日本には有り難いことに『四季』という区切りがあって、人々のくらしにメリハリを与えてくれている。
もし、四季がなかったら私たちのくらしは、だらだらした締まりのないものになっているだろう。
生活の程良いリズムを育むために天が『四季』を与えてくれたとすれば、本当に感謝しなければならない。
今回は、春の訪れに関しての雑感である。

その1 マルセ太郎の『春雷』
パントマイム役者として著名なマルセ太郎氏の喜劇がここんところ大変気に入っている。氏は高度な喜劇を目指しておられるそうであるが、劇中の笑いの中に、何かしらはかとない深い思いが込められており、日々いろんな荷物を背負って生きている人にとっては台詞やなにげない仕種がビンビンと響いてしまい、いつの間にか泣き笑いになってしまう・・そんな喜劇をプロデュースされてしまう素敵なおじさまである。
さて、最近観たのは『春雷』という作品である。春のある日、外はどしゃぶり。時々春雷が轟く。外へ出ることができない、ただこの春雷が去るのを部屋の中でじっと待つしかないというそんな時間。その普段とちがった特別な時間に、70才にもなる男女たちが今は昔とこれまでの人生を振り返り、いろんなおしゃべりを展開する。青春時代の恋物語の思い出に花が咲いたかと思いきや、いずれ自分たちに迫ってくる『死』への恐怖についても語り合う。場面はその会話が交わされるリビングルームのみである。登場人物の中に癌におかされている元女優が出てくるが、彼女は『病』ともうまくつきあって、死をも恐れず、最後の瞬間まで精一杯自分らしく生きると明言し、その言葉が他の男女を勇気づける。さあ、元気に生きましょう!といった瞬間、空が晴れる。本格的な春の到来、さあ、外へ出よう・・・というところで幕が閉じる。
この劇中の会話のストーリーをそのまま正確に再現することはできないが、この劇で感じたのは、人生の『春』はどこにあるかということだ。答えは10代や20代ではなく、『今、ここにある』ということではないか。そして、人はいつも心の中で自分にとっての『春の到来』を待ちわびている。だから、自然がもたらしてくれる『春』がやってくると、心がうきうきし、コートを脱ぎ捨て、街へ出る。
人間は年を重ねれば身体に多少のほころびが出てくるのは致し方ない。しかし、自らの『意識』によって、春は永遠なのである。この劇を観て、そんなことを感じた。春は生命の躍動を感じる時なのである。

その2 永年お疲れ様でしたの『春』
3月31日、深夜の山手線。その日は金曜であり、いつも以上にホームも電車も混み合っている。
恵比寿から高田馬場へ行く間、何人かの人々の手や胸元に、色とりどりのブーケをみつけた。
『ああ、春だ。』普段、決して花など抱かないであろう、グレーのスーツのおじさん、おにいさんがオレンジやピンクのラッピングペーパーやリボンにくるまれたパステルカラーの花束を大事そうに抱えている。顔は紅潮している。(おそらくお酒と熱気のせい?)その日は年度末の最後の日で、壮行会、送別会がいたるところで開かれたのであろう。明日から4月。今日までとちがった暮らし、ビジネスが待っている。新たなスタートへの期待と緊張が入り交じった山手線だ。
その日、私は恵比寿のイタリアンレストランでピアノを弾いていた。その日は、60名の新入社員のパーティーもあり、これも春!を感じさせてくれる楽しいイベントであったが、そこにはもうひとつの春があった。自分が13年お世話になってきた会社の元会長、役員さんがこの春、退任され、京都よりはるばるお出でになり、現役時代の仲間たちが集まり、その労をねぎらい、これからの人生について、ワインを酌み交わしながら語る・・・という一幕があったのだ。そこには『花束』こそなかったが、楽しい話題、おいしい料理(若返りのための白い煙りが出る逆玉手箱デザート付き)と、これからの新たな出発をお祝いするカンツォーネのプレゼントがあった。
『ハッピーリタイア』を推奨されている作家Nさんの考えに私もまったく賛成で、これからは『次の春』を追い求めるリタイアこそが必要であるし、できれば、自分もこれに関わる仕掛けができればうれしいと思っている。永年のお勤めを終えられた先輩方、本当に本当にお疲れ様でした。そして、これからは、また新たな春を一緒に探しましょう。というのが捧げたい言葉である・・・。
私の交友関係は、なぜか平均年齢が高い(ような気がする)。可愛がってくださる先輩たちが次の春の準備を始めておられる。勉強する、趣味をもつ…。いずれもすばらしい。
私も『春雷』で出会った女優さんのように、どんな病になっても、どんな運命に巻き込まれても、自らの『春』を失わないように今から精進したいと思う春の日である・・・。