私の観覧車が回り始めた日。

23年前の9月17日。
グラン・ルーは回り始めた。
まさに、人生は観覧車のように~そんな思いで、コミュニケーションの力で人と人、組織、社会を結ぶことを、生業として生き始めた。自分ができることを活かして、はじめた仕事。
35歳の誕生日までに独立しようと決めて、悔いなき(917)日を起業の日に
したことは、正解であった。

あれから、くるくる、時にはバタバタと回って、まる23年が経った。
まさに34歳の5月に、パリのこのルーブルの庭でみつけた観覧車に乗って
人生のコンセプトが生まれた。それから、今もぶれることなく、
止まることなく、回っていることは、何よりだ。

この写真は、2019年の12月初めに、フランクルトから日帰りで
パリに出向いた際、23年前と同じ場所に偶然みつけた観覧車。
まさに冬空に立つLa Grande Roueであったが、私にとっては、
天気も季節も越えて、これが人生のよりどころ、シンボル。

コロナで海外渡航できない現在、当時の写真やさまざまな資料を通して、
自分の
道をふりかえる。
改めて、この道を信じ。このまままっすぐ、そして、節目ごとに、
さらに磨きをかけて・・・。
生涯、心の観覧車づくりを続けることを、今日改めて自分に誓う。
もちろんそのアウトプットは柔軟に。

これから、あと何年回り続けるかわからないが、生き続ける限り、
回り続ける。

長くご支援、応援してくださっている方たちに、心から感謝を申し上げます。
ありがとうございます! !

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ならば、しっかりやろう。

介護の現場は大変だ。
本当にみなさんよくされると、頭が下がる。
なぜ、福祉の仕事につこうと思われるのか。
かなり強い意志がないと、長く続かないほど、ハードな世界。
ここ1年ほど親のことで、お世話になっているケアマネさんは
現場支援もされており、お年寄りや家族に寄り沿った仕事を
続けておられる。
なぜ、この仕事に就いたか・・・。その方のお母さまも同じ仕事を
されており、その背中を見て・・とのこと。
親がする仕事を見て、そうなりたい。と思うとは、すごい。
大変さも見ながらのご判断で、まさに頭が下がる。

介護保険のおかげで、介護者の家族は介護を専門の人に助けてもらい
自らの生活を続けることができている。
ひと昔前は、介護も仕事も・・というのは無理であった。
そういう意味でも、いい時代に生きていられて、ただ感謝だ。

今、自分は父に24時間付き添っていない。
もちろん気持ちはあるし、できることはやっているが、
同居しておらず、プロにお願いしている。
そのことについての自問が増える。

自分のやっていることは、正しいのか?
人としていいのか?

親が食欲ないと言われているのに、
自分はおいしい食事をとっていて、いいのか・・。

などなど。
思うことは尽きないが、
でも、私は私ができることをする。

つきっきりの介護はできない。
ならば、せめて仕事や今すべきことをしっかり
がんばろう。
世の中のために、お役に立っていれば、
親も理解してくれるだろう。

仕事をさせてもらえる、好きなことをさせてもらえる
介護の時期にありながら、皆さんの力を借りて
変わらぬ生活ができていることに、改めて感謝をしながら
今自分がすべきことを、120%がんばらねばと
思う。

ならば、しっかりやろう。

今は、ただそれだけ。

もちろん。親に対しても、自分ができることを、しっかりやろう。

全ては、悔いのないように・・・。

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「ありがとう」の伝え方。

90歳を越える方から、きれいなハガキをいただく。
柿の絵が描いてある。「恥カキながら、ありがとう」
なんとも、ほほえましく、あたたかい。
なんども、このハガキをさすってみる。

