぐ走り出す力を有効活用したいと思ってやっている。そういえば、今はなき、作家の野村正樹さんも朝型を提唱する方であり、あのライフスタイルも今は懐かしい。

夜型の方は、夜の深まりと静けさの中で、だんだんと考えが湧いてくる、いい案が浮かんでくるだろう。夜は考えるのにふさわしい、自分との対話に最適だ。
自分もたまに、夜型になることがあるため、制作や企画の仕事には夜が向いていることは納得する。1日過ごすなかで、テンションをピークを夜に向けていく感じだ。

朝も夜もどちらも良い。昼は活動の時間。その前後をどう効果的に使うかは人それぞれ。

最近面白いのは、その朝3時、4時に起きてがんばっている仲間がいるという感覚だ。あの人もがんばっている!私もがんばろう!という感じだ。

そして、夜型の人から、朝型人間はバトンを受け取って、そのまま走り出す。
「じゃ、私はここらで。」
「じゃ、私はここから。」
とがんばりのバトンを渡す。

ということで、今日はちょっと早い朝型のはじまり。夜型の仲間も頑張っている時間。誰かががんばっているというのは、何かしらやる気が高まる。いいものだ。

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時間を忘れて、語り合う。

大変な状況を踏ん張っておられる企業たち。業種業界を越えて、それぞれに影響を受けている。
コロナに負けず生き残るために・・。みなさんの奮闘ぶりには頭が下がる。

久しぶりに顔を合わせ、どうしたら売り上げが戻るか、社員が前向きに仕事するか・・いろんなテーマで話し合いをする。

地域差もあるが、コロナはしばし、別の世界の話と思うほどに、普段通りの
仕事時間。対面で打ち合わせできるのが、地方の良さ・・・。

それでも、話題には、必ずコロナとの関わりが登場する。いかにそれを乗り越えるか。このピンチをチャンスととらえるか・・・。
どの企業も本当に大変であるが、気が付けば、もうコロナありきの世の中を
どう生き残るかという段階にきている。おろおろしたり、打つ手がないと言っている段階ではない。ちょっと時が止まった分、急がねばならないという焦りもある。
そして、コロナ前には気づかなかったことや、手がつけられなかったことが
この自粛下で、気づいたり実行できたり・・・もある。
8月に入っても、感染は収まらないが、経済は止まっていられない。
私の周りの企業たちは、ぐるぐると動き始めている。
見えない相手と戦いつつ、見えない未来を想像しながら、前に進む。
優秀な経営者ほど、俯瞰しながら、決断しながら、確実に前進している。



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言葉に魂と愛と責任を!

コロナ対策は難しい。日々、奮闘されている各都道府県の知事さんの汗をかきかきの真剣な対応には、頭が下がる。
もちろん 医療関係の方々の、カラダを張って、命を賭けて、経営の存続を賭けてのご対応に対してもである。

それぞれがなんとかこのウイルスを終息させようと、自分の役割をまっとうし、真摯に向き合っておられる。現場とはいつもそういうものだ。まったなし!現実が迫ってきているのだ。でも、コロナは初めて遭遇する存在であり、どうすればよいかは未知数で、日々その変化に結果に右往左往、手探りしながら、専門家たちの知恵を活用しながら、最善を尽くしておられる。本当に気が休まる日はないだろう。

そんな中、伝える力について、いろいろ感じることがある。
がんばる人たちの一生懸命さに心打たれる、相手のことを考えている目線に共感する、一体感をもてる・・・それらは、すべて発せられる言葉や表情、態度からおのずと伝わるものだ。責任をもって取り組んでいる人の発信には、説得力がある。

政治家は利他のために尽くす仕事であり、そして人々を安心な生活に導く役割を担わねばならず。そして、その思いを伝える「言葉」は最重要のツールでもある。また、報道の仕事に就く人々も、社会が安心安全な方向に進むように、考えて、発信をしていくのが役割だ。
それぞれが、自らが発することばに、もっと魂と、愛と、責任を込めるべきではないだろうか。と思う今日この頃。

言葉は人を動かすことができる。人を導くことができる。

とにかく、安心な暮らしのために・・。
しっかり伝える義務がある。

もちろん政治家でなく、報道関係者でもないちっぽけな自分自身も、
日々の対話で、発する言葉には、魂と愛と、責任をもって・・を意識したい。
人のことを言う前に、まず!だ。

