モーツアルトを聴きながら熟成されたお酒があるとか、パンがあるとか、それは他の製法によるものよりも格段に美味しいという伝説をあちらこちらで聞き、音楽が身近な製品づくりにも役立つと知ったのはすでに20年近く前のこと。それまでは、演奏者の立場、聴衆の立場で、音楽に親しんできた。
ブロードウェイのミュージカルを聴いて体感する絶頂感、ベートーベンの第9を歌っての恍惚感であるとか、日本の歌曲をデュエットしたときの心の浄化など…音楽体験にはさまざまな感動が伴っている。
音楽の専門家でなくとも、人はそれぞれに「あの頃を思い出すなつかしのメロディー」をもっている。「懐メロ」という言葉はもう昭和の言葉になってしまったかもしれないが、年を経れば経るほど、それらを懐かしく、いとおしく思うようになる。
5年前から、「ノスタルジックピアニスト」というインチキなタイトルをつけて、レストランで時々演奏をしている。中高年の方には懐かしい、60〜70年代の名曲をあれやこれやと奏でる。「若い頃を思い出しました。」「二人が出会ったときのことを思い出しました」など、ありがたいお言葉を頂戴することもある。
人は、時に音楽に勇気や元気を与えられる。調子のよいときは、さらにパワーアップ。弱っているとき、落ち込んでいるときには、心なぐさめ、癒してくれる。人間にとって、音楽は欠かせない「心の花束」かもしれない。
3歳から18歳までずっとプロの演奏者を目指していた。(といっても田舎者で中途半端で結局セミプロどまりであるが…)いつも演奏する立場で、ステージに立つことばかりを考えて練習を重ねていた。しかし、高校生の時から音楽や芸術は、アーチストだけでは成立せず、たえず受け手・聴き手がいてこそ、感動の世界が生まれるということに気付き始めた。そして、マーケティングの仕事をすることにより、人の心を動かすにはさまざまなテクニックがあり、それは数値と心理の両者が必要で、容易ではないことを知り、その中でもっとも人の「心」を動かしやすいものが音楽をはじめとした芸術であることに気付き、国境を越えた万能コミュニケーションツールとしての芸術に改めて畏敬の念すらおぼえるようになった。音楽を通じて、人々に笑顔が生まれ、ハッピーになる。このことを演奏活動の中で知った私は、この喜び、やりがいを他の場面でも生かすことはできないだろうかと思いはじめた。
今、とある企業の経営陣たちと「ヤンチャーズ」というバンドを結成し、時々都内の某所で演奏活動を行っている。超多忙のメンバーなので、練習はほとんどできないが、それでも本番前は集中して練習を行う。そのときはみっちり4〜5時間の特訓。普段眠っている右脳を覚まし、青春時代に戻って必死にレパートリーを仕上げる。転調・移調もなんのその、楽譜が苦手な人はCD頼りに、CD聴く時間もない人はコードで適当に即興していく。
必死に演奏しながら、自分たちが作り上げたハーモニーに時として感動を覚える。なんともいえない爽快感である。疲れたけれど、すっとした! バンド活動にはそんな効用もあるようだ。これはこれで、おじさんのための効果ある「音楽療法」ともいえる。
また一方、現在毎月第4金曜日に銀座でLPレコード鑑賞会を行っているが、これも中高年のための元気・活気づくりの場として親しまれている。懐かしい1枚のレコードから流れるメロディに青春時代の思い出を重ね合う。まさに若返りのタイムトリップのひととき。そのとき参加されるおじさまたちの顔は輝き、若々しい。これもまさに音楽療法のひとつであろう。このように、中高年による、中高年のための音楽活動は、ますます盛んになり、またそれをテーマとした音楽ビジネスも拡大していくであろう。
さて、この春から気になっていた勉強を少しずつ開始している。それは今書いた「音楽療法」である。コミュニケーションクリエイターとしては大変気になる分野。現代、鬱病のビジネスマンが増えている、登校拒否の子どもが増えている、低年齢の非行が増えている。何事も多忙で機能的で高効率を求めすぎ、情報過多になり、将来が不安に思えてしまう昨今、心のバランスをなくしてしまうことはよくあるだろう。自分の生き方を模索する以前に、今の立ち位置さえ見えないこともある。そんなバランスの欠如がさまざまな病気をもたらす。
また、末期がんの患者さんたちの最期はいかにあるべきか。死に至るまでの精神の不安をいかに取り除くことができるか…。知的障害者が自分を表現する術はあるか…。これらの難解な課題に応えられる療法のひとつが「音楽療法」であるという。日本では聖路加病院の日野原先生がはじめて提唱され、今、日本でもにわかに広がりつつあるが、この先進国はアメリカである。アメリカで学ぶ時間がとれないので、まずは都内の音楽大学でのレッスンとセミナーからスタート。その授業で、さまざまな施設での音楽療法の現場の映像を見た。ここには、これまで自分が演奏者を意識していた音楽とは違う世界があった。さまざまな障害者がそれぞれの楽器や方法でもって自らを表現していた。これを見たとき、涙が止まらなかった。他の生徒さんも同じであった。とくにカナダのホスピスでの現場。末期がんの患者さんと療法士が一緒に作曲をし、患者さんにその曲を聴かせた。彼女は満面の笑みを浮かべ、生きていてよかったといった。これで安らかに死を待つことができると。音楽がその人に「生の絶対感動」を与えた。
また、アメリカでは不治の病の子どもたちに、その子のための曲を作ってプレゼントするというボランティアがあるそうだ。子どもたちは自分の曲が出来上がるのを心待ちに待つ。そのことで元気になるそうだ。これも素晴らしい音楽療法のひとつであると思う。
私は、これまでのマーケティングコミュニケーションの経験で学んだこと、さらに音楽の世界で培ったこと、この両者を生かして、次の道を探す段階に
来たことを今、悟っている。
自分が今できること。だから学んでみたいと思うし、自分なりに生かしてみたい。いずれ身近な場面で役立つことも出てくるだろう。
音楽とは、天の与えた素晴らしい「心の花束」。私も素敵なブーケストになりたい。