絵手紙を書く人は、母のまわりに何名かおられた。
母が亡くなってから、時々、こちらに届くようになった。

このおばあさま、母の仲良しさんだ。
母が亡くなったあと、いろんなことが続いて、
元気がなくなりそうなときに、
「あかんよ、元気にいてくれんと。おばちゃんは元気にいてもらわんと」
と会いに行って励まし続けた。時には花を届けた・・・。
このハガキは、そのお礼のようだ。
元気でおられることを知り、うれしくなって電話をした。
まだ、自分が経営してきたお店の電話番をされている。
元気な声が受話器からこぼれてきて、安心した。

母が亡くなって、いろんな方にお礼を言うと、皆さんからも
「ありがとう」の声を多くいただく。
いろんなことで、ありがとう。
ちょっとしたことでも、ありがとう。
とにかく、「ありがとう」の威力はすごくて、
その伝え方、伝わり方で元気も倍増する。
今回の、このハガキもその一例だ。

どんな装飾的な、巧みな言葉よりも、ただひとこと
「ありがとう」
があればいい。

元気になったおばあさま(私にとっては大先輩)のハガキがうれしくて、
ここにちょっとご紹介。
周囲に感謝の気持ちを忘れることなく、日々変化する
これからの秋を一緒に楽しみたい。

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ちょっとした節目をきちんと。

節目は大切だ。
今日はここまで。これは、これをもって・・・。
日々をなんとなく過ごすのではなく、挨拶からはじまり感謝に終わる。
それを意識して行うことで、お互いのコミュニケーションが深まり、
信頼感が高まる。

今回インターン生をお迎えになった企業が、インターン期間終了後、
学生さんとの短時間の面談を実施、まさに節目の時間をもたれた。
学生さんからの報告書を受け取るという、郵便やメールでもできる
やりとりであったが、あえて、わざわざ会社へ足を運んでもらう選択を
され、その場にオンライン同席されていただいた。

ひとつの行事が終わると、そのまま時間とともに、その記憶は薄らいでいくが、
節目を大切にすると、いい思い出となって、長く深く心に刻まれる。
「今日はインターンの卒業式です」
と笑っていいながら、学生さんからの報告書を受け取り、企業側からは、
社員のアンケートの抜粋と最終日皆で撮影した記念写真のコラージュの
プレゼント。そして社長から、学生への手書きのお手紙。

学生さんたちは、そんなサプライズを受け取りながら、静かに感動。
郵便やメールでは味わえない感慨があったと思う。
ネットでのコミュニケーションが主流になりつつある若者の日々に、
生のふれあいがあること、そして、ちょっとした節目を感じることが
できることは、とても有意義だ。

普段の生活をふりかえってみよう。
なんとなく流されていくのではなく、ちょっとした節目を大切にすること
で気持ちが新しくなったり、毎日が豊かになっていく。

「インターンご卒業、おめでとうございます!」と締めの言葉。
わずか10日の経験であっても、永遠に刻まれる社会経験の終了。
ちょっとした演出、心遣いでみんなが達成感に包まれ、幸せになれた瞬間。

節目を心がけることで、人生も、竹のように強く、しなやかになれると
思う。

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愛の折り合い。

理想と現実のギャップの間で生きる。
それが、生きるということ、それが人生だと思う。
現実しか見ていないと、成長もない。
夢を見ることは、重要だ。

一方、現実を見据えて生きることもとても大切だ。
現実逃避の人生はありえないし、すべて現実から始まる。

だいたい、理想と現実は異なる。
でも、平行線ではない。
自分次第で近づくことができる。

しかし、人生には時間という現実がある。
限られた条件のなかで、最適な結果を出すためには

折り合いをつけること。

このことは大変重要だ。

相手にとって一番いいこと。そして自分にもいいこと。
お互いにとって、納得できる選択。

そう、愛の折り合い。と名付けてみよう。

日々、出てくる課題も、そんな気持ちで取り組みたい。
プライベートだけでなく、ビジネスでも生かせる。

今日もいい折り合いをつけて、現実から理想に向かっていきたい。

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決断と責任と時間と・・・。

人間、生まれてくるときに、自分の意志はあるだろうか?
今、生まれたいです!ここで生まれたいです!
そんなことはなく、生まれてくる。

そして生きる。

そして、もう人生がまもなく終わろうとしているとき、
これまた自分の意志があるだろうか?
とくに食べる気力も失せ、体力も低下してきたとき、
自分がどうしたいかを考えたり、伝えることもできなくなる。