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脱密~柔軟に対応する力が道を開く

コロナで大変と言っているステージはもう終わった。
これを前提として、何ができるか。新たな発想と迅速なる行動が必要だ。

NYのセントラルパークで営業をしている床屋さんのことが話題になっているようだ。
コロナの影響で、町の各店舗は営業自粛を余儀なくされた。理髪店につとめていたその理容師さんは、セントラルパークに散歩に行ったとき、ここで散髪をしたら・・!とひらめき、試しに道具を持参し、そこでサービスを開始したら、瞬く間に広まり、予約でいっぱいになったそうだ。
店より密でもなく、セントラルパークという気持ちよい場所で散髪ができる・・
これは、コロナがあったから生まれた発想だ。想像するだけでも、私も試したくなるし、その景色を眺めているのも楽しそうだ。
今、彼がつとめていた店は営業を再開しているが、もうそこには戻らないのだという。かっこいいスーツ姿で黒いマスクをして、颯爽と散髪するそのビジュアルも素敵で、インスタ映えもするため、散歩する人たちがどんどんネットにアップして、広まったというのもあるとか。(話題はNHK BSの「@NYC」より)
彼のインタビューをきいていると、その状況に対応すること。が大切だとのこと。そして、その対応が、人を助けることにもなり、自分にもプラスになるとのこと。心から共感する。

もう一つの話題は、日本国内の話題。
続く、花火大会の中止。それではせっかく仕込んできた花火がもったいないと
個人で主宰し、協賛金を個人から募って、その人たちのために花火大会を開催する。という企画が、東北のある町で開催されたとのこと。
花火屋さんを支援する、町の人を元気にする。この2つの願いが実現した企画。
これをきっかけに、花火大会とは、行政や大手新聞社が仕掛けるもの・・とは限らない、もっとプライベートな新しいカタチで生まれ変われるかもしれない。

「脱密」で、新たなきっかけをつくる。
そして、現状に柔軟に対応していこう。
ひとりひとりの力から、それが可能だ。

ところで、アウトドアバーバー。いい響きだ。私も屋外で演奏したい。ピアノだと難しいが・・・。

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支える一言が言える人に。

日々、いろんな言葉をいただいて生きている。

人間は三度の食事で生きている、と言われるが、
確かに食事はカラダや心に不可欠な存在であるが、
言葉こそが、食事と同様、ときにはそれ以上に重要な
生きる糧になる。と思っている。

ある方から、
「ご両親のこと、今が一番大変な時期だと思いますが、がんばってくださいね」
という言葉をいただいた。
一見、何の変哲もない、エールの言葉かもしれないが、
私にとっては、とてもありがたかった。

今が一番大変な時期・・・そうか。じゃ、これより大変な時期は
ない。今がどん底であることがわかっていれば、あとは上がるしかない。
と思ったら、みるみる気持ちが楽になってきた。
この一言があるだけで、とても救われた。

そんな風に、何気ない一言が、人を支えたり、勇気づけたりすることが
ある。
それは相手にどこまで寄り添っているかで、変わってくる。
一般論の言葉では、響かないこともある。
伝える相手の現状を自分ごとのように理解し、そこから発せられるひと言。
この重みを改めて考えたい。

言葉は栄養にも、毒にもなる。
間違っても相手に毒にならないように、
とくに大切な方への言葉は大切に紡ぎたい。
たった一言でよい。
その人の置かれた状況を救えたり、琴線に触れることで
何かが変わったり・・
そんなことが可能となる、一言を。

言葉は人を救うことができる。

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改めて思う、2020というdecade

年始に、今年はどんな一年になるのだろうと仲間と話した時に、一年もそうだけど、この2020年代がどういう10年になるかが気になる、しっかり見届けなくちゃという話をしていた、その時は混迷のオリンピックを終え、どんな日本になってしまうかという不安と想像もあったが、現実は全く違ってきた。
こんなに予測不可能なことが世の中に起きるのかということを、世界中のほとんどの人が思ったはずだ。

東京オリンピックは開催されず、世界中がこの暑い夏にマスクをして生活するはめになった。これは地球上に住む人類の誰一人も想像できなかったこと。
何だか知らないけれど、無駄に費用をかけて作ってきたマークから、箱ものから・・それに合わせて考え用意されたさまざまなサービス、社会システムは、
その出番を失い、何が夢か現実かもわからないほど・・・。

