SOHOぐらしなので、書き仕事やパソコンに疲れると、リビングに行ってテレビのリモコンをガチャガチャ。瞬時にタイムトリップである。
そういえば、この頃NHKのBSはよくできていると感心することが多い。
泣かせるドキュメンタリーをよく創ると思う。たとえば最近見たのは、とあるユダヤ人男性の半生である。戦時中、アウシュビッツでの生活を余儀なく送った少年時代を終え、戦後アメリカに単身で渡り、ホテルのベルボーイにはじまりさまざまな苦労を経て、複数のホテルを経営するにいたった。そして、そのホテルである家族の宿泊予約キャンセルの理由を知ったとき、人生の転換を決意、すべてを売り払って、不治の病の子どもたちの最期をハッピーに過ごすことができる施設を創り、世界中から病をもつ子どもとその家族を招待しているという。その施設はアメリカのオーランドにある「give kids the world」という。
その彼の生き様をとらえた番組であった。人は何のために働くのか。その老人はそのまま進めば、大富豪で何の不自由もなく生きていけたはずである。しかし、その人は全ての財を不治の病のため、短い人生のなかでのささやかな楽しみすら実現できない人々たちのために投げ打ったのだ。
日本中が、痛み痛みといって騒いでいるが、人生とは何のためにあるのか。自分が恐れている痛みっていったい何なのか?不治の病の子を目の前に、優しく語りかけている老人を見ていると胸がいっぱいになってきた。一生懸命生きている人、何かを背負い、その苦しみをバネにしている人を目の前にすると何だか涙が沸いてしまう…。素晴らしいドキュメンタリーとして見る者にぐいぐいと迫ってくる。
そして、ときには、ドラマだ映画だとわかっていても、ハンカチのお世話になることがある。先日上映されていたアルツハイマーにかかった若き女性をとりまく家族をテーマにしたドラマのときもそうだ。何が悲しい、これは現実の話ではない…と思いつつ、ううっときてしまうのである。すぐ、自分がヒロインになりきってしまう癖もあるのか? おかしな奴ではあるが。
 コンサートにいってもそうである。ミュージカルにいってもそうである。何か自分の世界に入ってくるものがあると、もう駄目なのである。感情が高ぶって、演奏がクライマックスになると、泣き声も自然に出てしまっている・・こともある。
同じものを見聞きしても、泣く人、泣かない人それぞれである。
また、こういったバーチャルな体験だけでなく、たとえば冠婚葬祭など人生の節目になるイベントでも、涙はつきものだ。
前にここで書いた松本のカップルの結婚式でも、なんら血縁的には関係ないのに、新婦がおばあさん宛ての手紙を涙まじりに読み始めると、なぜかこちらももらい泣きしてしまうし、また、ある知り合いのお父上のお葬式での、遺影を抱えた娘さんの泣き顔を思い出すたび、今でも涙がこぼれそうになる。これ以上悲しいことはない…という顔を忘れることができない。

涙といえば、子どものときの思い出もいろいろある。私は、よく子どものころ、食事中に親にしかられ、ときには、炊飯器の蓋が食卓を飛び、涙を流しながら、白い御飯を流し込んでいたことがあった。今から思うと、なぜだかわからないが、食事は苦痛で、いつも怒られるのがいやで、涙を流しながら食べる御飯は、涙の塩味に対し、とっても甘い味がした…そんな経験がある。
小学生の頃からよく音楽コンクールに出されていた。いつも通るとか落ちるとか、そんな勝負をしていた。おかげさまで強くなったもんだ。
勝負の面では、賞をとったときの涙よりも、落ちたときの涙を覚えている。悔し涙であろうか? 子ども時代の涙は、何か意志表現のひとつであり、自我の成長にも関係あるのではないかと思う。
大学生の頃、母の父が亡くなった。お葬式に出かけ、最期のご挨拶をしているときに、棺の前で、私の母は、私の目をじっと見てうなずいたことを思い出す。彼女の目には涙はなかった。親が死んだのに、泣かない人なんだと思って、母を強い人! と思ったことがあった。で、この母に私は、よく泣かされたと思う…。
さて、自分のこれまでの人生を思い出すと、まだまだ本当にショックなことには遭遇しておらず、そういう意味ではこれから…なのだろうが、私の人生は涙が多い。それはとくに大人になってからのそれは、いつも感動と無関係ではなく、世界どこにいっても人がいても、ひとりでも泣けてしまう。道を歩いていたり、電車にのっていて何かが心の琴線に触れると…である。
何か辛いことがあって、耐えきれなくなって涙して、ハンカチを濡らしたとしても、そのあとは、妙にすっきりしている。すがすがしく、よし、がんばろうと思うものである。なんだか心のお風呂上り??のような感じである。
オトコと喧嘩して、よく泣いたことがある記憶もあるが、そのたびごとに、女は泣いて卑怯だとか、女は泣けるからいいね。といわれたことはないだろうか?そう、オトコは「オトコのくせに泣くな〜」という教育を受けてきた。だから、泣かない構造になっている。だから、すっきりしないのでは? ちょっとかわいそうと思ったりもするし、我慢する性としての男性を尊敬もする。
とある人は「女は泣く性だから、長生きをする」と教えてくれた。それは確かにそうだと思う。世界中の最長寿国でしかも女性が長生きというのは、自由に涙を流して生きていける幸運に恵まれているのかもしれない。
さて、何がいいたいか。オトコの人にも泣いてほしい。そうしたら、痛みも和らぐとはいわないが、もっと心が自由になれるのでは。
そう、涙は心の浄化財だから…。
ハンカチをそっと出せるオンナになりたいなあ。