元気があるときは、

こんなことは嫌だ、こんなとこにいたくない!
と抵抗もできるが、そんな元気もなくなる・・・
自分で自分の判断が難しくなる。

その代わりに家族が判断をしなければならない。
最期をどのように迎えたらいいだろう。
いろんな選択肢がある。
でも、それも一長一短。
ある選択が失敗に終わることもあるかもしれない。
人生の最期の選択はとても重大だ。

久しぶりに、コロナで会えなかった父と直接会えた。
深刻だから、再会を許されたという皮肉さもある。
父の手を久しぶりに握る。あたたかい。
小さくなった父は、つぶらな目で私のことをずっと
見ている。
言葉はほとんど出ないが、何を言いたいのかを
心の声を聞こうと思った。

長居はできず、数分で退室。
施設の皆さんのおすすめ、また、ケアマネさんの
おすすめ・・・。いろんな選択肢のなかで、
父の最期をどうしてあげたら、一番いいのか。

自分で決められないから、家族が決める。
自然ではあるが、なんという重大責任か。

どれをとっても、どっちに進んでも、元気いっぱいに復活!
とはならないだろう。
最期に向かう選択だ。

自分が決断しなければならない。
命を預かったような気持ちにもなる。
責任重大だ。

じっとみつめられ、手をにぎる。
このことが、一番大切なことのように感じた数分。
まだまだコミュニケーションができる。
このことを、忘れてはいけない。

時間がない。しっかり責任を果たしていこうと思う。

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あれから20年、そして・・・。

今、自分の手もとにあるこれらの写真。20年前の今日、あの同時多発テロで倒壊したNYワールドトレードセンターの在りし日のものだ。モノクロは私自身が20代のときに撮影したもの。あとはWTCの近所にある、教会の絵ハガキ。
ウォール街にそびえるこの高層ビルは、まさにアメリカの繁栄のシンボルであった。それが、20年前の今日、衝撃の終わりを迎えることになった。
あの様子は、世界中の誰もが瞬間、目を疑い、そして生涯忘れられない歴史的な出来事となった。

写真とともに映っているのは、20年前の今日、NYに飛ぶことができず、そのままアラスカのフェアバンクスへ飛んだ、その記念としてのエスキモーと犬のミニチュア人形。あの日以来、20年間、私と9月11日を結びつけるリアルな証拠として、存在している。

最近、これらを手もとにおいて、改めて眺め、この20年をふりかえっている。
「テロ」の名のもとに、戦争が繰り返されている。
世界的な分断が始まった日だったともいえるだろう。

20年前と今。アフガニスタンのことが頭をよぎる。
結局、自分のことばかり。自国のことばかり。
権力者の欲望と、一般市民への影響。
どれだけ罪のない、多くの人々が命を落としてきただろう。
自由を奪われてきただろう。胸が痛む。

その事件にニアミスした自分はこの時、被害を受けなかった。
アラスカで足止めをくらいながらも、貴重な出会いと経験をして、
無事に帰国できた。多くの学びもあった。

おかげさまで、今も元気に生きている。
生きている者の責任を感じ、犠牲になった方々のためにできることを
しなければと思う。
小さなことでもいい。
まずは、この日を忘れないでいる。この日の意味を問い続ける。

20年経とうが、30年経とうが、日本でいえば、原爆と同じ。
忘れてはならない。
でも、それだからといって、報復をしては、何の解決にもならない。

改めて、20年前の今日の自分のこと、周囲のことを思い出し、
思いを巡らしたいと思う。

犠牲になった人々への祈りを込めて・・・。

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手のひらの世界を越えて。

つい最近のフランスのニュースで、子供たちにはスマホを長時間与えることは、健康上良くないということを、データを示しながら、説いていた。
大人も寝る2時間前には、電源を切るのがいいという。