コロナとともに歩む2020年代がはじまった。

パンデミック、ソーシャルディスタンス、テレワーク、ニューノーマル、、、。これまで無関係であった外来語や造語もウイルス感染とともに拡大した。

もうコロナ前に戻ることはない。これは断言できる。

非接触の中、これまでの価値に決別して、心新たに前向きに生きるにはどうすべきか。

借り物の言葉でなく、自分に言葉できちんと整理することから始めねば。

コロナ感染の日々の数字に一喜一憂洗脳され、日付がどんどん進んで、2020年が後半に差し掛かっている。報道に惑わされず、しっかり考えていく力が必要だ。
この2020年。コロナは21世紀を代表する人間に対峙する存在となる。
見えないモノと生きていく。もしかしたら2020年代とは、そんな時代になる?

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退職記念日に誕生花。

独立後、20余年お世話になってきた税理士さんがこの7月末で退職されることになった。
いつまでが定年なのかわからない税理士という職業ではあるが、同級生が運営する事務所の主要メンバーとして、長年尽力された。その同級生である代表も病死。その後、事務所に残り、若手の育成と見守り、引継ぎも整え、さまざまな節目ということでの、●歳のお誕生月の月末で退職ということに。ご自身の健康不安も抱えながら、本当に地道に事務所を支え、顧問先の企業に寄り添ってこられた。私も商いは小さいながらも、お世話になった一人である。


2日前に、郵送で退職のご連絡をいただく。

この22年間、公私ともに、いかにいろんなことをご相談にのっていただき、そのおかげで、自分がここまでやってこれたのかと、長くて短い日々をしみじみと思い出す。

ときには、実家までおいでいただいたこともある。
自分ができない分野はこの税務の世界。
それを安心してお任せできることで自分の仕事に打ち込めた。
事務処理、手続きだけでなく、内面からもいつも応援いただき、自信をもって取り組むことができた。税理士とは、「士」が付くだけあって、困っている人を助ける仕事であるということを、学んだ。


税理士最後の日に届くようにと、お花をお送りする。本当は駆けつけてお礼を言いたかったが、出向くことができないこのコロナ禍。

電話でもお話しすることができた。「本当にお役に立ったのかしら。」

と言われたのが印象的で、本当にどこまで謙虚でいらっしゃるのか。

本当にありがたく、心から感謝。
寂しくもあるが、業務のことは、若手にお願いするとして
今後は新しいおつきあいをしていければと思う。

最後の日まで、やり遂げる人は、立派だ。
素敵な退職記念日。

と書いていたら、花が届いたようで、喜びのメッセージとお花の画像が入った。
7月の誕生花、ひまわりを入れた。
グラン・ルーを22年間、支えていただいた人の大切なひとりに、
改めて心からの感謝をお祝いを込めて・・・。

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「空振り」と「素振り」

前に書いた、真夜中の火災報知器の誤報。それに続いて今度は、穏やかな午前中に、スマホから緊急地震速報と大きな警音。なんだ?なんだ?今度は?
すぐテレビのスイッチを入れると、確かに緊急地震速報の表示。東海地方の表示もあり、やばい。どうしようもなく、またもや、オロオロする。でも、揺れない。
東海といっても違う場所だけなのかな?しばらく様子を見ながら、平常に戻る。
どうやら、この速報は誤報だったとのこと。
そう、今週は誤報が続いた。
でも、これはこれで、また学習だ。速報と言われたときに、避難するところまで
頭が回らなかった。
もしものときに、これではだめだ。と反省。

平常時には、もしもの時のことは、なかなか考えないものだ。でも、こんなに異常なことが起き続ける今日は、練習や訓練は現実的に必要だ。
あるところで、こんな話をきいた。
あるお宅では、お年寄りの避難について、万一に備え、二階に逃げるという訓練を何十回も行った家族がいるという。でも、まだその避難が役立つ機会はない。(それは何よりだ)
この逃げるという練習は、素振りのようなもので、何度も練習することで本番に活かせるだろう。ということ。

誤報を空振りのように思う向きもあるかもしれないが、誤報による避難も空振りではなく、素振りだと思えば、一つの経験になって、役立つではないか。

と、この度の誤報続きに、実は感謝もしている。


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