スマホの世界進出、普及はこの15年間とくに目覚ましい。
多くの国々で、コミュニケーション、生活の道具として不可欠なものになっている。「手のひらのなかで、なんでもできる!」と発売当初、新しい遊び道具を発見した少年のように、目を輝かせていたビジネスマンの言葉を思い出す。

スマホの機能が増えるにつれ、自分の分身のようになる。
どこにいくにも一緒という人もいるかもしれない。
全ての機能をこの1台に集約させている人もいるだろう。

命より大切なスマホ・・・そんな状態になっている、今日。
とくに、日本人にはとくにこういった内向きのツールは性に合っているようで、
いつでも、どこでもそれを眺めている。電車内でのその光景を見た外国人が
異様に感じると言っていたことも、確かにそうだ。
Y〇〇ニュースなどにも 書き込みが非常に多いのも、皆さんずっと
スマホとともにいるからであろう。
情報源として、社会参加のツールとして、健康管理のツールとして
お財布として・・・・。

こんなに大切なスマホ。もし失くしたら大変なことになる。
最近は、財布だけでなくスマホも確認。いつも目の届くところに
ないと心配・・・という人も多いだろう。
私も同じだ。これがないと、いつでもどこでも仕事というわけに
いかなくなる。

・・・と、こんな生活をいつまで続けるのだろうか?
スマホが要らなくなる生活を目指すことが、最近必要だと思う。
できれば、もたない日を決めるなど。
現実的には難しいが、心がけることが大切だ。

小さい世界に目を向け続けると、どうも思考がこじんまりなりそうな
気がする。
そろそろ、小さな手のひらから抜け出そう。

そろそろ、そんなことをしなくてはと思う。
つまらない情報のゴミに惑わされたりしないで、もっと違う次元から情報を
得るようにしたい。

いのちより大切なスマホにならないように。

スマホから目を離すと、大きな世界が待っている。
せめて、移動中は車窓を楽しむことから、はじめよう。


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ドキドキハラハラは成長薬

コロナ禍が生んだ、新しいコミュニケーション様式。
オンラインでのビジネス、学習は、もはや常識として、世界中で受け入れられている。実際、今、東京に行かずしても商談やミーティングはできるし、学びたい講座も受講できる。
移動しなくてもできる。これは本当に便利。

そして、今回は、全国各地からオンライン上に集まっての、プレゼン大会。
しかもそれを聴いてもらう企業は東京からゲスト参加。
総勢50名近くが、同じ時間を共有する。
しかもほとんどが、面識がない者同士、しかも一人の話を全員が聴くのではなく、チームでプレゼンをする、それを聴き合い、それについてもコメントを言う。という双方向、まさにオンライン上でのコミュニケーションが飛び交う
研修の場。
そのナビゲーター兼コーディネイターという役割を担当。

本番に向けての準備はしてきたつもり・・・でも、
うまくいくだろうか・・。回線が一番心配。
リアルの講演や研修会でも、パソコン環境のことが一番気になる。
今回オンラインで実施するということで、まさにネット、パソコンが命である。
目の前にいるはずの相手は、実は近くにはいない。個人個人に話しかけることも
できない。
リアルとはかなり違う条件のなか、かなりの気合いを入れ、緊張感でもってのぞむ。

おかげさまで、予定していたプレゼンは、全て予定通り進行。
質問応答も進み、ゲストからの講評もしっかりいただいた。
素晴らしい企画提案、そしてプレゼンテーションをお互いに披露してもらうことができ、模擬クライアントにもしっかり届けることができた。

時間通りにうまくいくように、なんどもなんども時計を見ながらの進行。
時間経過とともに、うまく進んでいることを確認しながら、
無事全プログラムが終わった時は、思わずガッツポーズ。

気がつけば、珍しくジャケットを着たままの奮闘であったため、
かなり汗をかいていた。本番中は無我夢中で気づかなかった。
オンラインの方が、リアルよりもパワーを要する。だから汗もかく。

このハラハラドキドキ。この緊張が、心地よい達成感に包まれる。

画面越しで会った皆さんにも、いい時間であっただろうか。
ひとつの画面に全員が入りきらず、全員の目の表情を見ることは
できなかったが、おそらくそれぞれが、「良かった」と胸をなでおろして
おられることだろう・・。
お互いに成長できるいいきっかけになっていたら、嬉しい。

今日は今日であらたな、はらはらドキドキ。
でも、今日はリアルコミュニケーションであるので、ずいぶんと
荷は軽い。

オンラインは見えない分、触れない分、人を動かす別のパワーが要る。
まだまだ道半ば。でも、まずはひと山、無事越えた。


ドキドキハラハラする瞬間は、時にいい。
自分を成長させてくれる。
次はもっとうまくいける。

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50年前の自分に会う

9月7日は幼き日にとてもかわいがっていただいた、叔母ちゃんの命日であった。
その日のことは、ずっと覚えていたが、大人になって、ふるさとを離れて
お墓まいりに行かなくなっていた。
亡くなって時間が経つと、だんだんに人はあまりお参りをしなくなる。
そんなもんだと思うが、
そんななか、母はせっせと自転車でこの墓に通い続けていた。
誰も行かなくても、わしだけは行く!という使命感をもっていた。
このお墓は坂道の上にあるため、自転車で行くのは年々大変になっていた
だろうが、元気なうちは、そんなことを続けていた。
そんな母もいなくなり、命日だからといって、お墓に行く人はおそらく
ほとんどいない。
よく考えてみれば、私が小学校一年のときに亡くなっているのだ・・。

そうか。50年だ。そう、五十回忌ということになるのか。
そう思ったら、どうしても今日はお墓には行っておかねばと思った。
母の代わりに行かねばと思ったのだ。
そして、50年前、なくなる前日まで大変よくしていただいた叔母に
報告しておかなくちゃと思ったのだ。

何十年ぶりのお墓。
うっすらとある記憶だけで、また妹にその場所を聞いて、ひとりで向かう。
このあたりだったような・・・。すぐみつかった。
子どもの頃にお参りしたお墓は随分と古くなっていた。
でも、そこに確かにあった。
花を供えて、おばさんに挨拶をしながら、手を合わせる。

五十年前、30代で逝ったおばちゃん。
本当に好きだった。怖い母と対照的でやさしかった。
ここの娘だったらよかったと、幼心に思ったこともあった。
おばちゃん、おかあさんも、そっちへ行ったよ。
そんな言葉を投げかけ、
50年前の自分の子供の頃をありありと思い出す。

何十年経っても、いくつになっても、こちらが覚えているうちは
相手も自分の中に生きている。
しばらく忘れていたくせに、この記念日のおかげで、
改めて思い出した。

故人に会うということは、その時の自分にも会うということにもなる。
そう、その当時の自分との対話でもある。

そういえば、おばちゃんが亡くなる前の日。町で市が立つ日曜だった。
昭和45年。
そこに連れていってくれて、買ってくれたのが、ディズニーの腕時計に、
ひみつのあっこちゃんの鏡。おばちゃんは憧れのものを、親が買って
くれないものを私に買ってくれる、まさにひみつのあっこちゃんの
鏡のような存在だった・・・そんなことも思い出す。
そして、その帰りに寄った叔母宅で、いつもの、
しょうゆ味だけの玉子焼きを焼いてくれたのがごちそう。
それが、最後の晩餐になろうとは・・・。
と、そんなことをくっきりと思い出した。

50年前の私は、50年後の私を想像していただろうか?
それはない。でも間違いなく、ずっとずっと何かにつながって生きているのだ。
優しかったおばちゃんのことを思い出し、
若くして亡くなる人生についても、考えさせられる。
おばちゃん、おかあさんをよろしくね。と言いながら、母が自転車をひいて
下った坂をひとり、降りた。

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